こんにちは、撮る麻酔科医です。
OPEN HERNIA MOVIES始めました。
初めまして。私が今ハマっているのは、手術の動画を撮ることです。
麻酔科医は、術式、術者、患者さんの情報、研修医の有無などなどを、経験に照らし合わせ、ある程度予想して麻酔関連の器材や薬剤を準備するのですが、想定外の事が起きるたび、それに対処するとともに、自らの意識をアップデートしていくのです。
くるもの拒まずで手術麻酔を引き受けていると、時系列で見た場合に科や術式で偏りが出てしまい、同じ目的の手術でも数年ぶりなんてことに出くわします。そうすると、見たことのない道具や筐体があったりするので、コメディカルや業者さんから情報収集します。そうしないと時代から取り残されてしまいます。アップデート、大事です。
手術の麻酔を担当していれば、当然術野を見て全身管理をしますが、ひとつとして同じことにはならないわけです。同じ術式であっても、とてもすんなり終わったり、手こずったりします。
すんなり終わる症例はいい、と思います。患者さんの体の負担が少なくて済みます。一方で、始まる前から、誰が担当しても手こずるだろうな、と予想される症例もあります。
例えば、複雑な術式はもちろん、単純そうなものであっても、同じ場所の手術歴がある、とかです。切り傷が治る過程では、かさぶたが傷を塞ぎ、その後、内側からピンク色の前と違うものができてきて、いつのまにか元通りにくっついていますよね。外科的な治療は、概ねその働きに頼って作り上げられています。ある場所を切った後は、その場所の組織を縫い合わせることで、同じものをくっつけておくと、元通りにくっつこうとする働きがあります。その働きで、都合が良いものを「接着」、悪いものを「癒着」と呼んだりします。
お腹の中で、内臓は固定されているところと自由になっているところがありますが、手術歴があると、繋いだ部分の周辺がお腹の壁や周辺の組織と癒着して、自由に動けなくなったりするのです。再手術する時にはそこを剥がす剥離という工程が加わることになるので、その分長引くと予想するのです。
さて、仕事を始めた20年ほど前から今までを振り返り、要素をまとめると、時代の方向性が見えてきます。
以下、方向性の話ですので、大雑把なことを書きます。
手術をめぐる技術開発は、遅いようでいて早いと感じます。麻酔で使う薬は8割がた入れ替わったし、新しい術式の陰で、ほぼ見なくなった手技なんてのも数多あります。
新しい技術、大いに発展してほしいです。今まで出来なかったことが革新的なアプローチで可能になったり、同じ効果を期待する術式でも体への負担の少ない方法が考案されたりします。後者は低侵襲(ていしんしゅう)化と言い、大きな流れになっています。
低侵襲の代表、鏡視下手術は、体に小さい穴をあけて、細長いカメラを差し込み、その画像を見ながら、鉗子(かんし=ピンセットのようなもの)や電気メス、自動吻合(ふんごう=縫い合わせる)器などを用いて手術をするものです。傷が小さいぶん、回復が早いです。
私が仕事を始めた頃にはとっくに実用化されていましたが、術式はまだまだ限られていました。次第にあれもこれもと適用が広がるのに伴い、どんどん洗練されてきました。鏡視下でやるのが当たり前になった術式もあります。予定表を見て、そうではなく開ける方の術式が書いてあると、その理由を確認する方が大事な場合もあります。
同じ場所の手術歴があって周辺組織の癒着が予想される場合や、命に関わる合併症が複数あったりする、レアでシビアな状況の場合は、従来の方法でやろうか、となる場合があります。これは術前からわかっていて、新しい技術を使わない場合。
術中に急に、だめだ、やめよう、鏡視下手術となる場合もあります。血管などの重要な臓器を傷つけた場合は、さっさと開けて対処してもらえた方が、全体的なダメージが少なく済み、「さすが〇〇先生!」と内心思っていたりします。
つまり、みんながみんな、低侵襲手術の恩恵を受けられるとは限らないということです。
私の懸念はここからスタートしています。従来の技術の習得にかけられる時間が、相対的に、大幅に減っていることです。
シビアな症例、術中の状況でシビアになっちゃった症例でしか、従来の技術を使った手術が行われないのであれば、技術の伝承は難しいのではないかと。
若い先生が術者になり、麻酔導入中に話を聞いていると、先輩から「え?お前開けるアッペのオペはじめて?おうおう、わかった。教えてやっから。」みたいなシーンは10年以上前からちょくちょく目にします。
今はまだ大騒ぎになっていません。両方できる先生が現役で働いているから、なんとか持ち堪えている状況でしょう。でも10年後、20年後はどうでしょうね。今の年配の外科医を評して「絶滅危惧種」と言ったのは、酔っ払った状態の若い女医さんでした。確かにそうですわ。飲み会に車で行ったから素面で、よく憶えています。それにしても将来が怖い。なんとかならないものか。
若い外科医は大変です。新しい技術の習得に余念がない。アップデート、アップデート。一方で従来の技術はなかなか伝承されない。
だって、自分が患者になり、「あなたの状態は低侵襲の術式も可能ですが、技術の伝承のため、敢えて高侵襲の方でやらせてください。」と言われたとして、すんなりと「あ、いいっすよ。」と言えるかどうか、わかりませんもの。
今ある内視鏡手術は、ロボット手術もそうですが、カメラを使う以上、動画がふんだんに残っています。
対して、オープンでやる手術は、ちゃんとした動画を撮り、活用しようという機運が高まっているようには感じません。撮って残している先生もたまに見かけますが、大事なところで頭が邪魔したりして、質の高いものとは言えないことが多いです。
たまたま私は、オープンでやる手術の名手と言われる先生と働く機会を得ています。その先生は、鼠径ヘルニア、臍ヘルニア、腹壁瘢痕ヘルニアなどを得意としています。
ヘルニアという病態は、普通なら出ていないものが出っ張っているもので、中身と袋と出口の3要素があれば成り立ち、専門的にはそれぞれ、ヘルニア内容物、ヘルニア嚢(のう)、ヘルニア門と呼びます。体表だけでなく、椎間板とか、横隔膜とか、体のあちこちで起きるものです。
お腹のヘルニアの手術は、オープンでも、腹腔鏡でも、はたまたロボットでも行われています。それぞれに一長一短あるようです。
ただ、オープンでしかできない術式というのはあって、以前、学会の依頼を受けて、その先生のオペを録画したことがありました。
今思えば、かなりいまいちの出来ですが、その時はまあまあいいものが撮れた、くらいに思っていました。
カメラの発展と普及は近年めざましく、素人が高画質で長時間の動画を撮ったり編集したりすることが当たり前になったのは、素人が発信できる環境の広がりと相まってのことでしょう。特に一眼カメラの動画30分縛りが消えたのは、手術動画を撮る上で、かなりのメリットです。
この状況、将来の見通し、自分の置かれた環境、自分ができること。そういうのをつらつらと考えていた夜更け、「ちゃんとしたものを撮ってみよう」と思い立ったのです。体が包まれるような変な感覚でした。コロナ禍のだいぶ前のことです。
そこからは、機材を増やしたり(いわゆる沼)、撮り方を工夫してみたり、撮影のために少し待ってもらったりと、色々なことを経て、今に至ります。
オープンで行うヘルニアの手術の技術の伝承に、少しでも貢献できたらいいかな、と思います。