【巻頭言】オリンピックとパンデミックとアポカリプス
日本政府は、2020年開催予定の東京五輪に、第2次世界大戦後の日本復活の夢を再びとばかりに大いに期待をかけていた。しかし、周知のように卑俗で矮小な感覚に支配された近視眼的政治観の自民ー公明政権下では、オリンピック開催は西欧諸国と日本の一部の資本家たちに、一儲けの機会を与えたに過ぎない。むしろ2021東京五輪は世界レベルでは形骸化した五輪の崇高な理念にトドメをさし、日本社会レベルでは悪貨の爆発的な循環よる日本の一部資本家層の拡大すらもたらさなかった。
さらに2021東京五輪は、(市民的意識ではなく)良くも悪くも庶民的道徳性によって支えられてきた日本社会の政治的・経済的崩壊を加速させたばかりでなく、”ひとつの人類社会としての世界”を大きく変質させる引き金ともなった。この点について、2021年度当時、日本社会ではsns(twitter・facebook)を通じて、多くの市民の怒りと焦りと諦念をまじえた訴えが投げかけられていたことは、風化した火事場の跡のように忘れ去られている。
学術の世界からも多くの識者たちが警鐘を鳴らすなかで、フランスの哲学者ヤスィクの次の議論を、その後の人類社会のありようを的確に示す議論の一例としてとりあげたい。
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......ルワンダ出身フランスの哲学者ヤスィク氏は、五輪開催に警鐘を投げかけ続けている。ヤスィク氏は本誌のインタビューに次のように答えた。
「おそらく、荒唐無稽な想像だが、日本人の好む「漫画」的展開を見せるこの世界では、次のように予言することは許されるであろう。そしてそれはおそらく的中する。
人類最高の人々の集まる選手村は、疑いなく世界の変異種の坩堝となる。そして幸運でもあり不幸でもあることに、選手たちには変異種を抱えつつも競技に没頭できる体力と集中力が備わっている。あるいは彼らの使命感は、ウィルスの存在を打ち消してしまうかもしれない。しかしもちろん、それは字義通り、ウィルスが失われることを意味しない。
選手村では世界最高の人々による隠された数々の人種の交配劇が演じられる。私の想像するのは、選手村の交配を契機に最高レベルの体力と精力を媒介とした人類史上最恐の新型種が登場するだろうということだ。
五輪開催はウィルスの最強の媒介者であり、かつ最恐培養者である競技者を一同に会することで、我々のウィルスとの闘いを新たなステージへと引き上げることになるだろう。それは人類史上未知のレベルのウィルスとの戦いであると同時に、すでにこの2年間で明白になったことだがー21世紀に露呈した20世紀思想の脆弱性について挑み続ける新たな人間性構築への挑戦でもある。」
(ヤスィク・タルカ・ジン「東京再考2021」『激動』2021年5月号)