初めての投稿。+α①
今まで自分の好きなストーリーだけで構成した書きかけの小説を小説サイトに、どうしようもない悩みを掲示板に書いたりはしてきましたが
こうやって自分の思考云々をTwitterの誰とも繋がっていないアカウントで垂れ流す以外で初めてこう書きます。分からないことが多い。
まぁ、仕方ないかと思いつつ自分流で書いていきます。
まず生きてる限り、自分自身の悩み、誰かに抱く好意、善意、悪意、妬み僻み、なんて終わることがないものなのはしっかりと理解している。
それがないのは完全に人を辞めている奴くらいだろう。
私はまだ辞めきれていないからそれを感じる。辞めたい。
もしくは、
生きている限り続いていくものなら、早う死にたい。
自分でも気づかないくらい内心は感情的に書いているのかもしれないが。あくまでも「それが逃げる手段の一つ」という合理的思考で思いつく。
今までの人生を少し振り返ってみる。
口が悪くなるかも、いや書いてるから手が悪いのか?
大学中退親泣かせ浮気ゴミカス親父と、まぁお察しのポイズンな母親の間に生まれる。
この時に親父はまだ22だとか(23かも)、母親に至っては20。そして私が生まれるまでにも妊娠していたことが2回ほどあったらしい。よう知らんが
母親は自分が高校時代に何をしていたか私にはあまり話したくないようでそれもまぁ考えようにはお察し。
昔から子供の尊厳を平気で傷つけてくるような人だった。たぶん子供にもそう思う心があることを分かっていなかったんだろうなとは思う。それか自分も幼少期に同じような扱いを受けるのが普通だったらから、それ以外の対応を知らないのか。
「かわいいから」という理由で子供の容姿を貶してくる。
顔が丸いから「ぶーちゃん」だとか、「ちびまる子ちゃん」だとか、私はそれを言われるたびに怒っていた記憶がある。
そうやって嫌がったり、怒る反応を見せるたびに「冗談が通じないね」みたいな言葉を言われていた記憶もある。
10年以上前のことなのにしっかりと覚えている。脳に染付いているのを実感する。
この環境で自己肯定感、自己愛形成がうまくいくわけがないと。ちゃんちゃん。
今書いていて思ったが、母親、めっちゃ典型的ないじめっ子やんけ、ウケる。
小学校低学年の時にカス親父の不倫で親が離婚をし、今住んでいるあたりの地域に越してきた。
元々親父のことは大して好きではなかったが、離婚した後も血の繋がった親父のカスみたいなところを母親から聞いた、というより見ていて親父が母親にとってゴミクズということが子供ながら理解させられた。
再三毒親ムーブされまくっても結局その時、自分は子供という生き物で、母親の愛情を求める生き物だ。だから自分の尊厳が壊されたとしても母親のことが大好きだった。
だからこそ、その母親を苦しめた親父を憎んでいる。正直今もそれに囚われているし、ぶっちゃけあのカス親父がしたこと以上に親父を憎んでいる。殺したい。
だけど。母親はいつも私に「パパに似ているね」と言ってきていた。
確かに小学校低学年の時は10人中9人が私のことを父親似と言われるくらい顔が似ていた。(離婚前少なくとも仲良かった友達ほぼ全員にパパに似てるね!と言われた記憶がぼんやりある。)
というか母親は俗に言う弥生顔(面長?)、私は親父と同じで縄文顔(丸顔?)だ。そりゃあ顔は似てるわ。(今は母親似ですガ)
外見だけじゃなくて、食べ物の好き嫌いで被ったものがある度、親父と似た仕草をする度に
(私も)自分の嫌いな人間に似ている。と言われてきた。
それもやめてほしいと言った。散々言った。というか話を出されることすら不快だから止めてほしいと。なんならこの前も言った。
それで言われるのが毎回
「一応あんたの父親なんだからさ…」
実際にした行為は許せるものじゃないし、それにも確かに怒っているが。私はあなたのことを傷つけた人間だから、実の父親を、自分の半分の遺伝子を構築している人間を殺したいくらい憎んだ。憎んでいる。
だけど、あなたが突き付けてくるのは、私にはそのゴミカス人間の血が入っているという事実だけだ。
私は、自分がこの世で一番憎んで、この世で一番嫌いな人間でできている。
その事実は変えることができない。努力で変えられない。
これでどうやって自分のことを好きになれる?
どうやって自分のことを愛せる?
どうやって自分のことを許せる?
今も子供だが、自我が芽生える前も後も自分の存在を間接的にボッコボコにされてきた。実の母親に。
なんでだろうなぁ。
それでも私のことを「子供だから愛している」と言う。
その言葉受け取れる心を壊したのは自分自身なのにな。あ~クッソ笑える。
せめてだ、せめて
でも、あの人の子供だったとしてもそんなの関係ない。
こんな言葉を最後にいつも添えてくれれば幾分マシだっただろうになァ
まぁこうやって「あの時こうだったらいいな」を考えるのが一番の無駄なんだがな。
過去は消えない。
過去は呪うものであって、慈しんだり愛おしむものじゃない。
自分がマイノリティ、異端者であることを自覚して言うが
これを否定することが言えたり思えるのは、少なくともまともに、そこそこに愛してもらって、愛してもらえて、自分のことを愛せる。そして他人のことを愛せる。それが無自覚にできている人間だけだ。
全部戯言、戯言。
まだ人生の振り返りは続くよ。