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わたしについて② 〜早稲田大への進学〜
先日、投稿した『わたしについて。機能不全家族編①』では、読んだ方から「大変だったね」「大丈夫なの」と私のことを心配しているような声も聞かれました。
もう40年も前の幼少期の話で、今となっては笑い話でして、その経験も乗り越えているので大丈夫です! ありがとうございます😃
今日は、小中高校時代の学校での話を書きたいなと思います。
家での居場所が無かった分、学校では「とにかく家を立て直さなきゃ」「母親を笑顔にしなきゃ」と言う気持ちで、勉強に打ち込んでいました。
それよりも、一番は、「かわいそうと言われたくない」「家が大変だからグレたとは言わせない」という気持ちの方が強かったと思います。
ただ、単に勉強が好きかと言われたら、そうではありませんでした。
とにかく、「勉強しか道がない」と思っていました。
小中高校では、成績は学校のトップにいました。
中学では、成績が10段階でしたが、全科目でほぼ10だったと思います。
高校入試の模試では、沖縄県内模試で1位を取ったこともあります。
でも、どちらかというと、スポーツのほうが好きで得意でした。
100m短距離走の那覇代表でもありましたし、首里高時代のソフトボール部では、内野手でもあったのですが、足が早いということで外野手4番バッターをしていました。
みんなからは『しーのー』と呼ばれていましたが、一部の人からは『キン肉マン』と呼ばれていました、笑
それくらい筋肉質で、特に、歩くたびに足がピキピキと筋が浮き出すので、『学年一足が太い」とか、『学年一黒い女』とも言われていました、笑
今のイメージとは真逆かも、笑
高校3年の時に、早稲田大学に進学することを決めました。
憧れの筑紫哲也さんの出身校であったというのが主な理由ですが、当然のことながら、母親には「うちにはそんな金はない」と言われてしまいました。
どうやって、進学できたのかは、また次に書きますね。 〜つづく〜