休日の小布施を堪能してみて感じたこと
昨日のことになるが、大学時代からの大切な友人が、女性ばかり3名小布施を訪ねてきてくれた。どうしても仕事の都合で土日に仕事やイベントが入ることが多く、10月くらいまでほぼ予定が埋まっているのに、なぜか昨日だけは空いていた。
終わっていないこと、前に進めないといけないこと、せっかくの休日に時間をとって考えたいこと、いろいろあったのだけれども、せっかく気の置けない仲間が小布施まできてくれる貴重な機会。ここは思い切って(案内するということにかこつけて)、何も考えずぼーっと過ごす1日にしてみることにした。
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朝は目覚ましをつけずにゆっくり起きて、朝食は取らずにおなかを休ませ(ここ最近会食ばかりで内臓も相当蓄積疲労があったように思う)、午前中をフルに使って少し遠めの露天温泉「馬曲温泉」に。
昼食後は、少し雨模様の小布施を、徒歩でじっくり。途中で昨年オープンしたばかりのパン屋さん「Ohana」でくるみパンを購入し、その目の前にある「松葉屋本店」では日本酒を試飲。
小径をゆっくり抜けながら、小さな和菓子屋「いちむら」で、季節をテーマにした和菓子と抹茶を楽しむ。
食休みも兼ねるつもりだった午後の散歩は、結局食べ歩きになってしまったのでした。
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小布施の街を巡ったあとは、我が家で少しゆっくりし、それぞれの家路へ。僕は、翌日(今日)大切な友人の結婚式が京都である予定だったので、前入りのために19:40長野駅発の特急しなのに乗車(ちなみに、今週水曜日にも中津川で講演会があったので、今週2度目の特急しなのだった)。ビールを飲みながら、先日松本の「栞日」で目について購入した、ジャーナリストの佐々木俊尚さんの書籍「そして、暮らしは共同体になる」をゆっくり読みはじめる。うとうとしながら名古屋での乗り換えを済ませ、なんとか無事京都に到着するという、長い長い1日になりました。
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そんな1日を過ごして感じたことを備忘録的に。
・歩くスピードで一つ一つの景色を楽しみながら歩くと、自然と副交感神経優位の、少し眠いような、とてもリラックスした状態に身体も頭も浸っていく。大げさにいえば、「ああ、生きていてよかった」、そんな気持ちにさえなってくる。いつものまちあるきのように、すでに用意された説明文をなぞるのではなく、できる限り、ぼーっと、初めて見た景色のようにその場所を眺めてみると、どんどん自分の頭が柔らかくなっていくことに気づく。木を「木」と概念化・抽象化して捉えるのではなく、その一つ一つの個性をみる目を持てるかどうか。見慣れた景色を、新しい目で意識的に捉えられるかどうか。そういう目を持てるための日常の余白を、僕はどれだけ持てているだろうか。
・そんなフラットな状態で、久しぶりにじっくりインプット(本を読む)すると、書いてある言葉が、偏見なくどんどん頭の中に入ってくる感覚が。今やっていること、考えていること、悩んでいることと結びつき、アイデアが広がっていく不思議な体験がそこにはあった。当たり前かもしれないが、頭も休めて余白を作らないと、新しいインプットは有機的な化学変化を起こさないのだ。
・久しぶりにゆっくり巡った小布施は、やっぱり、すごいコンテンツだ。作り込まれた思い入れのある空間が、そこかしこに存在している。美しいものは、いつだって、こだわりがある。僕は、美しいものを生み出せる、こだわりのある人間になれているのだろうか。
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6月は、とても面白いことがたくさん起きている。ここ数年、なんとなく線として見えているのだけれども、うまく面として捉えられなかった僕自身のこれからの方向性が、急に加速しだしている。うまく行っていることも行っていないことも両方あるけれども、自分のやりたいことの解像度はどんどんあがっている。自分自身のこれからに、これほどワクワクしているのは、もしかすると10年ぶりくらいかもしれない。
いい時間は、いい人と過ごすことで生まれるのだとしたら、昨日の友人たちには本当に感謝しないといけないなぁ。美女3人と過ごした小布施旅は、格別な1日になりました。心から、ありがとう。
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