【0996】身近なSDGs_多様と許容を考える
SDGs1000日チャレンジもラストスパート。SDGsは非常に広範な目標たち。17個もの目標や169のターゲットや、なんだったら232個も指標がある。
これ、全部気にして生きていかなきゃいけないの?と途方に暮れてしまうこともあると思います。
日本での暮らし中で、身近なことから全てのことにつながるなと個人的に感じるものについて、触れていきたいと思います。
SDGs:社会の課題
SDGsには17の目標があるものの、それらは3つの階層でとらえることができる。というのがSDGsウェディングケーキモデルですが、
環境が下支えにあり、その次に社会、そして経済。という積み上がり方をしていて、環境なくして人間社会の生活は営めないと同時に、人間社会の公平性なくして、経済の発展はありえない。ということがわかりやすく表現されています。
このモデルで「社会」に属する目標は、
目標1:貧困をなくそう
目標2:飢餓をゼロに
目標3:すべての人に健康と福祉を
目標4:質の高い教育をみんなに
目標5:ジェンダー平等を実現しよう
目標7:エネルギーをみんなにそしてクリーンに
目標11:住み続けられるまちづくりを
目標16:平和と公正をすべての人に
の8つの目標になっています。貧困や飢餓、教育などは、経済発展が解決方法の一つでもあるのに、社会の中に属しているのは、社会的な公平性に着目しないと解決できないものだからと言えるかもしれません。
平等と公正
平等と公正という言葉、この2つには違いがあるそうで、下記の「合理的配慮」に関するイラストが非常にわかりやすいものになっています。
平等の状況は、確かに全員に平等なツールや機会が与えられているんだけど、目的である「試合を見る」とう観点から見れば、公正さが足りないという状況。公正の状況は、ある意味、人によって多めにツールや機会が与えられていて、平等とは言えない状況ですが、全員等しく「試合を見る」という目的は達成できています。
ちなみに、この合理的配慮について書いたnoteはこちら。海外では合理的配慮がなされていないことで訴えられたアーティストのWEBサイトの事例なども。
この平等と公正の考え方、日常のちょっとした中で、ついつい「平等」を選んでしまったり、無配慮な状況を作り出してしまう。ということが起こり得る。そういう身近さに潜む課題だなと思います。
そんな無配慮、無自覚さは、誰の中にもどんな状況にも潜むもの。消し去ることは残念ながらできないけれど、「消し去ることはできなくて、確かに存在する」ということに自認的になるということはできる。という考え方があります。
アンコンシャス・バイアス
無自覚なバイアス。それに気づくというもの。
無自覚なバイアスは、マイノリティ・マジョリティにかかわらず全員の中にあって、「女の子だからこれが好きなのが常識」というものもあれば、「A型だから整理整頓が上手」も例にあるくらいで、「関西人なんだから何か面白いこと言ってよ」というのもある意味、無自覚なバイアスかも知れませんw
これがダメだ。ということではなく、そういうバイアスは全員あるんだよね。と自覚して公正さについて考えることが大事。ということかと思います。
このnoteでも取り上げたのですが、無自覚な状態での中立は、実は片方に加担している可能性がある。とも言えます。
※上記のnoteにいただいているコメントの通り、このテーマは伝え方をものすごく工夫する必要があるテーマだと、書く度に思います。
無自覚に中立でいようとすると、思わぬ加担をしてしまっているかも。という状況は下記のイラストと記事が非常にわかりやすいものになっていますので、ぜひ。
研修資料が無料DL
そんなアンコンシャス・バイアス、メルカリ社が社内の研修資料を無償で公開してくれているサイトがあります。
運用のためのファシリテーターガイドラインまである、実用的なものです。
以上、身近なことからSDGsを考える。
今回は「多様と許容を考える」でした。
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