いつもの煙草屋(短編怪談)
僕はよく、電車で20分ほどの場所にある煙草屋に行く。
そこは、郊外のさびれた商店街の裏路地にある店だ。
周りの居酒屋や鮮魚店がなんとか営業しているものの、ほとんどの店は、近所に完成したチェーンの大型スーパーに客を取られて閉店している。
シャッターの降りた、薄暗い商店街のアーチをくぐり、僕は煙草屋へと急ぐ。
僕の吸っている煙草は、フランスの少し珍しい煙草で、近所のコンビニはおろか、隣町の煙草屋に行っても置いていないため、毎回こうして電車に乗って、いつもの煙草屋に向かうのだ。
三つ目の角を曲がり、郵便局の前を通り抜けると、小さな看板が見えてくる。
「いつものやつ下さい」
カウンターには、古いタイプの婦人服に、こちらも古そうな真珠のネックレスを着けた小柄なお婆さんが、チョコンと座っている。
店内にはいつも猫が二匹おり、どちらも茶色で、年齢も人間でいえばお婆さんと同じくらいに見える。
「はい。カートンで6000円です。いつもありがとうね。」
お婆さんはいつもの緑のイヤリングを揺らしながら言った。
「おばさん、最近の店の調子はどう?」
僕はたまに気分が乗っているときなど、このお婆さんと少しだけ世間話をする。
「そうねえ。最近は皆、なんていうの?加熱式の、ああいうの無いですか?とか、巻きたばこないですか?とか、聞いてくれるんだけど、取り扱うか悩んでてねえ。あたしは、機械はよくわからないから」
お婆さんは困ったように答える。
「そうですよねえ」
「でも、そういうのを取り扱えば儲かりますよ」
「そうねえ。でも、あたしは古い人間だから、自分でもよく分からないものを他人様に売ったりするのは、嫌なんだよねえ」
「なるほど」
「またいらっしゃってね。ありがとう」
僕は帰宅すると煙草に火をつけながら考えた。
「あの店が無くなったら僕も困るなあ」
翌日、会社に出勤。
昼休み、いつものように弁当を食べると喫煙ルームへと向かった。
そこには、後輩の佐々木が居た。
「お疲れ」
「あっ、課長、お疲れ様です」
佐々木はうちの会社の営業の中でもトップの営業マンで、ガジェット類に詳しいことで有名な男だ。
「お、佐々木、煙草かえた?」
「そうなんですよ。この加熱式のやつ、節約にもよくて体への害も少ないんです。おすすめですよ」
佐々木は機械を見せながら説明してくれる。
「課長も、そんな珍しい煙草、買うの大変じゃないですか?この際、加熱式にしたらどうです?」
「う~ん…」
僕は、少し考えたが、
「いや、これが好きなんだよ。でも、ありがとうな」
と答えた。
このフランス煙草は、小学生の時に親に買ってもらって読んだ漫画の主人公が吸っていた銘柄で、二十歳の誕生日に初めて買って以来、ちょくちょく浮気をしながらも、この銘柄だけは吸い続けてきたのだった。
佐々木は、
「そうですか。まあ、興味湧いたら予備のやつ一本あげますよ。いつでも言ってください」
「サンキュー」
さすが営業トップ。気前がいい。
と、少し嫉妬しながらも僕は喫煙ルームを出ると、仕事に戻った。
その日は疲れもあり残業を早めに切り上げ、帰宅した。
家に帰りビールを冷蔵庫から取り出す。
プシュッ。
ゴク、ゴク…
「ふう」
一息つくと、DVDは買ったものの、見ていなかった作品を見る。
その物語は、老いた猫が、亡くなった洋館の主に化けて、客を接待しては次々に食べてゆく、というホラームービーだった。
僕は観ていると段々怖くなってきて、ビールをいつもよりも多めに飲むと、テレビの前で眼鏡も外さずに寝てしまったのだった。
翌日。
休日のその日、煙草屋のある町まで散策に出かけた。
港に行って空を眺めたり、スマートフォンで写真を撮ったりしたあと、さびれた洋食屋でナポリタン定職を食べる。
僕はいつもナポリタンを頼むので、店主の丸々と太ったおじさんに「いつものね」と注文せずにナポリタンを出される関係になっていた。
このおじさんは世間話が大好きで、近所の居酒屋の恋愛事情だの、近隣の漁港の景気だの、地回りの極道のもめ事だのと、次から次に話してくる。
「…それで、その吉岡って男が…」
だが、僕は世間話はあまり好きではなく、適当に聞き流していた。
その時、「だからあのおばあちゃん、寝込んでるらしいよ」
という一言が聞こえ、僕は
「あのおばあちゃんって、煙草屋の?」
と答えると
「そう。最近腰がもう辛いってんで、店をたたむか悩んでるそうだ」
そんな話を聞くと、僕はびっくりしてしまって、早々に定食を食べ終わると、
「ごちそうさまでした」
と会計を済ませ、例の煙草屋へ向かったのだった。
すると。
「閉まっている…」
なんてことだ。
2カートン買ってあるのでまだもつと言えばもつが、その先は…それに、お婆さんが心配だ。
「マジかよ…」
僕は呟くと、駅前のコンビニで雑誌を買い、しょげながら帰宅した。
休日明け。
いつものように煙草を吸いに行くと、いつものように佐々木が居た。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
「いやあ、行きつけの煙草屋がしまっちゃってさあ」
「だるいですね」
「俺も加熱式にしようかな」
そう僕が言うと、佐々木は、
「あ、じゃあこれあげます。これカートリッジです。もう一本持ってるんで」
「え、いいの?」
「いいですよ」
営業トップ、どこまでも気前のいいやつだ。
僕は佐々木の人事評価を上げたい気持ちになった。
「ありがとう」
「使ったら感想聞かせて下さい!」
爽やかに言うと、佐々木は仕事に戻っていった。
「ウーン、加熱式ねえ…」
僕は呟くと、機械をポケットにしまい、フランス煙草を吸い始めた。
二か月後。
カートンが切れた。
なんてこった、と思いつつも、加熱式の機械を取り出した僕は、ぎこちなくボタンを押す。
「煙、少ないな」
「ゴホッ」
むせてしまった。
「味がなァ…」
やっぱり僕は、あの銘柄が好きなのだ。
「あの煙草屋、やってないかなあ…」
僕は、電話することにした。
プルルル…プルルル…
出ないか…。
そう思った時
「はい」
なんと。
電話にお婆さんが出た!
「きょ、今日って営業してますか?」
「しております」
まさか!お婆さん、復帰したのか。良かった…。
電話口で向かう旨を伝えると、僕は喜び勇んでコートを着、電車に飛び乗った。
到着。
店に着くと、なんだかいつもと雰囲気が違うことに気が付いた。
店内の配置が変わっている。
そして、お婆さんの様子もなんだかおかしい。
いつもぼーっと朗らかに座って週刊誌を読んでいるお婆さんが、なぜか経済新聞を厳しい目つきで読んでいるではないか!
いつもいる猫が一匹居ないことに気付いた。
全てがおかしい…。と思いながら僕は
「いつものやつ下さい」
と言ってみた。
すると、
「銘柄は、なんでしょうか?」
と、お婆さんはまるで一見の客に応えるように言う。
「えっ!」
と思わず言ってしまったものの、僕は
「40番の青いやつです」
と答える。
「こちらですね。カートンでしょうか?」
お婆さんがいつもよりもだいぶ冷淡な様子で答える。
「はい」
「6000になります」
僕はお金を渡すと、首をかしげながら、帰宅の道へとついた。
あのお婆さん、ついに痴呆かなにかになってしまったんだろうか。
それとも、お店の経営が危うくてあんなに冷淡に…。
分からない。だが、また店が再開したのは、僕にとって喜ばしいことだった。
翌日佐々木にその話をすると、
「それ、絶対痴呆ですよ」
「腰悪くして精神的にも参っちゃったんでしょうね」
「かわいそうだなァ、そのおばあちゃん…」
どこまでも爽やかな佐々木を横に、僕はある決心を固めていた。
次に煙草屋へ行ったら、お婆さんに体調を聞いてみよう。と。
そして一か月後の休日。カートンが切れた。
僕は、あの煙草屋に行くことにした。
電車に乗る。
あのお婆さんの様子の変化が、痴呆によるものじゃなければいいんだが…。
お店に着くと、僕は仰天してしまった。
なんと、加熱型が店に並んでいるのだ。
「何が起きたんだ…」
店の配置も相変わらず、おかしい。
お婆さんは、今日も経済新聞を読んでいる。
よし。今日こそは、聞いてみよう。
僕は意を決すると、
「あの」
「はい」
お婆さんは相変わらず冷たい。
「腰を悪くされたと聞いたんですが、大丈夫ですか?」
すると
「誰に聞いたんですか」
と、怒り気味で返答するお婆さん。
やはり、何かあったのか?
「定食屋のおじさんです」
と僕が答えると、
「まったく!おしゃべりおじさんだよ!あの人は!」
と怒りをあらわにするお婆さん。
「お店、開いて大丈夫なんですか?」
と僕が聞くと、
「だからね」
「今、休んでるのよ」
休んでる?現にこうして、開けているじゃないか。
「え、だって、こうして店頭に…」
「ふふっ」
するとお婆さんは、爆笑し始めた。
「あなたもか」
「皆そういうリアクションするから、おかしくて…」
どういう意味だろう。と思っていると、
「私は、妹の美代子です」
「エッ、妹さん!?」
「姉は今休養中です。でも元気なんですよ。私は長いこと商社勤めしていて商売がうまいってんで代役に立たされてるのよ!」
「そういうことですかあ~!!」
だから加熱式が置いてあったりしたのか…。
煙草を買うと、僕は
「お姉さんにもよろしくお伝えください」
と伝える。
「はいはい、ありがとうね」
妹さんもにこやかに答えてくれる。
僕は安心して店を出た。
そして最後に気付いたのだった。
「今日も、猫が一匹だったなァ…」
だが、深くは考えずに、僕は帰宅の道に、着いた。
了