ACT.30『九州グランドスラム 10 ナンゴクニカンジルハンセイ』
指宿への鉄路に乗る
鹿児島市電・谷山から徒歩で指宿枕崎線の谷山まで向かった。この指宿枕崎線の鉄路は、JRとしては最南端の終着駅の『枕崎駅』が終着駅になっており、全て乗車するだけでも圧倒されるというモノだろうか。
谷山から指宿に向かう鉄路を乗車していくが、今回は向かえる区間を乗車していく事にする。
谷山周辺には長渕剛と縁のあるラーメン屋がある、との報があり発見に力を注いだが発見できず…とあったが、今回の指宿方面の乗車では
『長渕剛が少年時代に通った海岸』
を目当てに鉄路を下り、向かってみる事にする。指宿の鉄路、とは。JRの最南端とはどのような景色を広げた場所になっているのだろうか。
感動、あぁ、感動。
JR・指宿枕崎線に乗車された際にはこの谷山駅で絶対に下車されてみてほしい。また、この駅から乗車されてみてほしい。
写真はこの谷山駅に入線する列車を撮影した写真なのだが、入線時のメロディに『吉田拓郎/夏休み』のサビ部分が使用されていた。
吉田拓郎が大好きな自分としては本当に感動してしまい、思わず感動してしまった。
『麦わら帽子は もう消えた』
『田んぼの蛙は もう消えた』
あの歌詞を意識せず、口ずさんでしまう。オルゴール調で、この聴き慣れたメロディが聴こえた瞬間には大号泣する寸前だった。
谷山駅では、列車の進入時にこのメロディがオルゴール調で(どうやら帰ってから調べたが、観光特急・指宿のたまて箱通過時もコレが流れるようだ)流れるらしい。本当に素敵で、配信されていたら自分ではついつい土産に買ってしまいたくなるくらいだ。この駅から乗車している地元の高校生も居たが、本当に彼らは羨ましい。こんな名曲と生活しているなんて。
おっと。羨ましさ大爆発だった。
帰ってから調べると、なぜ谷山の駅で吉田拓郎を採用していたのかという事が判明した。
吉田拓郎氏は、この谷山駅周辺で小学生時代を過ごし、その縁から吉田氏の名曲である『夏休み』を採用する事になったのだという。自分は長渕剛の話しか考えずに…とこの路線に乗車していたが、まさか自分が大好きなもう1人の昭和歌手に逢えるとは思わなかった。
しかしもう1回話を逸らしてしまうが、今の流行りの文化やブーム、楽曲などには乗っかり辛い。
うたた寝していたらなんか着いたらしい
谷山から乗車したこの列車だが、客層は地元の高校生や生活住民の他、レジャーでの利用者に観光客、そして家族づれなど非常に多種多様な層の利用が見られた。この先の列車の一通りの基点、指宿まではこうした観光需要が存在しているが、指宿を越えると一瞬で辺境になってしまうのを自分は知らない。(この時は)
谷山から乗車して到着した駅は、『二月田』という駅であった。指宿市の観光、指宿の中心駅である指宿まであと少しという状況であった。
しかし、こうした駅に古い気動車で降りるのもまた旅の贅沢というのだろうか。降りた時こそ焦りはあったにせよ、もう少し旅の余韻など感じていれば良かったと思うのはここだけの話だ。
二月田での待ち時間はそこまでなかった。列車の接続時間はあまり掛からなかった記憶がある。そのまま引き返して、1駅前の『宮ヶ浜』に行く事にしよう。その場所がこの指宿方面を目指した目的だ。
南国らしく、緑に茂った線路の中を掻き分けてやって来たのは指宿枕崎線の主力車両・キハ200形だ。路線のエース列車・快速『なのはな』にも使用され、その車体色は南国の鹿児島に輝いている。
緑に茂った線路を走っている、という感覚はそれこそ南国にいるというか、自分の居住圏を離れて異世界に移動してきた感覚にさせられる。
日本にもこんな風景があるのだな、と様々な鉄道に乗車して感じるところはあるが、大人になってまだ乗車していない鉄道やJR路線などを踏破していく度にそれを感じてばかりだ。
草の深くなった場所を、軽快なエンジンを響かせ走っていく。目指すは宮ヶ浜だ。
長渕剛という歌手を自分が好きになって、まずはこうした場所に向かうとは思ってもいなかったろう。
『いつか行くのだろうか』の『いつか』がこうして叶ってしまった。
南国のはじまり
宮ヶ浜駅に到着した。鹿児島中央に向かって走り去る列車を見送って、駅の先にある宮ヶ浜の象徴的な景色を見に行く。この先に、長渕剛を愛する人間なら一度は訪れておきたい名風景が存在しているのだ。
列車が過ぎ去ると、このような横断幕が乗客を出迎えてくれる。きっと、長渕剛の縁がある場所として多く人がこの駅を目指したのだろうか。
駅の前には、大きな海と広々とした空が広がっている。コレでこそ、日本の南に来たという感覚を抱けるのだろうか。雄大な景色に、自分は大いなる感動を抱いていた。
少し話が逆転してしまったが、宮ヶ浜の駅はこのようになっている。
列車が1面1線の駅に停車し、接近放送も鳴らない。そして、運転士や車掌に切符を見せて乗降をする、全国の日本どこにでもあるような普通の無人駅だ。
駅の中腹には、待合室と乗客の動線を確保している上屋のようなものがある。至って簡素なる駅に、自分は降り立ち少しだけの観光を楽しむ事にした。
側面だけしか映っていないが、黄色い快速/なのはなのキハ200の車体塗装が南国らしい天気と無人駅らしい空気に素晴らしく映えわたっている。
何処までも夏の隅々した空気を感じられるが、季節はこの時点だとまだ春だった。
思い出に触れて
宮ヶ浜の駅舎を眺めて、長渕剛と縁のあった宮ヶ浜の海岸を目指して歩き出す。
しかし、列車の都合の方もあるのでそう長くは滞在できないだろう。こうして居るだけでも自分は幸せな気持ちを夏のように晴れ渡っている空の中、噛み締めて歩き出した。
宮ヶ浜の駅舎は、晴れた日の清涼感によく似合った青い駅舎だった。そして、南国的な植物を携えている。本当に、駅舎の方から眺めてもこの宮ヶ浜の駅舎は普通の日本全国の故郷を飾ってきたような駅舎だと思う。
指宿へと向かう鉄路を眺めながら、自分は宮ヶ浜の海岸へ向かって歩き出した。
長く長く続く線路は、それこそ列車が走っていれば何処まででもいけそうな感覚がある。空も果てしなく広がる青い空の中に、夏のような雲を持っている。気持ちが良かった。
線路を越えて、宮ヶ浜に辿り着いた。
列車から眺めていた錦江湾が間近に広がり、改めて今。雄大な景色を自分の目の前に広げている。
長渕剛の歌、鶴になった父ちゃんではこの宮ヶ浜が地名としてそのまま登場し、剛自身の家族を失った気持ちと父への感謝の歌として綴られている。
『幼い俺を父ちゃんはバイクに乗せて
宮ヶ浜にいつも 連れてってくれた』
としての歌詞に、宮ヶ浜が登場する。長渕自身にも思い出のある場所として、この土地は欠かせないのだ。
また、『LICENCE』というアルバムの一節にも、このように宮ヶ浜かどうか定かではないが長渕剛と海の関係性がよく現れた歌詞が登場する。
『週末になると 親父はいつも俺をバイクに乗せた
人気のない海岸線に 親父は腰を下ろした』
として、この歌にも長渕剛と海の関係が歌に登場する。長渕にとって、この海は故郷の大事な光景なのだ。
宮ヶ浜を歩いていくと、大きな広場に到達する。宮ヶ浜で夏らしい写真は多く撮影したが、この写真が最も夏らしい写真になったのではないかと思う。
錦江湾と、遠く先に広がる情景。少し雲にかかって見えない場所はあれど、海の景色の雄大さや夏の爽やかな空気が感じられる良い記録になった。
錦江湾の記録は出来たが、個人的には桜島の記録が出来なかった事を未だに悔いてしまう。見えていれば、それこそ大いなる鹿児島の自然に心を打たれていたのかもしれない。
歩いて行った先に、こうした石碑を発見する。
長渕剛、と記されていた。どれどれ。この人物を目当てに指宿へ来たならば、絶対に眺めなければいけない。じっくりと読んでみた。
『母ちゃんの歌』、というのも実に長渕剛らしい一節にて始まっているように感じられる。長渕剛の歌には、家族や家庭などを問うた哲学的なもの、また生々しい歌が多いイメージがあり、またこうして家族の思い出を指宿に寄贈する辺り、相当なる情熱があったのだろうと感じてしまう。
本当にこの周辺に関してはよく知らないので学ばねばならないのだが…
石碑の裏面はこのようになっている。金髪モヒカンに刈り上げ、筋骨隆々に自らの肉体をしばき上げた晩年の素晴らしい剛だ。
多くの人と鹿児島県の団体の力が織り成して、この地に長渕剛の石碑は建設されているのだと知った。
ちなみに、石碑には母と宮ヶ浜の海岸で過ごした思い出が濃く記されていた。
『小さな魚になった』
の文面では、金髪モヒカンになってすぐに出された歌の1つである『幸せになろうよ』の歌詞を想起させる1面が入っている。
自分にとって、長渕剛という人は昭和のフォークシンガーのイメージが濃い。清純たる長い髪を伸ばして、ギターをしっとり弾いて巡恋歌などを刻み続けたあの頃の長渕剛が個人的には1番好きだ。
高校生の時には、髪を丸刈りに刈ってマイクスタンドに魂を全力でぶつけたロックバンドスタイルの長渕剛が大好きだった。『ろくなもんじゃねぇ』は高校生の時期、よく聴いた楽曲だったと今でも思い返す。
石碑を見てから、錦江湾に視線を向けると一気に何か異なった雰囲気を感じてしまうのだから不思議だ。
この海岸に剛が来ていたのか、といつしか感慨深い目で自分は眺めており、創作の源になった場所だとしてこの場にいる事の特別さを感じずには居られなかったのである。
改めてして思うが、この宮ヶ浜訪問の思い出というのは個人的に大きな成果として残っただろう。谷山のラーメン屋が空いていなかったから、との理由だけで向かったにしては良い場所だったかもしれない。
長渕剛の石碑と共に、記念の撮影をして頂いた。
丁度この時、タクシーで観光をしていた方がこの場所を通りかかり宮ヶ浜の海岸を観察していたのを見ていた。
その際、タクシーの運転手の方に記念で撮影を依頼したのがこの写真だ。
記念の撮影は少なかったが、この記録が残っただけでも非常に感慨深いものがある。
高校生の折、通学路で『ろくなもんじゃねぇ』を聴いていた自分がまさか成長してこう聖地に向かうなど考えもできたろうか。
この訪問は、自分の若者人生の中でも大きく動いた場所の1つだったと思う。
改めて、宮ヶ浜の駅に戻った。
宮ヶ浜の駅からこの海岸の場所に向かうまではそんなに掛からなかったと思う。指宿枕崎線の列車間隔なら、列車の待ち時間での訪問も可能なくらいだと自分は思う。
そして、そんな列車待ちに撮影した横断幕のワンシーン。ホームの一部を眺めてみると。鹿児島中央方面の行き先が『西鹿児島方面』のままになっていた。古き良き鉄道の一場面に遭遇出来たようで、待ち時間に少し興奮してしまった。
再び、列車に乗車して指宿方面を目指していく。乗車するのは、再びキハ200形だ。
最初はこの車両は快速/なのはな専用車両かと自分は思っていたが案外そうでもなく、見ていたところ運用は普通に就業している。
折角なので、入線してくる瞬間は長渕剛の聖地歓迎横断幕と組み合わせて撮影を試みた。
そこまで長い滞在ではなかったが、石碑や綺麗な錦江湾を眺められる時間は非常に楽しかった。また鹿児島県…ひいては九州の長渕剛聖地巡礼の際に向かってみたい場所だ。
指宿に到着す
そのまま、宮ヶ浜を出て自分は指宿に到着した。指宿では、鹿児島市内から抱えたと思われる乗客が一気に降車し、リゾート地としてこの周辺が一気に栄えている雰囲気を感じたものである。期間がGWとあり、更に多かったイメージだ。
列車はこの駅から折り返していくようだ。指宿枕崎線の列車は殆どの列車がこの指宿で折り返していくが、一部の列車に関しては先の枕崎や山川にも向かっていくようだ。
指宿というのは、九州。日本屈指の鰹節の産地のようだ。
こうして、宣伝の看板も記されているのだからきっと相当の量の鰹節がこの指宿から全国に出荷されているのだろう。
しかし、宣伝の絵画が漫画というのか美人画というのか圧倒されてしまい、逆にそちらの方に目が飛んでしまう。一体、この絵画を記した人は誰なのだろうか。
土産に鰹節の1本を買っていくのもアリなのか…と思ったが、全然自分はそんな事もなくこの指宿の街を後にしている。先に出オチを話してしまったが。
列車の停車中。折り返しの時間に方向幕の回転が実施された。現在ではこの方向幕の文化もLEDに変更され、『方向幕』という文化そのものが消失しようとしているのが非常に悔やまれるところだ。
しかし、キハ200形は平成3年に登場した気動車とあり、方向幕機能は現役で稼働している。そして、のんびりとした駅環境では折り返しの時間に慌てる事もないのでこう、ゆっくりと幕の回転を楽しめるのも一興だ。
何故かこう、車両のスペック上の問題だと思うが時々、あり得ない幕が収録されているのが方向幕回転観察の醍醐味だ。今回は、何故か鹿児島の車両だったにも関わらず『人吉』が収録されていた。
肥薩線での運用なども想定されていたのだろうか。
他にも、『五位野』の幕コマを発見する。
関西人たる者、この時点では出オチで『五位堂』が連想されるが、決してそうではない。
コレに関しては調査してみたところ、指宿枕崎線の線内の駅だった。
部分折り返しや、緊急時のUターンなどを想定した収録だったのかもしれない。こうした珍幕の遭遇も、幕コマの観察では非常に唆られる所なのだ。
下車印を調印して頂き、そのまま外に出た。いよいよ、日本最南端の鉄道路線のターミナルを観察する。
駅を出て少しした場所に、ポケットモンスター『イーブイ』とその進化系のぬいぐるみが展示されていた。
どうやら、指宿市を『イーブイすき』と準えた結果、この指宿市が指宿市の友好都市ポケモンに指定されたようでその一環として展示されたようだ。上のイーブイをはじめ、エーフィ、ブラッキー、シャワーズ、サンダース、ブースター、リーフィア、ニンフィア、グレイシアとそれぞれのポケモンたちが夢を見ているような格好になっているのだ。
駅前の交番付近には、こうしてイーブイのマンホールがある。
ポケふた、と呼ばれているそうだが自分はココと京都鉄道博物館付近のマリルリ以外見た事がなく、新鮮な体験だった。
この他にも、指宿市周辺にはこのようにしてイーブイのマンホールを多く並べてその愛を語っているようだ。自分はやはり、イーブイといえば…そのままの状態が1番好きですかね。
駅から歩いて
指宿の駅舎はこのようになっている。
簡素というか、現代の観光地を飾る駅といった感じだ。
関西に戻った際に
「指宿に行ったんか。砂蒸しの温泉は入ったのか?」
と聞かれたが、自分は完全に忘れていた。そうだ。この場所は砂の蒸温泉もあったのだと。
そして、この指宿は九州屈指の温泉地のようだ。指宿温泉へようこそ、と多くの宣伝が打たれ、鉄道でこの地へ来訪した人々を歓迎している。
自動車で移動するのも自分は悪くないと思うが、公共交通機関だとこうして駅や施設での手厚い歓迎を感じる事が出来る。その歓迎の余韻に浸り、観光地への歩みを始められるのもまた良きだろう。
自分は
「この周辺で食事できる場所はありますか?」
と尋ね、観光案内所で教えて頂いた場所に向かう事にした。
時間が時間だったので、営業している店は夜間営業に備えて切替の最中だった。あまりやっている店はなく、少ない状況で必死に探す。
駅の近くに、こうして古い看板があった。いつからこの街にあるのだろう。
自分のように、昭和や平成の看板や文字が大好きな人の心を揺さぶる光景を発見した。
『グリーンホテル』
のこの飾り気ない文字。そして、
『カラオケ』
の文字が如何にも躍っている感じ。そして、文字からダンサブルでミュージカルな空気感を出しているのが素晴らしい。きっと、ノリノリでバブリーな曲をひたすら入れてばかりの文字だろう。
現在はこうして古錆に時代の鼓動を隠して街に佇んでいるが、じっと写真を見ていても、感じる事や思いは非常に多い。こうした看板探しも、郊外に出ると非常に楽しいものだ。
食事は、指宿駅周辺で昼下がりでも唯一営業しているラーメン屋になった。観光地だったのも幸いだったろうか。こうして飲食店が存在しているだけでも感謝感謝である。
しかし、こうして飲食店を発見してもどうも回転効率や座席への案内が悪い。自分よりも先に待っている先客は非常に多く、また自分より後に来た客が先に案内される。そして、結果的には会計も遅れてしまう羽目になっていた。いくらGWだし、まぁ仕方ないだろうな…との諦めで見ていたが、しかし次第に客足と店のペースが詰まってくる。
自分でも幾らか我慢ができないというか、
「メシ抜きの方が良いんじゃないか?」
とまで過ぎったくらいだった。
しかし、そんな不安な眼差しで店を見つめていると、店長だろうか。当日の店のキャプテンだったろうか。その方が、
「ダラダラしとるよ!手が止まってる!」
と喝を入れてくださり、その声で店のペースが少しだけ上がった。
何となく、昔の自分を眺めている気分で恥ずかしい気分になり、非常に気まずい気分で食事に入ったのであった。
しかし、食事は美味かった。だが、店の雰囲気や店内の統一感、統制などを考えるとどうだろう。自分の写し鏡を見ているような気分で恥ずかしくなったので、あまり足が向くような店舗ではなくなった。
この一食を平らげるとそそくさと駅前に戻った。指宿観光は一通り終了したのである。
そして、駅に戻った。
この駅には、竜宮写真館というトンネルのような写真展示を行なっているギャラリーのようなばしょがあった。
その他にも、JR九州の車両を紹介する写真展示のようなものも実施していた。JR九州の写真展示に関しては、多彩な写真量で鹿児島以外にも宣伝が多く、鉄道ファンでなくとも見飽きないものを感じた。
そして、この時は観光列車・指宿のたまて箱が10周年を迎えていたのでその祝賀ムードで沢山だった。そんな年だったが、まともに列車を見れなかったのは非常に残念である。
改札内に入ってしまったが、指宿の駅前には足湯があった。この足湯にも浸かってみたかったが、時間がなく食事優先で行動してしまった為お預けになってしまい次回に回してしまう事になった。
自分は九州のグランドスラム・トリップのラストスパートに向かえる所までの進軍を考えたのだった。
山川行きの列車に乗車する。この列車で、可能な最南端を目指してみようか。