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『私の頭痛』

(小説、約2500字)

ここ数日、頭痛に悩まされていた。首の後ろあたりにしこりがあるような感じがする。そのしこりは物理的なものではなく精神的なものが由来だろうなと思った。

私は自分の体調不良の原因を見つけるのが得意だ。なにが原因でその結果が現れているのか、身体の内側の結びつきをある程度察することができた。そのためには数学のような思考と、瞑想のような集中の両方をうまく使いこなさなければならない。


先週ひいていた風邪がぶり返した? いや、その頭痛とは痛み方がちがう。

暑いから体調を崩した? いや、身体の他の部分は健康だ。

水分は足りてる? 寝る前にも水を飲んだし、起きてすぐにも飲んだ。

各種の栄養素は? 問題ない。私は肉より野菜が好きだ。

ストレスを感じる出来事があった? ないとは言えないけど、最近は良いほうだ。

そう、私は知り合ってから三か月ほど友達付き合いをしていた男性と先日恋人になったばかりだ。彼とはとても相性が良い。今までに関わってきたどの男性よりもお互いを理解し合えていると思う。

すごくドキドキするとか、天にも昇る幸福感を与えてくれるようなタイプではないけど、彼と話しているととても安心するし、日常のちいさな幸せまでもが彼の存在によって輝きを増す。朝露が太陽の光を受けてみずみずしく輝くようにね。

いまは十代の頃みたいな刹那的な強い感情に衝き動かされる恋愛をしたい気分じゃない。そういうのはたいてい自分の願望が見せた蜃気楼みたいなもので、後悔の念で朝を迎えることがほとんどだった。

私は頭痛薬を飲むために、ベッドから抜け出してシリアルで簡単な朝食を済ませることにした。さいわい今日は休日だ。
常備してあるシリアルの袋を開け、深さのある容器に入れていく。さらさらと音を立て半分ほどの高さまで満ちていった。
つぎに冷蔵庫から牛乳を取り出し、やや多めになみなみと注いでいく。スプーンを準備して、これでオーケー。あとは頭痛薬を忘れずに持っていつものテーブルへと移る。

これまでに私は良くない恋愛を繰り返してきた。たとえば妻子持ちの男性と不倫したりね。
ふとした瞬間に彼が携帯電話の待ち受け画面に表示している子どもの写真が見えたことがあった。あれは去年のクリスマス・イヴの夜だった。私たちは夕食のデザートにチョコレートケーキを食べたあと、ホテルへ向かっている途中だった。夕方と夜の間の時間帯で、薄い闇が街を覆い始めていた。

そのときはたいして何も思わなかったが、時間がたつとあの十歳くらいの小さな男の子の笑顔が脳裏によく浮かぶようになった。
あの子はちゃんとしたクリスマスプレゼントをもらえたのだろうか……。
彼からすれば、私はお父さんを奪っていったあばずれ女に映るのだろうか……。

でもあのときは、私だってさみしくてさみしくて仕方なかったんだ。
生まれてすぐに父親を亡くし学も無い私は、常に男性の肩にもたれかかっていないと生きていけない弱い存在だ。
ひとりだと夜の街で迷子になってしまう。十歳の君とどっちが弱いのだろう?

シリアルを食べ終える頃には、ほぼ結論が出ていた。この頭痛の原因は私が安心していることから来ているのだと思う。
めったにない余裕を感知した私のこころが、棚上げにしていた精神的問題をここぞとばかりに処理し始めた副作用なのだと思う。風邪をひいたときに熱を出して病原菌を殺そうとするのに似た働きだ。つまりこれは良い頭痛だ。きょうは家でしずかに過ごそう。映画を見るのが良いかもしれない。



薬を飲んでふたたびベッドで横になっていると、またもやあの写真の男の子の笑顔が脳裏に浮かんできた。
振り払おうとしばらく格闘する。なかなかうまくいかない。

「やめてよ……。嫌わないで」自然と口をついて言葉が出た。

その言葉を耳から聞いた私がいちばん驚いた。不倫しておいて、相手の小さな息子に嫌われたくないなんてどうかしている。

いくらなんでも虫が良すぎないか。

他人から嫌われるのはとても嫌なことだ。どうでもいい相手から悪口を言われるだけでも私はけっこう傷ついてしまう。
でも自分も陰で他人の悪口を言ったりする。なんなら去年は不倫もしていた。悪人で結構、と開き直れるほど強くはない。だがひとりで陽の当たる真っ当な道を歩めるほど強くもない。

私は気を紛らわせるために、DVDプレイヤーに入っている映画の続きを見ることにした。
リモコンを操作すると、テレビのスピーカーから緊迫感のある音楽が流れ始めた。画面の中の男は拳銃を片手に何かから必死に逃げていた。

他人の感情は他人のものだし、他人の思考は他人のものだ。私が立ち入れる領域じゃない。それなのに嫌われたくないって、悪いことをした上にさらに相手を縛ろうとしているのか。許させようとしているのか……。

そう気づいたとき、私は後頭部を鈍器で殴られたような気分になった。なぜいままで気が付かなかったのだろう。あまりにも利己的な感情を持ち続けていたことに。

嫌われたいと思った。
嫌われなければならないと思った。
私に許しを求める資格はないと思った。
そしてあばずれ女と呼ばれようとも、それは相手の当然の言い分だとも思った。

しかし、私にも私の言い分があると思った。
私にも私の苦しみがあると思った。
私にも私の孤独があると思った。
私にもひとつの人生があると思った。

画面の中の男は、自分を追ってきている誰かに向かって「俺にも守りたいものがあるんだ!」と叫び、二度発砲した。
いつの間にか、私の頭痛の波は少しずつ引き始めていた。薬の効果が出るにはまだちょっと早いのに。

部屋のどこかでピロリン、という音が鳴った。携帯電話に彼氏からのメールが来たようだ。特別な着信音に設定しているのでそれがわかった。すぐDVDの再生をストップした。すると異世界から私を迎えに来たような着信音がこのせまいワンルームに反響した。一度だけ。
これはひとつの大いなる始まりだ。みんな祝福してくれよ。


結局、なぜ頭が痛かったのか? 君は自由だ。好きに罵ってくれてかまわない。そう心に決めると不思議と傷つかずにいられる。私も自由だ。

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha