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15 「商業高校を変えた女性」 

 平成22年ころ、ある商業高等学校に勤務していた時のことです。

 私は、初めて、生徒指導部を希望しました。
生徒指導部って、学校で一番怖そうなガタイのいい体育の先生方がなるイマージ。
「早く教室に入れー」などと怒鳴っているイメージがありました笑

 なので、あえて、私は生徒指導部を希望しました。

 勤怠係のメインの仕事は、遅刻指導でした。
それまでの指導は、1か月に3回(だったかな)遅刻をすると、生徒を呼び出しして、5回すると保護者に来てもらって管理者の講習会を受けるという感じでした。

 遅刻をする生徒の多くは、遅刻することに慣れていて、みんなもしてるから大丈夫だろうという変な雰囲気がありました。
当時は、1日の遅刻数が70〜100人。めちゃくちゃ多いのに、びっくりしました。

 そんな空気を変えたくて、まずは、校門入口に、啓蒙の言葉を立てかけることにしました。
「遅刻するなよ」という言葉ではなく、「考えてみよう」というスタンスでした。

また、勤怠の悪い生徒たちに、あえて遅刻指導を手伝ってもらい、役割を与えて責任を持たせたいと考え、生活委員会を立ち上げました。

 生徒が主体となり、お昼の校内放送に生活委員の担当時間を作ったり、「遅刻ゼロ週間」というイベントを毎月行ったり、ポスター作りや標語を集めるなどの啓蒙活動を行いました。
 楽しくやってもらうことに拘っていましたので、生徒がやりたいという意見を大事にしていました。

 生活委員が盛り上がるのと同時に、遅刻もみるみるうちに減っていきました。

 そしたら、1日の生徒の遅刻数が3ケタから1ケタに、3ヶ月で達成していました。『商業を変えた女性』と管理者や職員に評価を受けましたよ😃
私も楽しかったです🎵

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