[福井→大阪]旧帝卒の教育方針を回顧
幼少期を過ごした福井県は教育熱心でスパルタ。大阪に転向した時の衝撃を忘れもしない。大阪が緩すぎて。
皆さん、おはようございますこんにちはこんばんは。
自己形成の瞬間を就活や病んだ際に皆さんも考えたこともあるだろう。少なくとも私は考えたことがある。自分の一番初めのターニングポイントは何だったのか。自分が真面目に勉強するようになったにも理由があるはず。思考をして回答が出るまで3秒とかからない。「福井県か。」
私は小学校5年生まで福井県で過ごし、6年生から大阪で育った。教育方針がどれだけ大切かここで知ってほしい。
福井県とは(※個人的な意見です。何も調べていません。)
北陸地方にあり日本海に面している。
名産品は眼鏡フレーム。観光地は恐竜博物館か東尋坊。海鮮料理特にカニは美味しい。
常に学力テストやスポーツテストでは都道府県別で上位に位置する。
実は京都の隣にあり、都道府県パズルを幼少期に遊んでいないと場所が不確かになってしまうので要注意。
たらたらすると「はよしね」って言われる。(意味:早くしてね)
【小学校時代の謎エピソード】
・毎週水曜日のお昼休みは強制登山マラソン
→学校の真後ろに山があり、お昼ご飯を食べた後に走らされる。ラジオ体操のスタンプカードのようなものが配布され、監視されるがごとく強制参加。当時は洗脳されているため、当たり前のように走っていた。
(大阪:サッカーしかしません)
・休み時間は鉄棒に行列。廊下には縄跳びの列。
→スーパーマンが多いため、鉄棒で半車輪くらいであればお茶の子さいさい。体育館にて技を魅せあう。D難度高め。縄跳びをするために廊下の取り合い。私の特技は三重跳びで歓声を浴びていた。縄跳びが女の子や低学年に当たり、先生に怒られることもしばしば。
(大阪:サッカーしかしません)
・休み時間が飛ばされる
→1時間目と2時間目の間にある休み時間がないことも日常茶飯事。授業が盛り上がり過ぎて、休み時間を通り越し、気が付けば2時間目突入。生徒の議論姿勢も前向きで、全員が手を挙げて主張をする。今のあいつら絶対に人狼ゲーム強い。
(大阪:授業が終わらなくてもチャイムが鳴ると同時にサッカー)
・宿題の量が尋常でない
→まず宿題が出ない日はない。毎日泣きながらやっていた気がする。
(大阪:宿題したことない。塾ありき)
・教師が絶対神
→歯向かうものはいない。ため口なんてもってのほか。
(大阪:「先生!サッカーやろうや!暇やろ?!」)
小学校の友達の話を聞くと、早稲田や慶応、医学部など進学実績は申し分ない。当時小学校に洗脳されていたといえ、濃密で大切な時間だったとだと感じた今日このころ。
大阪に来て一番衝撃だったのは金髪と茶髪の小学生の多さ。絶対いじめられると思った。スポーツが比較的できてよかった。勉強もスポーツも本当に大切。しかし年齢によってカースト上位に立てるポイントは異なる。小学生はスポーツやカードゲームの強さ?中学高校は顔と部活?大学は顔と身長?社会人はお金?
本当に浅いよな。私って。女性の気持ちを知らないと。
お読みいただきありがとうございました。土日時間があれば何か書きますね。