佐分利史子|愛情の森
Text|KIRI to RIBBON
スクリプトリウム《佐分利史子の写字室》には、モーヴ街3番地の図書館《モーヴ・アブサン・ブック・クラブ》に通じる秘密の扉があるとの噂——
英米仏文学を研究する二人の司書が選ぶモーヴ的、アブサン的一篇をカリグラフィ作品に仕上げることが写字室での主な活動ゆえ、アドベントの頃も夜な夜な扉が開かれていたに違いありません。
モーヴ街図書館司書・嶋田青磁さまが聖夜に向けて選んだのは、アブサン色の夜の中を歩く二人の青年のひそやかなソネット。歩くふたりの息遣いや鼓動が聞こえる嶋田さまの若々しい新訳と共に、佐分利さまのやさしい眼差しが注がれたカリグラフィの森の中をゆっくり歩いてみて下さい。
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ポール・ヴァレリー解説|嶋田青磁
——ナルシスの見つめる詩——
「風立ちぬ、いざ生きめやも」——宮崎駿の映画『風立ちぬ』で引用された詩句、これはポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』に書かれたものである。ヴァレリーといえば、わたしたちには詩人というよりも、残された厖大なノート(カイエ)や『精神の危機』などの著作から、「思考する人」というイメージが強いかもしれない。けれど、彼による詩は、驚くほど抒情的である。まるでたゆたう繊細な感性をつま弾くような……それでいてどこか硬質なものを感じるのは、やはり彼のもつ透徹した眼差しがあらわれているためであろうか。
ヴァレリーは、1871年に南フランスの港町セートで生まれた。父はコルシカ出身の税関史、母はイタリアのジェノヴァ出身で、地中海は彼の感性に大きな影響を与えた。「ほっそりとした顔立ちで、くすんだ顔色の、気まぐれで、歌うような声で話す」少年だったという。(抜粋)
『愛情の森』について|嶋田青磁
1890年12月21日、ヴァレリーからルイスへと送られた書簡に、この詩が添えられている。ちょうど130年前の今頃である。ヴァレリーは、この手紙の中でジッドについて次のように書き残した。
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私は「友愛(愛情)の森」という一篇のソネットを作りました(しかも、ジッドは私がそれを彼に捧げるのを受け入れてくれました)。(…)ジッドは、青年たちの中で、最も好ましい、最も夢見がちで、最も密かに音楽的で、最も情のある人間です。
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ジッドとヴァレリー、二人の関係は当初ルイスを介したものだったが、徐々に近しいものになってゆく。ヴァレリーは、「この前の夜、私たちはジッドと一緒に、月明かりのもと、(私のような)人間にとっては抑止したり、うまく導いたりするのがきわめて困難な、芸術家のあの内的生活についておしゃべりしていました。」と同じ書簡の中に書いているが、この夜は実際にはジッドとヴァレリー二人きりであったと考えられている。(抜粋)
「ポール・ヴァレリー解説」と「『愛情の森』について」の全文は以下をご高覧下さい。
ヴァレリーからジッドへ——やさしく注がれる愛情を語りかける口語体で瑞々しく訳出した嶋田青磁さま。ふたりの間にたゆたう親密な気配、息遣いや鼓動に現れる感情の機微が、歩くリズムに合わせて夜の森の中に静かに満ちてゆくのが見えるかのよう。
ページの上に刷られた一篇のソネットが、ひとつの風景として生き生きと立ち上がる嶋田さまの翻訳を、佐分利さまはふたりを包み込む森の視点で作品化しました。
「緑色の夜」色で綴られたソネットは、二人の青年の美しさを体現するようにどこまでも端正。時折、行を隔ててつながる文字たちは、ひとときの中でふたりの心がつながった瞬間を捉えているかのよう。
ふたりの静かな時間を見守るのは、「緑色の夜」の森——自ら手がけるフランス額装で、緑色の森から夜空へのグラデーションをなんと、幾重にも挟み込んだ紙色で繊細に表現! 額装含めた作品全体でソネットの世界を活写した圧巻の一作が、聖夜待つ夜空に煌々と輝いています。
ふたりを祝福するように降る星々、森が見守るようにふたりの関係をボックス型の額の中へそっと仕舞う設えに、佐分利さまの深い優しさを感じます。
この詩が添えられたのが「1890年12月21日」、ヴァレリーからルイスへの書簡。ちょうど130年前の明日——クリスマスの小さな奇跡がモーヴ街に降り注ぎました。
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作家名|佐分利史子
作品名|愛情の森
ガッシュ・アルシュ紙
作品サイズ|横26.5cm×縦24.5cm
額込みサイズ|横32.7cm×縦30.3cm×高さ4.3cm
制作年|2020年(新作)
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