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人を雇うのが一番大変

人生を通して自分のことを理解するのでさえ大変なのに、生まれも育ちも能力も違う他人を雇い、そして共に仕事をする。それはとても大変で難しいこと。目標や成果のために、合わせたり、引き上げたり、励ましたり…なんで人は人がいなければならないのに、こんなにも大変なことをするのだろうか…。

1、雇用とは「其の人の時間」を預かるもの

経営者と労働者。ここには「雇用」という関係で結ばれ、お互いが仕事を成し遂げるためにお互いの持つものを提供する。労働者は、予め決められた契約とスケジュールにしたがい「固定された時間と労力」を提供し、経営者、つまり雇用者は、この人的資源を最適化しながら、製造や生産、サービスの提供を行う。その他以下として賃金が雇用者から労働者に支払われる。

お互いの対価に台頭に価値交換が行われるので、双方が納得できるものである限り、この関係は社会のあちこちで行われ、それが、分業と社会を支える基盤となっているわけです。

雇用者は、時間という不可逆で有限な資源をどう効率的に活用できるか問われますし、労働者は決められた時間や労力は、最低限定められたとおり提供しなければなりません。そうした意味で、明確に「お互いの役割」が決められているといっていいでしょう。

どうしても「雇用者」側が立場上では「賃金(福利厚生なども含む」など、与えるものを武器として上げ下げする中で、立場が強くなりがちで、それは労働基準法など法律で労働者の権利が保障されているので、前提条件としては、平等性は保持されていると言えるでしょう。(もちろん、運用によって、差異や問題は常に発生しているわけですが・・・)

だから、人を雇う。これはとても責任が重大です。何せ、限られた時間を労働者は雇用者に「差し出して」くれているわけですから、然るべき仕事と成果から得られた対価を給与として、ある意味「払い続けること」が責務ともいえるのですから。

中小企業であれば、一人、二人もとても大切な人員ですし、大企業で何百人単位の雇用の責務を追う役員や取締役の重責は、とても大きなものでしょう。(もちろん、軽んじて認識している役員や会社もないわけではありませんが…)

2「成果主義」という厄介な雇用関係

ところが、ちょっと難しいのが「成果主義」というやつです。ばりばりの営業職で「完全成果給」というハードモードな雇用関係でいる人もいますが、雇用関係として「労働時間の縛り」を得ながら、「成果」についても一定の水準を求める形になる中で、「裁量労働」はどちらに主導権があるのか。

よくいう「生産性」という問題です。

雇用主は「成果」を求めながら、いざ、「労働者」が求める成果を出したとき、仮に労働時間が「余って」いても、労働時間中は拘束対象となる場合、それは「過重労働になる」のか、はたまた「労働者の自由」となるのか、線引が難しい所。

テレワークで在宅勤務になると、同じ空間にいないため、雇用管理の名目で「日報」や「報告書」が増えて、それで労働外や付属する記録や報告が増えるのでは生産性は逆に下がることに…。

この「雇用で縛る」うえに「成果」としても差をつけるという異なる要素をミックスした雇用形態が、いま、雇用者と労働者の責任の所在を曖昧にさせていると思うのです。

そして、さらに問題なのが、企業とフリーランスや個人事業主同士のしごと関係。「成果報酬」と言う名の「タダ働き」や「低い単価の仕事」が横行しているのです。

例えば、「受注できたら、支払う」といったデザインや写真撮影などの仕事。実際に絵を書いたり、時間を費やしたりしているのですが、その対価が支払われるかどうかは「結果次第」という従属関係。仕事がほしい、という弱みをうまく掴まれたこの業務関係は、結果としてお互いにマイナスでしかないはずです。

時間や作業が実際にかかる、という「拘束性」と、それが評価されたかどうかで決める「成果性」という性質の違い。結果が出てからでは、損をするのは一方的に「受ける側」ですから、予め定めておくことぐらいしか、守すべはありません。(それでも、契約書を無視して、結果を押し付けてくる依頼主がいるのですから、契約だけでも守りきれていないともはや同じです)

泣き寝入りや妥協をしている個人事業主やフリーランスはきっとたくさんいるでしょう。でも、それをきちんと対等な関係にしなければならないのですが、次から次へ生まれていくる同業者や新規参入者によって、価格破壊は続くもの…。

「安く請け負う」ことは、もはや止めようがないのです。

3、いい関係の中に入る

やっぱり、相手に付け入ったり、弱さを利用する人や会社は、どんなに誠意や契約で保護しようとしても、抜け道を探ってくるのが常ですから、逃れようがありません。一番は「取引しない」ということ。

ブラック企業があるのは、そこに就職したり、雇用を続けるからこそ、つけあがったり、現状を維持するわけですから、人の供給が止まれば、会社の存続は難しくなります。

だから、「関わらない事」が一番の方法。そして、よりよき仕事をするのは「いい会社」「いい人」「いい取引」の輪の中に入ること。

誠意や誠実さはやっぱり日頃のやり取りに現れるというもの。いかにそうした「企業との取引」に入るかが、事業や仕事、労働環境の成否を決めるといっても過言ではありません。

人はそうそう変われない。だとすれば、組織や会社もそうそう変われない。変わらないのであれば、避ける、逃げる、離れるしか方法はないと思うのです。

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