耐える晴天
相変わらず幻覚が見える。
これがなかなか厄介で、視界を邪魔するもののため、例えるなら、画面がバグったテレビで番組を見ているような状態である。
気力・体力はだいぶ回復した所で、
出来るなら今すぐにでも住み込みででも働きたいくらいなのだが、この幻覚のせいでまだその見込みはない。
ラップに関しても、
以前クラブで一方的に殴られるといった笑えない事件があって以来、あまり興が乗らない。
(親友だと思っていた女性が豹変したのでフリースタイルで気持ちを訴えたら連れ合いの男の一人に殴られた。その後DJブースで3バース、ラップでアンサーした)
また、ドラッグを避けて行動している自分には、クラブにはやや行きづらい、という側面もある。
ラップの事だけを考えて23〜31くらいの8年間、過ごしていたため、この空白には、少々参る所がある。
そこでちょうど自分には文学がある、と
改めて気付かされる所もあり、
ありあまった体力をぶつけて、
こうして文章を書いている。
金というものは本当に奥が深いもので、
30も超えてくると、人によっては昨日までの人相が豹変、人を変えるものである。
自分はどうにか文章で食い繋ぐつもりである。
しかしながら、赤目四十八滝心中未遂がごとく、甲斐性のない男からは好いた女が通り過ぎてゆくものだ、(質流れと言ってもよい)と言うことが分かった今、
気持ちこれ晴天がごとく、数年の泥水も今は昔、なんとなあく、晴れやかな自由時間といった感じである。
いかんせん、今は休息期間であり、
幻覚に耐えながら文章を書き、
たまに出掛けるなどして、調子を整えていきたい次第である。
了
梶本