気が付けば、1年が経過したらしい
時は遡る事、一年前……。
新たな舞台創造科の誕生であった。
皆さん初めまして。或いはお久し振りです。或いはそれは。
文明歌(あやあかりか)と申します。音読みと訓読みの二層読解式ハンドルネームです。
この度アタシ、本日2024年4月2日を以て、“スタァライト”されてからちょうど一年が経過いたしました。
(うるう日とかいう謎システムが挟まったせいで一日多いちょうど一年になります)
そんな事もあり、私がスタァライトに出会ってから起こったこと、その変化など、一年通した遍歴を記事にしてみました。
文章だけでは面白味に欠けるので、初見時の感想や当時のツイート、舞台創造科として制作した二次創作の画像なども挟みながら振り返っていこうと思います。
自分で自分を振り返るために書いた、完全自分用の記事なので大して読む意味は無いと思います。知らない人について語られた三万字の記事読んでも面白くないでしょ。
とにかく、個人的な一周年の記事です。スタァライトありがとう。
プロローグ
2023年のことです。
わたしは当時、やたらと心が荒んでいました。
それもそのはず、当時のわたしは学内のとあるプロジェクトリーダーを務めており、その責任とプレッシャーからか何度もメンバーと意見の食い違いが起こり、わたしの周りの方々まで気分を落ち込ませてしまう、『乾燥』みたいな人間だったと思います。
それはそうと、最近は少し「乾燥」が減り喉が楽になったかと思えば、花粉で鼻が終わっていますね。加湿器付き空気清浄機を購入すべきか迷ったのですが、どうにも空気清浄機って信用ならない。
そりゃあ、SHARPさんとかが出しているんだから、その名前を信じてないって訳じゃあないんですよ。でも空気って透明ですから。
しかも、空気清浄機って略すと「空虚」になりますじゃん?そゆとこも。
という事もあり、当時のわたしはだいぶ空虚に近かったと思います。
協同制作なんてゴメンだ~!と全ての物事を投げ出していた時、ひとつの作品が私の目に入ります。
それはスタァライト……ではなく、とあるインディー制作のノベルゲーム。
名前は本題から逸れるので伏せます。でも、当時はかなり有名な配信者などにもプレイされていたので、名前くらいは知っている人が多いかも。
基本わたしって、お土産屋で「人気No.1」って書かれているお菓子を買うようなタイプじゃないんですよ。路地裏にある個人経営の喫茶店に入りたい。
そういう事もあり、話題になっているそのゲームを遊ぶかは少しだけ迷ったのですが、「共同制作」を忌避していた当時のわたしにとって、インディー制作のゲーム、というだけで魅力的にも見えたんです。
そしてその勢いで6時間程度通しでゲームをプレイし終えたわたしは、感動していました。
元々ノベルゲーム好きだったこともあるのですが、その圧倒的な世界観と、人物描写に心動かされる。まさに感動ですよ。
美術館に行って生の絵を見ると、絵の、そして作者の息遣いが感じられます。わたしは作品を通して「作者の思考」を推察するのが好きなので、例に漏れず「どうやったらこんな作品を作れるのか!?」「作者についてもっと知りたい!」となるのでした。
その作者にはブログのような、ホームページが存在していました。
わたしは興奮気味にそのサイトをクリックし、一通り眺めていた時のことです。
そこに綴られている、ノベルゲームの制作後記の中に“それ”はありました。
影響された作品:
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』
わたしとスタァライトの出会いです。
4月2日
まず、わたしはスタァライトという作品について、名前すらも知らなかったんです。
元々アニメに疎いのもあるのですが、大抵原作漫画などの名前くらいは知っていたものです。しかし、そうではないのがスタァライト。(体言止め)
そして、『スタァライト』という単語をGoogle検索したときに出てきた画像は完全に予想外でした。
明らかに少女している。
もしかして:苦手
でしたよ。
わたし、実はジョジョを食わず嫌いしていたんですよね。
絵柄のせいでジョジョを読まない、よくあるパターンですよね。
わたしが読まなかった理由は絵柄が直接的に嫌という訳ではなく、「ああいう絵柄のものって大抵中身同じでしょ?」というものでした。
つまり、スタァライトもそういうことです。
まず、登場人物が全員女性という時点で怪しいです。あと全員高校生。
いや、いいんですよ。いいんです。これはそういう需要がちゃんとあって、ちゃんとそれに応えている正当なコンテンツなのです。
しかし、私の趣味では無かったことは確かです。
こういう、所謂「キャラ先行」がコンセプトの作品というのは、物語に深みが無く、作者の意図がそこに埋まっていないパターンが多い。
「作者の思考を推察する」楽しみ方をする私にとっては向いていません。
こういうキャラだけ出しておけば一定の人気が出ることが保障される、みたいな制作陣の作品に対する向き合いの「雑さ」があるんじゃないかと。
キャラものというのは基本的にそれ以上でもそれ以下でも無く、キャラを売るための作品なので、勿論キャラにはキャラごとに魅力が詰め込まれています。
でもそれだけ。キャラの評価が揺らぐことがあってはいけないから、キャラの魅力はただの魅力でしかない。
そこに現実味が無くて、いかにも偶像崇拝であるかのような光景を見るのがわたしには合いませんでした。
アンパンマンとかね。
あとは、露骨なターゲティングが見て取れるのも、拒否感があった理由のひとつだと思います。
先に述べたように、「路地裏にあるお店」に入りたいじゃないですか。
あくまで人は招いていない。勝手に入ってきたアンタが、偶然的にオレの作る料理が好みだった。がしたくないですか?
これ好きそうだし、こういうの作ったよ!どう?好きでしょ?みたいに押されるの、得意でない。
こういうキャラもの系の作品というのは、作者よりも受け手が原点にあるタイプの作品だと感じています。
受け手にこう捉えてもらう為に、作品を作り上げる。
そういうのでなく、作品というのはもっと思想が強くて、作者の独り善がりで、曖昧で、力強くなくてはいけない。そう思っていました。
わたしのプレイしたノベルゲームもまさにそのタイプで、その作品には深掘りする価値があって、深掘りしたいと思えて、その為には作者の人生を追う必要がある。
その一環として調べたのが『レヴュースタァライト』でした。
↑でもどうせ見るんだろ?見たから、スタァライトされたから、お前は今ここにいるんだろ?
そうです。
YouTubeで第一話が公開されていますね。
本当に流し見程度だったのですが、見ちゃったんですよ。わたし。
アニメには3話の法則というのがあって、第3話までで大体の作風が掴める。
そこまで見て合わなければ今後も合わない可能性があるから見るのを辞めていい。ただ、そこまで見ていないのに、「合わない」と捨てるのは違うぞ、という先人の知恵。
マーネ!!合わんけりゃ捨てりゃいーんすよ。作品なんて無数に転がる星のひとつに過ぎないスし。
半ば自暴自棄になりながら、わたしは一通り第1話の視聴を終えたのです。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第1話 鑑賞
フウ~~~~~~~~~~ッ。
お、おちつけ。
初見時の感想、“無い”です。
無い、というより、脳内【?】です。
脳内に無限の疑問とかでも無く、脳が空虚で満たされ、その中にぽつりとひとつだけ佇む【?】のマーク。全長4.9cmほど。
まず、「思っていたのと違い」ました。
私の予想では、もっとアイドル(?)達がこうキャッキャウフフして、露骨にスキンシップがあって、高校生らしくない高校生がご都合展開で話を解決して大団円で終わる物語。
これ違いますやんじゃん?
ジェットコースターに乗った後、「それほど怖くなかったな……。」と思ったことがありますよね?「こういうものだよな……。」と思いつつ、「こういうもの……か?」という違和感も存在していた。
まさに、歯車がズレたかのような。
本当によく分からないけれども、この時点ではこの作品が「良い」か「悪い」かで判断することが出来ず、評価は無に近かったと思う。
今もだけれど、当時のわたしはどこか「飽き」ていたのかもしれない、と思います。波の立たない生活を送っていましたが、それは波が立っていないのではなく、立っている波を認識できていない、みたいな違和感がずっとありました。
でも何か凄くて。
後半の「アタシ再生産」のバンクシーンは普通に、穿った見方をしていても惹かれるものがありましたね。わたしはセーラームーンのバンクシーンが好きだったので、その影響かな?と思っていたりしました。(後にそのバンクシーンを作った人の弟子の作品だと知る)
あとは、バンクシーンと併せてこれも毎話挟まるものだとは思ってはいなかったのですが、「レヴューシーン」の存在です。
元より新海誠作品が好きだったり、映像畑に居たわたしにとって、アニメ内で歌ものを流すというのはとても心惹かれるものがあります。(これもまた後に監督が映像畑の人間だったと知る)
そして、その裏に隠された意図についても、少し気になったのです。
先に述べた通り、こういうタイプの作品に深掘りする価値のある意図は存在していないと見ていたのですが、初見時でも分かる、どうにも気になった点がひとつありました。
それが、『タイポグラフィ』です。
見れば分かるし、何度も見た皆さんなら頷いていると思いますが、この作品、タイポグラフィが異常なんです。
普通のアニメ作品でそこまでやるか?と。
ここまでタイポグラフィに力を入れるアニメも珍しいし、このタイポグラフィを創り出せるデザイナーが存在していることにも驚きを隠せませんでした。
わたしは独学でデザインを学んでいたこともあり、エヴァンゲリオンなどアニメとタイポグラフィのマリアージュ性については日々考えていた事のひとつでしたから、ここに来てこれを見られるか、と薄ら喜びを感じました。(それもそのはず、後にエヴァは監督の影響された作品のひとつだったことを知る)
そんな事もあり、1話で切ってやる!と空に宣言していたわたしは、「これ、2話も様子見してみてもいいんじゃないか」と思うようになりました。
↑でもどうせ見るんだろ?見たから、スタァライトされたから、お前は今ここにいるんだろ?
そうです。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第2話 鑑賞
いやあ、見ちゃいましたね。踏み入れちゃいましたね。
YouTubeでは2話以降は公開されていないので、dアニメストア for AmazonPrimeの無料体験に加入して観たんですよ。
仮にも加入したって事は、その時点で全話見れちゃうわけじゃん?
はい、決まりーーーーーー
2話の感想。
引き続き、訳の分からないままではありました。
ただ、今思えば当時のわたしの心を動かした大きな理由がこの回にあったのです。
「観客気分なら出てって」。
トップでキラめく主席の姿を見てはしゃぐクラスメイトたちに対して、星見純那が発したセリフです。
当時わたしが担当していたプロジェクトで起こっていた状況は、まさにこのままでした。ここでわたしは自分を客観視することが出来たと思います。
わたしはこの作品に出会う前から、「観客気分なら出てって」とか「喋りすぎだよね」とか容赦なく言うタイプでした。
憧れは常に目標であるべき。達成する気が無いのなら、口にしない。全部が「やれる」か「やれない」かで、「やる」か「やらない」かではない。日常のすべてが学習だし、息抜きは悪。
みたいな、本当に酷いです。自分の中だけに留めておけばそれはよいのですけど(ずっとそうだったし、今もそうしています)、自分主体としたプロジェクトだったこともあり、不慣れな自分は思想ごとプロジェクトに押し付けてしまっていたと思います。メンバーには本当に申し訳ないと思っています。
そういうわたしと純那ちゃんが重なりました。
自分を客観視したら、こういう風になるのか。少し胸が痛むと同時に、安堵を感じていたわたしがそこに居ました。
「わたしの考えは、間違ってはいなかったんだ」
文明歌がスタァライトに救われた初めてのシーンは、この時でした。
今までこの思考で人と意見を交わすことが多く、自分の思想は他人に押し付けるべきでないし、かと言って他人の思想にわたしが染まるわけにもいかない。
結果として、私は個人で生きる道を選択していました。
別に分かり合えないのならいいし、私個人の方がこの思想のおかげでより成長していける。
今もずっとこの思想だし、別にこれで満足しているし成長もできているのでひとりハッピーな状態で居るのですが、当時は「わたしが“おかしい”から」だと思っていたんです。
そんなわたしに、「こういう考えをしている人は他にもいる」と教えてくれたのが、純那ちゃんです。
勿論この回は純那ちゃんのこの意見が正義として描かれているわけではありません。ただ、悪としても描かれていないのです。
「そういう考え方の人が居る」、それだけ。そういう考えの、色んな人たちがぶつかり合う作品なんですから、それだけでよいのです。
それを描いてくれただけで、ずいぶんと私は救われた気になりました。
しかし捻くれていた当時のわたしは、ここで嫌らしい見方をしています。
「粗探し」です。
わたしが抱いていた、「キャラものは雑」という思想を正当化する理由を無意識に探していたんだと思います。
だって今までそうだったし、これもそのはずだから。
しかし、これにはやはり「違和感」があるッ。
わたしが2話で特に注目したのは、カットを切り替えるタイミングです。
なにか、普通のギャグコメディで、のほほんとした作品では使わないようなカット割りがされているんですよ。それでいて、ホラーというわけでもなく。
ドーナツを初めて見た人は、きっと「なぜここに穴が空いているんだろう」と思いますよね。この映像もまさにそうでした。(?)
「何も無い」けど「何かを感じさせたい」、そんな気がしました。
純那ちゃんが倒れたり、(日常モノって大抵誰か一人は倒れませんか?)あからさまな学園日常モノの定番を踏みつつも、そうではない何かが隠れている。
わたしは映像作品のコンテを読むのが好きでしたから、特にこういう演出には敏感でした。
という違和感を抱きつつも、「制作陣が拘りを持っていない為に起こる演出のガタ」であるパターンを何度も見てきたので、これもそのひとつだと思いつつ、この日は視聴を辞めました。
ここからが私の波乱万丈な人生の始まりでした。
4月3日
というわけで翌日を迎えています。
結局スタァライトから私は離れた。もう続きを見ることは無いし、今からいつも通りの日常を過ごす予定です。でしたが。
じわじわと続きが気になってくるんですよね。
本当にじわじわと来る。昨日の記憶と好奇心が。
イカゲームか、ってくらいじわじわ来ます。
途中で一回解散したけどまた参加するやつです。
結局、わたしはこれを恐れていた。それが例えどんな駄作でさえ、一度足を踏み入れたからには最後まで進みたくなってしまう。
束縛の呪いエンチャント。
サプリメントくらいじわじわと来る。継続的に摂取しないといけないタイプ。医療用医薬品でなく。キムチ鍋くらい。辛っ!何が美味しいのこれ?で数日後にまた食べたくなってくるやつ。味が分からなくても食感が美味しいんだよ。そうしていくうちに味が好きになる。
あとニコチン。(最悪だよね)
そしてわたしは帰宅し、疲れ果てた身体で第3話を視聴するのでした。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第3話 鑑賞
真矢様回。
露骨に3話で次回が気になる終わらせ方してきたな、と思いましたよ。
とにかくこの回は「気になる」が詰め込まれた回ですね。本当に監督、上手い仕事をしてます。
というか、TV版スタァライトってツッコミどころ多いじゃないですか。
第1話の時点で、学校に地下劇場があったりキリンが喋ったりと(後に単なるギャグではない事が判明するのですが)、わたしは脳内でツッコミを入れながらも「設定が適当な作品だから」という推察で無理矢理納得し視聴していたのですが、
恐ろしいことにわたしはこの時点でスタァライト節に適応してしまっていたのです。
大場なな買収シーンとか愛城華恋ガチ監禁シーンとか神楽ひかりマジビンタシーンとか、もう「そういうもの」として受け入れてしまっていたんです。
つまり、おわかりですね?
……わかります。
第3話の時点で、
・好奇心が唆られている
・心を動かされている
・慣れてしまっている
の三大チェックリスト全て該当です。
はい。
視聴続行です。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第4話 鑑賞
はぁ~あ。
dアニメストア加入してるんシ。ま見てやってもいいけど(笑)
みたいなツンデレ掲げて見てたと思います。神楽ひかり脱走回です。なんやこいつ?って見ながら思ったけど、未だになんやこいつ?って思ってる。なんやこいつ?
相変わらず初見時の感想は「わからない」まま。
でも段々と、ぱっと見でわかる程度の情報なら言語化出来てきていたと思います。
一番印象が良かったのが、華恋とひかりのチャットシーンです。
実はあれ、凄い生々しいんですよね。
チャットの内容自体ではなく、文章を「小分けにして送る」ところ。
まさに今時の高校生が感じられて、急に彼女たちとの距離がグッと縮まった気がしました。
(と言っても6年前のアニメですが。)
確実に赤外線通信をしていた人たちがしない使い方じゃないですか。
しかも、その時代を大人として生きていた人達が作るアニメって、自然とこうはならないと思うんです。なので、監督か、その周りの制作陣の方の中に凄い解像度の高い人が居るんだなと感動しました。
特にこの回はレヴューシーンも無く、聖翔の“外”に出る回だったこともあり、より身近に、地続きの世界なんだと感じることが出来たと思います。
マジカルな何らかのパワーが存在していたり、ハンマースペースがあったりみたいなそういう解決の仕方ではなく、そこには「私たちと同じ根拠」が代入できる世界であるとわかったんです。
これがあったから、『キラめき』が自分も感じられるものだと思えたのでしょうね。
ファンタジーもので「魔素の流れを感じるんだ・・・」とか言われても出来ないじゃん。無いから。違う世界だし。
でも、この世界が私たちの生きる世界と繋がっていると分かったことで、今『キラめき』が分からない → じゃあ『キラめき』とは何だ?探そう、とわたしがこの作品に対して追求の姿勢に変わった回でもあると思います。
ちなみにアニメの良いところって、一話が25分程度で終わる事ですよね。
100均であれもこれも100円だから!ってカゴに入れ会計したら普通に高いですからね。「あと一回」「あと一個」という自分に対する甘えが連続(コンボ)で発生するタイプのものは危険です。
でもわたしは偉いので、睡眠という選択肢を取っています。
好きなものは数日に分けてゆっくり食べるタイプなんですよ。だから心のどこかで、この作品を一気に消費してしまうのは勿体ないと感じていたのかもしれませんね。
4月4日
おはようございます。当時のわたしは(今も)生活リズムが壊滅的だったので、起きたのは夜だったかもしんない。知るか!
それからというもの、わたしはスタァライトの魅力に気が付くというより、「続きを知りたい」「見届けたい」という一心で見続けていました。
さらに偏見は薄まり、「キャラもの」「日常もの」という枠組みを気にせず視聴することが出来るようになっていましたね。サイコー。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第5話 鑑賞
まひかれ回でした。
しかし、当時ここで印象に残ったのは、大場ななとまさあめが階段で話すシーンでした。
大場ななのキャスティングに対する感情。
この時点ではまだ『再演』については明かされておらず、わたしは単純に「変化」が怖いのだと捉えていました。私もそうだったから。
変化が怖くて、その先に待ち受ける結果が分かる頃には、もう戻れなくなっている。
私はこの「不変」に対する強い感情を鬼舞辻無惨的思考と呼んでいたのですが、聞こえが悪いのでこれからは大場なな的思考と呼ぼうと決めた瞬間でもありました。
あとはまあ、メインのまひかれパートです。
露骨な百合表現にちょっと拒否感を覚えました。わたしは百合が嫌いというわけではなく、リアリティに欠ける表現が苦手です。
需要の為にキャラが無理矢理動かされているのを見るのが嫌なんです。
普通同級生の使ったタオルや水筒をそんな目で見ますか?
でも思いましたよ。
愛城華恋が同級生ならそりゃするでしょうね……。
はい、以上です。露崎まひる、あんたは何も異常じゃないよ。
4月5日
おはようございます。
唯一の悔いとして、スタァライトをなぜdアニメストア無料体験で初見視聴したのか、ということがあります。
無料体験だからなのか、何故か視聴履歴に残っていないんですよね。
なので日時を推測で決めています。恐らく一日に1~2話ずつ進めていた気がするのです。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第6話 鑑賞
ふたかお回。
この回は純粋に、「ええなあ」て見れる回ですね。
本筋である「華恋とひかりの約束」から逸れて、一話まるまるふたかおが楽しめます。
ここだけ有り触れたアニメの一話みたいで、逆に新鮮味があり楽しかったですね。二人の関係にだけ注目すれば話がわかります。
この回はこの回単体として、「わかります」が出来る良いお話です。
幼馴染設定は王道だけど良いですよね。
そして、穏便に終わったこの話は「嵐の前の静けさ」であったことをまだ知る由も無く————。
4月7日
一日飛んで、4月7日。
やっぱり、わたしはスタァライトが見たいんだ。少し間隔が空くと、やっぱり自分は既にスタァライトの虜になっていた事がわかりますね。そうですよ。
というわけでいよいよやってきました。問題の回です。大問題です。
ここで、わたしのスタァライトに対する考え方は大きく変わる事となります。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第7話 鑑賞
大場ななという、ひとりの舞台少女に対して掘り下げられる回です。
まず、わたしが感じたことは、大場ななに対する強い「共感」です。
というかこれ大場ななのメンタリティそのものなので私がここで細々と書く意味無いんじゃないか、というくらい同じことを考えていました。
本当に。
「大場ななが全く他人として、初見で第7話を見た時」と全く同じだと思ってください。
わたしもあの時をもう一度過ごせたらいいと何度願ったことか。
これに関しては本当に、言うこと無いです。大場なななんで。
凄い苦しくなりました。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第8話 鑑賞
で、続けて見るよね第8話。7話と8話を別々で見た人なんてリアタイ勢くらいしかいないんじゃないですか?それくらいの衝撃でしたからね。わかります。
わたしがスタァライトを、スタァライトとして受け止め、好きになったのはこの8話でしたね。
ここでは打って変わって、ロンドン時代の神楽ひかりに焦点が当てられます。神楽ひかり回。
で、これもまた……「共感」でした。
ええとまず、部屋が汚くて一人暮らしというところとか。
彼女は4話で水族館巡りをするほどくらげが好きだと分かった時点で、どこかシンパシーを感じていたんですよね。
そうではなく。
私が彼女に深く共感したのは、『“キラめき”を失う』シーンのことでした。
以下、作中の台詞を引用しながら進めます。
神楽ひかりは、オーディションでトップに立てなかったことにより、“キラめき”を失うこととなります。
明らかに、彼女から「何か」が無くなっている。
何が無くなったのか?何故、無くなったのか?
何が無くなったかは作中で語られている通りです。“キラめき”。
なら、ここでは「何故無くなったのか」を考えるべきです。
作中ではオーディションによって「奪われた」と描かれていますが、これはあまり現実的ではありません。
先述したように『キラめき』が現実にも存在し得るものの表現だとした場合、このオーディションによってキラめきを奪われる、という行為にも現実に存在する何かのカリカチュアである可能性があるのです。
そこで、オーディションによってキラめきを奪われる、「点」として捉えるのではなく、オーディション以前の日常、オーディション中の起伏、そしてオーディション後の味気ない日常。
これらをひとつの繋がった「線」として捉えた時、「“キラめき”が無くなった理由」は「行為」ではなく「状態」へと変化します。
わたしが共感したという理由。わたしが過去の経験から推察したのは、これが所謂「鬱に近しい状態」にあると考えました。
「何も、無くなった……。」と神楽ひかりは心の中でそう認識した瞬間、舞台の照明は落とされ、画面全体が灰色へと変わります。
これまでの法則からするに、『舞台は舞台少女の感情と連動して動く』ことが分かっています。つまり、あのシーンは「舞台の照明が落ちた」と同時に、「神楽ひかりの世界から色が消えた」ことを表しているのだと私は感じたのを覚えています。
端的に言うと、私もその経験をしたことがあったのです。
詳細を話すほどのことでもないので省きますが、わたしは一度、心に深いショックを与えられたことがあります。当時は今と比べものにならないほど未熟でしたから、今となっては些細なことでも耐震補強がされていなかったので、それがわたしの人格に深い影響を及ぼしてしまいました。
当時のわたしも、所謂「鬱に近しい状態」だったと言えるでしょう。
近しい状態、というのは正確に病院で診断されたものでは無いためです。
ただ、あの当時は本当に世界から色が消えていました。
そこから何も感じなくなって、「こういうものを見ると、自分は楽しいと感じる」みたいな経験則だけで作り笑いをするようになりました。
まるで全ての記憶が抜け落ちたようでした。
世界三分前仮説というものがあります。
実はこの世界は実は三分前に、急に出来たものです。
え?でも昨日食べた夕飯が思い出せるって?
いやいや、それは「昨日も、一昨日も、それより前もずっと過ごしてきたという記憶がある状態で、“三分前に生まれた”」からだよ。
違う?でもそれを証明する手立ては無い。でしょ。
まさにこれです。日常と、自分に関するすべての事を「そういう設定」として捉え、接するようになりました。
今思えば、私が日常において“演じる”ことを覚えたのはこの時でした。
(後に劇場版の華恋に対する共感に繋がります)
話が暗い
はい。鬱の話なんて調べればいくらでも出てきますからそっち見てくださいね。
最近なんかミネラルやらビタミンやらが精神にまで作用するとか言われてるので、「鉄分」と書かれたグレープ味のゼリー飲料を啜っています。
プラシーボだかなんだか知らないけどまあ調子いいんじゃないでしょうかね。でも絶妙に後味悪いんですよアレ。
グレープ味に無理矢理変えているせいなのか、グレープ味にすることによりあれでも抑えている方なのか分かりませんが、鉄って感じの後味がして好きくないですね。
神楽ひかりもこれ飲んでなかったせいで鬱になったんとちゃいますの。
プルプルしてるの苦手だからって。
というわけで、なんか精神状態まで摂取した栄養に影響されているとか聞くと、心ってなんやねんって思いますよね。もっと、ロマンティックに扱われているからには肉体と完全に切り離された状態であれよ。
というわけで、私はこの回で神楽ひかりにひどく共感しました。
彼女の置かれている立場、そして経験。讃岐うどんが好きなところ。
(一方的な思い込みでしょうが)共感できる境遇に置かれている人だからこそ、それでも前に進んでいる彼女の姿を見習うことが出来る。
文明歌のアイコンが神楽ひかりの理由です。
で、レヴューシーンです。
前回の第7話で痛いほど共感した大場ななと、この第8話で深く共感した神楽ひかりのレヴューです。
当時の初見感想がメモしてあるので、それをそのまま記載しますね。
「第二幕 華、ひらくとき」
ここで完全に持って行かれました。
私の好きなもの全部詰め合わせ。犬が笑顔で尻尾振ってこっちを見ている時くらい私の事この作品好きなんじゃない?って思える。
上から東京タワーが降ってきて(?!)、海面に刺さり(水どこにあった?!)ザパーーーーーーーーー!!!!!(うわ水!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(水が好きです))水の中で戦う????????!!!!!!!!!!!!!わーーーーーー戦ってるところが見えないカット!!!!!!!あーーーーーーーー!!!!え、これあれやる?え、これ!あれ?やる?!え・・・(斬撃が波を割る)あ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんでそんな事する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
大興奮でワロタ
4月8日
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第9話 鑑賞
じゅんなな?ななかれ?回ですね。
あほみたいに落ち込む作品であることがわかり、大分精神状態がヤバくなっていたと思います。当時のわたし。
さて、この回に関しても特に言うことがありません。
大場ななと似たようなことを感じていた人が、大場なながその問題を解決することにより連鎖的にわたしも解決する、というお話です。
特に言う事は無いのですが、私自身の人生観が変わったひとつはこの回にあったと思います。
わたし、以前は大場ななのようにスマホ片手に写メをパシャパシャ撮る人間だったのですが、スタァライトに出会って以降、写真を撮ることが少なくなりました。
これは舞台という存在も大きいです。
一度きりの舞台だからこそ美しい。再演した舞台は、別の舞台だ。
だからこそ、私は今という瞬間を、この目で楽しんで焼き付けたいという人生観に変わったと思います。
今まではなんとしてもこの日常を残しておきたくて、戻りたくて、縋るように写真撮りまくっていましたから。
今を楽しもうね!本当に。気付いたらもう4月でガチ焦りしてます。
昨日初詣行ったはずなんだけど。本当に許せない。本当に許せない。本当に許せない。本当に許せない。本当に許せない。本当に許せない。
これ、時の流れに対して「適応する」という選択肢、無くないですか?
「受け入れる」という妥協しかできませんよね。最悪だよ!
最悪だよ!
4月10日
完全にスタァライトに染まったアテクシ。
う~ん、ぐっどぐっどですよ(脳死)
さて、本日も。もちろん。
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第10話 鑑賞
一通りレヴューを終え、今の自分の感情と向き合った9人の舞台少女たち。
その姿は、前と比べてどこか成長した雰囲気を感じさせながらも、そこに薄らと漂う緊張感。
レヴュー・デュエット回ですね。
この時にはすでにレヴューのノリに乗り気でしか無かったので、レヴューデュエット=共闘という熱い展開に心を燃やしながらひたすら頑張え~~~~~~!!!!!!!!!!!!していました。
あと真矢クロ口上シーンの3Dワークが凄いなと思いましたね。
これ、本当に凄いです。やっていること自体は単純なんですけど、これをやろうという発想と、勇気と、実際にやってみせる度胸。
「テレビアニメでこんな事する……?」と困惑をしていました。
で、まあ無事にかれひかが勝利を納めたわけなのですが。
ですが。
あと2話残ってんジャン。
ここでハッピーエンドで終わると思っていた私も居ました。
ですがそうはさせてくれない。
なんで????????????????????????!!!!!!!!!!!!!!!!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン
4月11日
ハァ、ハァ、ハァア
オエ—————————————————————
フゥ~~~~~~~~~~~~~~~~・・・
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第11話 鑑賞
怖い
アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話 鑑賞
みんなごめん。大抵、最終話の感想が見たいんだと思うけど。
マジで記憶ないでゲソ。
何を見せられたのこれ?
です。
最後の最後で、OPが流れた時は本当に泣いた。勝手に涙が流れていた。
胸が熱くなった。深く考え込んだ。しばらく放心状態だった。
しばらくして、やっと震えながらも思考を取り戻してきたときにツイートをしていたので、参照します。
何言ってるか今見るとよく分からないけれども、多分こういう事です。
最初はスタァライトという作品のことを、
監督がやりたい要素にシナリオが追い付いていなくて、映像先行になってしまっている。いわゆる戦隊もののように玩具先行で考えられていて、監督の詰めた要素が複雑すぎてそれを支えるストーリーが不十分になっている状態のアニメだと思っていた。
しかし、最後まで鑑賞すると、ギミック(要素)ではなく、コンセプト(思想)にシナリオ(物語)が追い付いていない作品だったとわかる。
明らかに、12話でやるべき話ではない。
どうやらそれは制作陣の方々も感じていたことのようで、この不十分感は後に劇場版で回収されることとなります。だから気に入った。
これはどういう意味なのだろう?よく覚えて無いです。
多分、最初の方に感じていた「カット割りの違和感」がこの着地の伏線だった、とかそういう事だと思います。
そんなこんなで、強く心を揺さぶられた私は、無事スタァライトを全話視聴したのです。
いやあ、とんでもない経験ですよ。これ。まさかこんな事になるとは。
一週間でわたしはとんでもない嵐に巻き込まれた気がする。
どうしてくれんのこれ?
本当にこれでした。
最終話でOP流れるアニメにオタクは弱いんだよ。
数クールある作品なら1期のOP。1クール作品ならOPの2番。
泣くんですよ。流されるとさ
4月12日
おはようございます。気分は晴れません。
幕間
スタァライトを全話視聴し終えたわたしは、劇場版について関心を抱きはじめます。
丁度わたしがスタァライトを視聴し終えたとき、偶然というべきか、はたまた奇跡というべきか、それとも運命か。大阪で『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のライブ音響上映が行われる予告がされていたのです。
日時は一週間後。
えぇ……??
そもそもわたしは、この時点で劇場版スタァライトが公開から約2年経過していて、未だに再上映されている事を疑問視すべきだったのですよ。
でもこんな機会はまたとありません。(ありました。この後も再上映されるなんて思ってもいませんでした)
そう感じたわたしはその手で上映のチケットを購入し、映画は劇場で観られる限り必ず映画館に観に行けと言い続けてきた誇りに誓って大阪まで足を運ぶことになるのでした。
ちなみにこの日、わたしはスタァライトを友達に布教しています。
半ば、というよりだいぶ無理矢理誘いましたね。
「レヴュースタァライトっていうアニメが面白いんだけど、見ない?!」って。
あと、この時の誘い方が無意識で完全に神楽ひかりでした。
本当に何も考えて無いです。素の布教の仕方がこの強引さ。
今見ると面白いですね。こんな事あるんだ。
ちなみに布教された友達は今や見事にスタァライトされ、立派な舞台創造科になっています。ありがとう。
4月18日
この日は「例の件」前日でした。
私は“それ”に備えるため、深く考え込みながら一週間ほどブランクが空いたものの、再びスタァライトの舞台に上がることになるのです。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The LIVE- #1 revival 視聴
まず、わたしは舞台版のスタァライトを見ました。
心を慣らすためです。
わたしは当初2.5次元というものを受け止め切れるか、少し不安に感じていたと思います。たぶん、アニメの第一話を見ている時と同じテンションで見ていたかも。ふ~ん?(笑)
この時点ですでに噂程度には聞いていたのですが、アニメ時空の九九組とはキャラの設定が大分異なっている点について。
わたしは特に気にせず楽しむことが出来ました。むしろ面白いほど別時空の九九組たちが見れることで、気軽に視聴を進められて助かった節もあります。
特に純那ちゃんの露骨なまでのオタク笑いは印象的でしたね。あれはあれで好き。あと全員ギスギスしすぎている。あなたたち仮にも、クラスメイトだよ?!
(この後に観に行く劇スではさらに最悪の空気が見られますが)
そして驚いたのは、ライブパートの存在です。
わたしは舞台を丸々2時間程度続けて上演すると思っていたので、急に歌を歌い始めた時はびっくりしました。歌上手っ。なんで?なんで歌上手いんですか……?いいなあ
ということもあり、自称初の2.5次元鑑賞にしては拒否感無く観れた方だと思っています。「自称」と書いているのは、実はわたしが過去に何度も2.5次元を観ていたことがあったことが発覚したんですね。無知すぎた。
記事の少し後にも書いているのですが、どうやら私は幼少期から「2.5次元」なる舞台に近しいものを何度も親と観に行っていた経験があるらしく、その時に受けたキラめきが今まで刻まれ、残り続けていたんです。
もちろん当時は「2.5次元」どころか「舞台」という言葉すら知りませんでしたから、自分は舞台が好きなんだということに気が付いておらず、ここにきて、まさかの。
ので、この時に何らかのトリガーに判定が当たって、わたしの舞台好きの心の封印が解かれようとしていたんだと思います。
この直後にわたしは劇スと#2を浴びることにより、その封印は完全に解き放たれることになるのですが。
そして、劇場版を観るという事は、その前にもうひとつ観ておかねばならない作品があります。
総集編です。
総集編?つい先週見たばかりなんだけれども……と舐めてかかったわたしは愚かでした。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド 視聴
感想は……うん。これも特に無いです。
先に言うと劇場版見た感想も特に無いんですよ。圧倒され過ぎて。
何を言えばええのん?
しかもあれだけ綺麗に終わったTV版スタァライトをこんな不穏な終わらせ方によくできるなと??!
濱さんの「再構築=再生産」されたタイポグラフィはこれまた鳥肌ものでしたね。
一度紡がれた糸を解いて、新しく編み直す。
こんな芸当が出来るのかと驚きました。
また、レヴュー曲がアレンジされていたりと確実に「総集編」で済まないことをしているのにも関らず、総集編として世に出している監督には腹が立ちましたよ。最悪(最高)です。
あと何より全員分のアタシ再生産カットがあるのがいいね。すごくいいッ。
点滅しながら前を向くの考えた人天才でしょ。
純那ちゃんが再生産したときに流れている、The Star Knowsのエレキギターが凄く好きなんです。
弓が弦としてギターと繋がるというのもあるのですが、純那ちゃんって精神がロックだと思うのです。「殺して見せろよ」、とかもそうですからね。
ロック大好き。
4月19日
そして迎えた、今日という日。
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』
なんばパークスシネマ ライブ音響上映。
私は早朝から自宅を出発し、大阪へと向かいます。
というか血(?)で終わったロンドが気になりすぎてまともに眠れてません。
一足早くなんばパークスシネマに到着したわたしはチケット発券を先に済ませ、上映が始まるまでの時間は無計画にたこ焼きを貪るのでした。
口に入れたたこ焼きが熱すぎて吐きそうになっている最中に気付きを得たのですが、わたし、どうやら元から舞台というものが好きだったみたいなんですよ。
幼少期から実は舞台や2.5次元を観ていた事をここに来て知ります。
確かにわたしには何か好きな「それ」があったけれど、舞台という言葉を知らないまでに「それ」が舞台だとは分かっていなかった。
なんとも愚かな話ですが、ここに来てようやく自分の好きだったものが舞台であると、言語化に成功したのです。
そして運命の時間が近づきます。
わたしのチケットをよく見て、座席番号を確認し、席に着く。
これは余談なんですけど、なんばパークスシネマのライブ音響上映、上映前の予告みたいなのが一切無いですね?
急に始まったのですごいビックリしました。
キネマシトラスのロゴを上映前の予告と勘違いしていたらいきなり爆音でトマトが弾けたので理解が遅れました。
上映前の予告ってあれ心の準備の時間なんだけれども。無いじゃん?
劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 鑑賞
?
何を見せられていたの?
皆さんお分かりの通り。というか皆さんが経験された通り、これのみじゃないですか。語る事も無いですよ。なんだこれは。
意識が薄れたままわたしは気付いたら劇場を出ていました。
とにかく、終電までには家に帰らないといけないので、大阪の地下鉄に揺られながら私は思うわけです。
何を見せられていたの?
なんか、時間が経つと理解の解像度が上がってくるとかじゃあなくて、ただただこの思いが強くなっていくだけなんですよ。
本当に何を見せられたの?
正直これに関しては今でも分かっていないです。
言語化できていないです。まだ一年なので。
初見の感想を知りたいと思うかもしれませんが、初見の感想は「無い」が正解です。なんなんだよこれ。
あれだけのものを見せられたのに、不思議と心は空に近くて、頭だけいっぱいで。
帰りの電車に乗りながらツイートしたものが残っているので、これも記載します。生の感想です。
相当動揺しているのが見て取れますね。
ちなみにライブ音響上映だと、wsbのななの足トントンが間近で聞こえたり、遠い「なんだか強いお酒を飲んだみたい」も鮮明に聞こえたのでかなり良い環境でした。
とまあ、このようにしてスタァライトは私の人生に深く潜り込んだわけです。
この日生まれたんだね、舞台少女 文明歌が。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The LIVE- #2 Transition 視聴
ちなみになんかしらんけど、この時わたしは#2も視聴していたようです。
そのメンタルどこから来てたの??
これに関しては一切思い出せません。アマプラの視聴履歴を見返して、19日に#2を視聴していた事を今知りました。
青嵐の方々が出てきて、なんやかんやあり、天堂真矢さんがクロディーヌさんと戦いたいためになんかした、くらいの記憶です。
劇スを浴びた直後にこれを見たせいで、以降は一週間ほど身動きが取れなくなりました。無気力に朝起きて、思い出して涙ぐんで、自分の存在に打ちひしがれてそのまままた眠る、を繰り返していたと思います。
本当に心に深く突き刺さりました。舞台ってここまでキラめくものなんだと。
最初はライブパートの存在を、ミュージカルパートを圧迫して尺を短くする嫌な存在と思っていたのですが、これ違う。ミュージカルパートで感じた感動を何倍にも増幅させるヒトコロ装置だ。彼女たちが笑顔で歌い踊る姿に追い打ちをかけられる。なんだこれ。ミュージカルパートを観てうるっと来た涙腺を落ち着かせる隙を一切与えない。なんだこれ。キラめく歌を歌わないでくれ。歌って欲しいけど。聞きたいけど。そう簡単に泣くわけに行かないじゃん。離乳食くってる時期か、てくらい泣く。オギャる。でもこっちは画面越しに見てるから縋る存在がいねえの。定着したはずの物心を吹き飛ばしてくる。効果「このカードは相手を直接攻撃できる」で、マジで殴ってくる。ルール違反だし、法に触れているはずだ。というかそもそもおかしい。あれだけの舞台を演じた彼女たちが、すぐにあんな歌を歌いきれる訳が無い。複数人いる。代役が。もしくは、何らかの手段でわたしたち観客のエネルギーを吸収している。そうでないと納得が行かない。なんで、ただ座って見つめているだけのこっちの方が疲れなきゃいけないの。おかしい。おかしいというか、指摘されるべきだ。世の中の学者は何をしている?こんな身近な問題から目を背けて、ザトウクジラの交尾を観測している場合じゃないだろ。とにかく、これは狂っている。物理法則を超越している。まるで4次元を3次元に投影したかのように、わたしたちの心に、理解不能な何かが、理解不能な形でこびりつく。わたしたちはそれの処理の仕方を知らない。そんなもん焼き付けるな。なんなんだ。何が目的なんだ。言え。意図が怖い。目的が怖い。まいばすけっとのロゴかよ。iPodを水槽に落とすなよ。まだ隙間があるじゃないんだよ。それでも精一杯生きてるんだよ。埋めるなよ。本当。それ呼吸器系だから。気道だから。気道を見て「あ、隙間だ」つって未知のキラめきを詰めるなよ。息できないから。実際の話。ていうか、追い打ちをかけるの本当に良くない。配信勢ならまだしも、現地の人達はそこから逃れられないからな。遊びだと思ってビーチでの砂遊びに参加したら、砂浜の大穴に垂直に身体を埋められたうえ、そのまま身動きが取れず放置され大波が来て溺れたようなものでしょ。うん、拷問?辛いとかじゃない、怖い。なんでそんなことするの。なんで?なんで。わたしたちに恨みがあるんじゃないか。わたしのバイト先での接客態度が気に食わなかったお客様同士が集まってこの企画動かしてるの?嘘だよ。わたしはバイトなんかしてない。だったら何だってんだ。無差別に人に惨いことをするんですね。このコンテンツ。大好き。うん、大すき。一週間寿司抜いたっていい。それくらい好し。とにかく、わたしはこれに身体の全てが魅了されつくされました。どっぷり。愛
この日からの記憶はほとんど無いです。
なにかに急かされるように、必死に生きていたと思います。
あと友達に布教を続けました。
ちなみにこの後、わたしはスタァライトの二次創作を始めました。
この漫画は私が初めてスタァライトの二次創作を描いた作品です。
絵が下手なのはいいとして、当時も相当花粉にキレている様子がわかりますね。今もです。最悪だよ。花粉。
花粉症の人はトマトアレルギーも発症しやすいと聞きます。
トマトの何かとスギ花粉の何かが似ているのだとか。私は念のためトマトを控えていますが、舞台少女たちってどうなんでしょうね。(キャラとして)
花粉症だとしたら、思いきりトマト齧っていたけど大丈夫なのかな。まあいいか。
それから1か月ほど経った頃に、イオンシネマにて劇場版が再上映されることが発表されました。これは絶好のチャンスだと思い、友人を連れて観に行くことに。
6月3日
劇ス イオンシネマ再上映 🍅×2
そして2度目の鑑賞です。やっぱり最高!
感想に関しては変わらず、圧倒されたままです。
しかしわたしは、前回の劇スを鑑賞した後に監督が「愛城華恋を人間にするという意図を持って制作した」というような発言をされていたことを知ります。
わたしは監督の意図通り、劇スを見てから愛城華恋の事が好きになりました。
わたしがこの作品を見る前に抱いていた懸念点、「キャラが無理矢理動かされている」は作品全体には感じなかったものの、愛城華恋というキャラ個人にはそれが残っていたのです。
それが劇場版で解決しました。
結論、「愛城華恋は“愛城華恋”を演じていた」。
もう流石にくどいので省略しますが、神楽ひかりの件でも話した通り、共感されたんですね。これに。
ので、劇場版まで行って、ようやく愛城華恋に感情移入ができたというか。
彼女のすべての行動原理に納得がいったのです。
そして何より嬉しかったのは、めばスタやパンフレットの再販です。
本当にありがたいです。二年も前の映画を今更知ってしまい、もうグッズは手に入ることは無いのかと思っていたのでばなナイス♪
そこで買ったキリン柄のボールペンは今でも愛用しています。絶妙に書き心地が悪い。
そしてここからは何かしらの現場に行けることも無く、自分の行動できる範囲でスタァライトを推し続ける日々でした。
自分にとってスタァライトは何なのか?そんな問いだけが、そこにずっとありました。
9月9日
九九組の日
そして来る、九九組の日。
この日わたしにとって大きかった出来事は2つ。
まず、九九組新作舞台の決定です。
「知るのが遅かった」と後悔し続けていたわたしにとって、これほど嬉しい情報はありません。
未視聴ながらに、#4のClimaxというタイトルから感じていた「最終回」、そして「世代交代」。
スタァライトのプロジェクトが開始してから既に5年が経過しているのだから当然と受け入れるしかないと思っていました。
本当に嬉しいです。
そしてもうひとつは、
ゲーム『舞台奏創劇 遙かなるエルドラド』の発表です。
スタァライトのコンシューマーゲームが発売される事は前々から公開されてはいましたが、その詳細は一切分からないまま。
TV版で物語は綺麗に終わり、さらに劇場版でこれ以上無い程にすっきりと完結を迎えたレヴュースタァライトだと思っていましたが、この先にこれ以上何があると言うのか。
そしてこの『舞台奏創劇 遙かなるエルドラド』はノベルゲームでもあります。
私がスタァライトと出会ったキッカケは、一本のノベルゲームでした。
この運命的な伏線の回収に、私はどう期待をすればよいのでしょうか。
真相は8月8日に判明します。
9月25日
そしてわたしがスタァライトされてから、半年が経過した頃です。
スタァライトに対して、もっと知りたい、もっと追求し、好きになりたいと求める気持ちが次第に募るようになっていました。
また、本格的にスタァライトに関して二次創作を続けて見るのもアリかもしれないと思うようになり、ついに。
Twitterアカウント作成
しました。
皆さん初めまして。或いはお久し振りです。或いはそれは。
文明歌(あやあかりか)と申します。音読みと訓読みの二層読解式ハンドルネームです。
始めちゃいました、Twitter。
するつもりは無かったです。人と絡むのは苦手なので。
しかしまあ、キラめきが私を抑えられなかったの。
ということで、舞台創造科としてTwitterに魂を売ることになるのです。
Xは認めてない。
ちなみにこの、『文明歌』という名前について。
まず元ネタは、皆さんご存じの「運命の舞台」です。
そこから私は「文明の歌い」という言葉について考えました。
スタァライトに出会って変わった事の二つ目は、歴史を重要視するようになったことが挙げられます。
今までのわたしはアナログな技術に対して否定的で、最新の技術を受け入れる事が正しいと思っていました。
しかし、舞台はそうでは無いです。
人が生身で演じ、観客もまたひとつの場所に集まりにいく。
こんなに古典的で非効率的なことって無いじゃあないですか。
でも、だからこそそこに「良さ」がある事に気が付いてしまった。
歴史があるものに関しては、それなりに歴史があるだけの理由があるという事を今更学んだのです。
これはまさに言葉で表せば『文明の歌い』だなと感じたところから。
そして「あやあかりか」という読み方についてです。
これは単純に訓読みと音読みを交えただけの可読性最悪ハンドルネームなのですが、大体大まかに3つの意味を考えています。
ひとつ、「アヤ」。言葉の綾などとして使われますね。そして彩もあやと読むことが出来ます。いかにも文学らしく、そして舞台らしくて良い言葉だと感じています。
ふたつ、「カリカ」。これは監督がインタビューで発言されていた、「カリカチュア」という言葉からです。
意味は調べればわかりますが、舞台ってカリカチュアであるべきです。そしてそんな自分もまた、カリカチュアに生きられる存在でありたいから。
みっつ、「初見では読み方がわからない」ところ。
まんまスタァライトという作品の性質からです。
というわけでこの名前を定めたのですが、正直気に入って無いです。
そりゃ意図は私が考えたんだし納得はしてるよ。
でも名前として不適切すぎない!!?
ので名前を変えようか悩み中です。どうしよう。
ここからは私のTwitterを見て分かる通りです。
10月9日
直接的にはスタァライトに関係していないのですが、舞台関連、岩田陽葵さん関連で。
チェンソーマン THE STAGE(大千穐楽)
を京都へ観に行きました。
本当に直接関係は無いので詳しい話は省きます。
ただ、わたしはこれが『舞台』だと認識してから観た初めての舞台だったので、感動して涙が溢れそうでした。
スタァライトに出会って分かった事ですが、確実に、そこには『キラめき』が存在していたんですよ。
それをわたしは思いきり浴びてしまった。
舞台って、こんなに眩しいんですね。
そんな事を知れた舞台でした。
そして明かりの消えた劇場の名残。
大千秋楽だったこともあってか、一層静かに、寂しさを感じられます。
ふとGreen Dazzling Lightの歌詞が脳裏に浮かびました。
私がこの歌好きくない!?になったキッカケでした。
ちなみに岩田陽葵さんが凄い良かったです。
確か円盤もう出てるんだっけ?行ってない人はぜひ買ってね。
そして、わたしが初めてスタァライトの現場に参戦する時がやってきます。
舞台はFilmarks主催、劇ス舞台挨拶が決定したところから始まります。
……公開から2年半経って舞台挨拶ゥ?
とにかく、比較的赴きやすいなんばパークスシネマとミッドランドスクエアシネマがその舞台であったことは、わたしにとっては嬉しいものでした。
わたしはすぐさま友達に連絡し、打ち合わせます。
流石に全ての舞台挨拶に参加する事は難しいと判断し、もよはるが生で見られるという事もありミッドランドスクエアを目指すのでした。
ちなみにチケットの販売が開始されてから6分以内に全席が完売しています。
取れたの奇跡すぎるし、本当に、何、これ?
11月21日
劇ス 舞台挨拶 名古屋 🍅×3
そしてついに当日。
緊張と楽しみでガッチガチでした。
あとブルーベリーのサプリを飲みました。プラシーボでも何かが良くなると信じて。
そして一通り劇スが上映された後、舞台にその2人は上がります。
小山百代さんと岩田陽葵さんですね。本当にありがとうございます。
本当にありがとうございます。
感想としては、本当にありがとうございます。
それのみです。
うん、てゆーか、実際に存在してたんだね(笑)みたいなノリで感動していました。
幻覚でも見ているんじゃないかと。
アニメ作品を見ると、よく生身の人間の顔から知ったアニメの声がしていることに驚くのですが、今回はそれに加えて、目の前にまるで愛城華恋と露崎まひるが存在しているかのようにも見えて。
衝撃でした。
時間はあっという間でしたね。
質問コーナーで手を挙げようかかなり迷ったけれども、駄目でした。
緊張が。
そしてこの日、私は新たな実績を2つ解除します。
一つ目がこれです。
「アクスタを持って写真を撮る」です。
ウケる。まさか自分がこれする側になるとは思っていなかったですね。
傍から見たら異様な光景なので。
でもこういう場なら許されますね。オタクは基本的に推ししか見ていないので。傍から見た視線とか無いです。誰もオレを見ていない。
そして二つ目が、「レポを書く」です。
わたしは記憶力が悪い傾向にあるので、この舞台挨拶も明日くらいには忘れているだろうと思っていたのです。が。
帰宅してから、何故かこれに関する記憶がどんどんと湧いてくる。
上映後はその衝撃で意識と記憶が飛びかけていたものの、冷静さを取り戻してからやけに記憶がアピールしてくる。
むしろこれはどこかに書かないとやってられない。
というわけで、まさかこれも自分が書く側になるとは思っていなかったですね。
勢いでスマホのメモに起こしたものをTwitterに投稿してみたら案外反響があったので、いっその事正式に形にまとめるかと思って書いたのがわたしのnoteにあります。
これ、会話の9割程度そのまま拾っているんじゃないかなという自負があります。初にしては本当に凄い。今後は、あまりやりたくないけれど……。
そしてここからはまたTwitterへと戻ります。
大体絵をずっと描いていたと思います。
その間に、人生で初めて自分のツイートに100いいねが付いたりしました。
キリンのネタ絵です。最悪。わたしはネタ絵師じゃないんだって。
そもそも何回も言っているけれども、わたしは絵師ですら無いです。
勝手に絵を描いているだけ。正社員じゃなくてアルバイトかボランティアとかそこら辺の存在なんですよ。
元々Twitterアカウントも、「TLをスタァライトだけで埋め尽くしたい」というROM専の意志で作成しましたから。
結果として今がありますけど。
あくまでROM専の延長線上です。断じて絵師ではない。
しかし、スタァライトに出会って半年後にTwitterを始めたの、これまさに「半年ROMってろ」の体現でしたね。意識して無いです。
12月6日
そして一か月程度が経過します。
スタァライトのポップアップショップが開催されることが決定し、私はそこへと足を運ぶのでした。
スタァライト POP UP SHOP
特に言うことは無いですが。
愛城華恋が可愛いですね。可愛いしカッコイイ。
本当に何なんだ?これ。
愛城華恋が凄かったですね。
あとはお金が飛んだ程度でした。
愛城華恋
12月7日
そして翌日です。
この日わたしは、非常に厚かましいことにある企画に参加しました。
スタァライト Advent Calender2023
めのフェ様主催、スタァライトのアドベントカレンダーになります。
わたしは開始から一週間後、12月7日を担当することにし、記事を書いていました。
が。
はい。本当にすみません。
本当に、すみません。
間に合いませんでした。
まにまにとかふざける場合ではなく、本当に反省しています。
アカウント作ってから半年でふてぶてしく企画に参加しておいて、間に合わないって、人として最低だと思っています。
本当に申し訳ございませんでした。
本来この企画で公開する記事のテーマは、今書いているこれと同じものでした。(出会って250日記念振り返り記事)
それのリベンジをようやく今、この時果たしています。
そんな間に合わなかった史上最低な文明歌は、予備として作成していた記事を出すことになるのでした。
内容は「愛城華恋の王冠を3DCGで制作する」。
わたしのnoteにあるので、読めます。
これは間に合わなかったにも拘わらず、お世辞でもありがたい言葉を何人かの方からいただけて、本当に良い機会になりました。
やはり、自分の作品を人に見せて率直にレビューして貰えるというのは貴重な経験ですから、その機会をいただけたのは本当に良かったと思っています。
わたしはアナログなアドベントカレンダーしか知識に無く、本来のデジタルなアドベントカレンダーについては参加させていただいた時点で初耳だったのですが、この予備で出した記事が図らずとも本来のコンセプトの方向に行っていたようです。
これに参加させていただいたこともあり、それからわたしの投稿が見られる機会は次第に増えていきました。
重ね重ねにはなりますが、私の不注意により皆様にご迷惑をお掛けしてしまい本当に申し訳ございませんでした……。
12月31日
そして2023年が終幕を迎えます。
その間としては、もう一本記事を書いたり、突発的に大阪に行ったりしました。
やはりあの時(チェンステで)見たキラめきが忘れられず、年内にもう一度舞台を見ておきたいと勢いで取った、比較的小規模な舞台のチケット。
いやあ、そして、2023年を振り返るけれども。
何もしてないな??!
はい。スタァライトに出会ったはいいものの、特に私自身として何の進展も無い年でした。最悪。
という事で、やはり焦りを感じながら年を越すのでした。
1月1日
そして迎えました、2024年。
年明けの気分ってサイコーだぜ。
だからと言って特に何もしていないです。
いつも通りスタァライトを推し続けるだけ。
2023年としては、バンドライブやら大運動会のチケット購入やらがあったと思うのですが、行けなかったのが残念ですね。資金的な問題です。
そして少し後にエルドラドの情報発表がありましたね。
記憶が曖昧だけれども、ホームページの公開とかそんなやつ。
そこのキャラクターページに書かれている、天堂真矢のプロフィール(英語版)を翻訳した時のこの画像、
未だにツボってます。
ゲームエルドラド隠しボスヘブンマヤ、強すぎる。
それから私は幽閉されたり絵を描いたりしながら、2か月程度間が空きます。
大体何もしていません。舞台創造科としての活動を何もしていないんじゃなく、人として何もしていなかった気がする。放心。
時は飛んでつい最近のことですね。
スタァライトとGiGOのコラボが発表されました。
3月22日
スタァライト GiGOコラボ
本当に最近のことなんだけどこれ書く意味ある?
最近過ぎて逆に記憶薄いんだけど。まだ醗酵してない。
が、この記事は自分用の記録であるので無理矢理書くことにします。
ここまでどうでもいいオタク個人に深掘りしている記事を他人が読むメリットが存在していないから。
まず、お金を使いましたね。
なのにプライズは何も獲得できていないです。
はい終わり。思い出すの嫌になってきた。最悪。
プライズやノベルティがまだ残っている店舗を探して、いくつか回ったりもしました。結果、どこも完売で残滓すらない状況でした。
う~ん、という感じですが、FF様より
「グッズは後でも買えるので、今しかできない現地体験を優先すべき」
「圧倒的に現場に行くべき」「エビ ni nare」
等の助言をいただき、わたしが神戸エルドラドに赴くことを決意した日でもあります。
あとこの辺りは絵を長く書いていたので、久し振りにデザインの勉強に戻ったりもしていましたね。
というわけで、一通りこの一年間を辿ってこれたと思います。
そして——————————
本日、今、この時
です。
濃いようで薄く、薄いようで濃い一年でした。
こうして振り返ってみるとわかるのですが、わたし本当に何もしていないですね。酷いよ。
でも人生観は大きく変わったと思います。
そしてTwitterを始めたことにより、絵も一年前よりかは上手くなったんじゃないの、という調子です。
絵の方もこの一年間の二次創作をまとめたものをpixivに投稿する予定です。
まとめるの大好き。部屋の掃除は?してない。最悪だって本当……
ちなみにキャストさんに関してですが、わたしは今まで生身の人間を好きになるような感受性豊かなタイプでは無かったんですが、最近は気になり始めています。特にいわたはるきさん、こいずみもえかさん、さとうひなたさんが良いですね。輝いています。
ただ、正直に生身の人間と向き合えるのはもう少し先の事だと思います。
人を追うの向いていないんですよ。
で、結局どうなん
スタァライトに出会って変わった、わたしについて。
簡単にまとめましょう。
以下の通りです。
<スタァライト歴>
一年。(2023年4月2日~)
とあるノベルゲームがきっかけで出会った
🍅×3。(ライブ音響上映、イオンシネマ再上映、舞台挨拶)
生の現地体験は1回のみ。コラボは2回。
舞台は#1と#2を配信で視聴。
<好きなところ>
キャラに共感するところが多かった
「映像表現」として、斬新なタイポグラフィや演出が好みだった
まず、「舞台」そのものが好きだったと気が付いた
キャストは今のところ追っていない
<変化>
人生観が大きく変化した。
一度きりのものを、この目で楽しもうと思った
アナログなものにも良さを感じるように
とにかく影響された
舞台を見るようになった
最近舞台創造科の凄い方がTwitterのスペース機能を用いて舞台創造科インタビューというのを開催されているのですが、凄い面白く、そのフォーマットらしく纏めてみました。
アニメ放送当時にリアタイ出来ていなかった自分からすると、この数日おきに開催されるスペースがまるで毎週のアニメを追っているみたいで楽しいんですよね。やったー。
ということでまあ、全体的にわたしはスタァライトに出会ってだいぶ明るい方向へと動いたんじゃないかと思います。知らんけど。
人生が大きく変わった事は確実ですね。それが良い方向なのか悪い方向なのかはまだわかりませんが。
しかしわたしは影響されやすい性格でして。
「観客気分なら出てって」なわたしからすれば、なんか、スタァライトらしい道を辿りそうで怖いですね。
アニメ作る道に行ったり、何なら舞台に立ってるかもしれないです。
今いる場所と全然関係ないじゃん……。
ということで、未来は明るくなったけど将来はより不安になったと思います。一年前に置かれていた環境を切ってわたしは今ここに居ますから。
あのまま穏便に過ごしていれば、レールが敷かれていたんですけど……。
最後に
わたしは4月の頭にスタァライトに出会いました。
ちょうどこの作品が学園ものであるという事もあり、わたしとスタァライトの遍歴を纏める際は『年度』という単位を使用するのがベストなんじゃないかと思っています。
そんなわけで、わたしとスタァライトを振り返ってきました。
わたしがアニメ『スタァライト』を見て、この記事を読んだ方に伝えたい事はひとつです。
彼女たちが抱いたものは、「至って普通の感情」である。
アニメだからと、大場ななさんが再演を望んだり、神楽ひかりさんがキラめきを失ったり、愛城華恋さんが燃やし尽くしたり、そういうのを展開だからと、ファンタジーだからと見ていませんか?
そうではないです。もちろん、同じようだとしても、それぞれ違う皆さんの経験によるものだとしても、彼女たちに共感した舞台創造科の方はお判りでしょう。
彼女たちが感じた感情というのは、アニメ関係なく、現実として至って普通に存在し得る感情だという事です。なにも特別な事じゃありません。
それ程までに、生身の人間の、彼女達高校生の解像度が異様に高い樋口さんが怖いですけどね。
最後に、2024年度の目標を立てようと思います。来年度振り返る時これさえ達成していれば、少なくとも舞台創造科としては活動していたと言える。
2024年度の目標
<イベント関連>
九九組の舞台を現地に観に行く(11月)
絶対です。絶対。
劇スのマサラ上映に参加する
してみたいですね。眺めることしか出来なさそうですが。
<二次創作関連>
何かしらの形で、同人誌を出す
自分がスタァライトを好きだった証を、アナログで残してみたいです。
キャストさんのイラストを描く
人物の似顔絵など描くのが昔から苦手だったので、挑戦してみたいですね。
何かしらの企画に参加する
なにかしてみたいですね。絵描けるし。
スタァライトのタイポグラフィを纏めた記事を出す
相当な労力がかかる見込みなので納期1年欲しいです。
<その他>
聖地巡礼をしてみたい
11月に舞台に行けるなら、ついでにするんじゃないかと思います。
コスプレ……気になる
若いうちにやっておきたいです。若ければどれだけ似合って無くてもキッツ……とか言われること無いでしょ多分?だから。
キャストさんの方の何かしらに首つっこみたい
ちょっとずつ金銭感覚をマヒさせてこ。
スタァライト関連の現段階で出ている全部を履修する
#3, #4とか、スタァライブ、他校の舞台やアルカディアなど。
スタァライト関連の現段階で出ている全部の円盤を買う
アニメや舞台の、BDやCDなどです。お金ェ。
というかそろそろ真面目にもう一回続けてアニメ見返したいですね
ひとまず以上となります。
達成できるよう頑張ります。
そしてこれもまた件のインタビューの押し売りなのですが、現時点での自分の考えを残すため、2つの質問を自分にして本記事を終わろうと思います。
ちなみにここまで1日で約30,000文字書きました。目と手がサ終しました。
ここまで読んでくださった方が居るのなら、ありがとうございます。
多分読んだのなら、文明歌がどういう人間か分かったと思います。
気楽に絡んでいただけると嬉しいです。
誰も読まない前提で自分の記録用に書いたもので、
自分の事をこう曝け出すのは得意でないので数日後に非公開にしているかもしれません。
あと数日後に知らない名前の人がFFにいたらそれわたしかもしれません。
名前変えたいので。本当。
文明歌にとって、『スタァライト』とは?
「可能性」。
スタァライト自体もそう。無限に考察が広がるように。星のように、宇宙のように。
そして私自身に、可能性を与えてくれる作品だと思います。
愛城華恋さんたちが物語を作り替えたように、こういう道は、こういう結末もあるんじゃないの?と私を動かしてくれるかもしれない、可能性があるのです。
文明歌にとって、『キラめき』とは?
最初は、「燃料」と言おうとしました。
でもそれとは少し違います。燃料とは、いわば火に焼べるものです。
ただこれは星が自ら光を放つよう、これ自体で燃え続けている。
わたしにとってキラめきとは、
「炎」。
これがあれば、過去を燃やしてくれる。
嫌な記憶も良い経験も燃やし尽くして、わたしを進める糧となる。
「燃料」自体は、愛城華恋がスススで燃やし尽くしたように、
自分の経験だったり、溜まった灰のようなものなんです。
それをもう一度燃え上がらせて、何なら燃やし尽くして溶かしてしまう程の強い火炎放射器。
強い炎であり、それ自体が動力で、わたしを動かすキッカケとなるもの。
ちなみに、一人のクリエイターとしては「創作意欲」とも言い換えることが出来るかもしれないと感じています。
何かしらの良い作品を見た時、自分も何か作品を作りたい!と、どこからか奮い立つ気持ちが湧いてくることありませんか?
それと同じものだと思っています。