見出し画像

じぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんで決めなくてはならないからだよ。

ご無沙汰していますが、先日(11月8日)、無事に30歳の誕生日を迎えることができました。

好き勝手やってもなんとなく許してもらえた20代(だと思っていました笑)も、あっという間に終了。特に感慨があるわけではないけれども、いよいよ「本番」だな、という気持ちです。

大学時代も含めて、ここ10年近く常に激務と言ってもいい生活を続けてきたのに、特に大きな病気をせず(この1年は体調不良の連続ですが・・・)30年間も生きてこられたこと、そして、そんな身体を作ってくれた両親や基礎体力を作ってくれた子供時代の自分の暮らしに、とても感謝しています。

時期はたまたまですが、30歳を迎える直前のタイミングで、大好きな作家であるミヒャエル・エンデの『モモ』をテーマにしたシンポジウムを、これまた大好きな土地である黒姫の麓で企画することができました。

シンポジウムのテーマが「じぶんの時間」だったこともあり、シンポジウムが終わってからも、「自分らしい時間」の使い方とはなんなのか、自分は時間をどう使い、どう生きてゆきたいのか、ということをずっと考えています。

今心の中にある言葉は、「自分の心が喜ぶ時間を大切に、楽しく、自分らしく生きてゆきたい」というものです。

楽しく、自分らしく生きたいという思いは、大学時代から大切にしてきたこと。ただ、それを自分が一人で勝手に実現するのは、なんとなく卑怯なのではないかという感覚も持っていて。今考えると、その考え自体が傲慢でとても偉そうですが、より多くの人が、楽しく、自分らしく生きることが許されたり、そんな生き方を後押ししてくれる社会をつくることに少しでも貢献できればと思い、この6年間、公に近いところで一生懸命仕事をしてきたつもりです。

でも、いくら社会が自分らしく生きることを許してくれたとしても、肝心な自分自身がそれを許してあげなければ、元も子もないのではないか。そして、僕自身は、そういう許可を自分自身に出すことがとても苦手なのではないか。

30歳にして気づき向き合ったのは、そんな当たり前のことでした。

自分自身を大切にし、自分の心が喜ぶような時間をたくさんつくりたい。それが、自分のためにも、自分の周りにいてくれる仲間のためにも良い影響をもたらしてくれるはず。そんなことを自覚的に考えるようになったのは、3年前に参加した、あるワークショップの場でした。だから、実はこれまでも同じ願いを持ちながら過ごしてきたわけです。

でも、ここ数年は、中途半端な状態でその思いを自ら手放してきてしまっていた。「忙しい」状態を無自覚に受け入れながら、「自分自身を大切にする」ことに本気ではなかったのだと思います。

30歳の1年の目標は、自分の心が喜ぶ時間を大切にし、今まで積み上げてきたと思い込んでいるものをどんどん手放し、自分を整えていくこと。

社会に対する違和感よりも、自分自身の暮らしや働き方に対する違和感を一番の出発点にすること。

数は少なくても、範囲は狭くてもいいから、まずは自分が納得できる質の仕事や暮らしをつくっていく1年にしていくこと。

仲間と思える人々と、喜びをわかちあえる時間を大切にすること。

そんなことを通じて、自分の心が喜ぶ時間を大切に、楽しく、自分らしく、そして健やかな30歳の自分を生きていけるようにすること。

抽象的ですが、そんなことを考えています。

30歳になっても、まだまだ多くの方々に迷惑をかけながら生きていく人生になりそうですが、これからもどうかお付き合いいただけましたら嬉しいです。

写真は、『モモ』にも登場する道先案内人のカシオペイア。ゆっくり歩くと早く行ける。今の自分には勇気をくれる大きな存在です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?