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続けること。あっさり終わる

今週はとても忙しい(といってもただ忙殺されているだけで一向に売上にも利益にもならない客対応)状況で、ついに続いていたnoteが途絶えました。あっさりと。悲しいです。ほんと悲しい。続けることってほんと大事です。

1、三日坊主の壁を超える

人が、なぜ物事が続かないのか。大変なことや困難なこともやり遂げられる人間が、なぜ簡単なことが続かないのか。そこには「そもそもの問題」を考え始めてしまう、人間の「余力」が原因であると思っています。

「なぜやってるんだっけ?」

「やる必要あるんだっけ?」

「やって意味があるんだっけ?」

そんな禅問答が始まったら、三日坊主への警報です。途端にあれこれややらない理由や、やらないことの優位性など理由をまくし立て、自分で自分の行動を否定し、断ち切ってしまうのです。だから、やっぱり「やる」という動機づけというのは、何にせよ大切だと思うのです。

やらされても続かない。やろうと思っても続かない。「やらなきゃだ」という切羽詰まって追い込まれたところに立ってこそ、はじめて「続ける」ことの価値と重みが理解できるのだと。

2、時間は有限という壁

そんな三日坊主も過ぎてしまうと、ある程度続くことはできます。ちょっと大変だなと思っても、なんとかやれてしまう。三日坊主の壁をすぎると、今度は20回目の壁がやってきます。コツコツ続いて一ヶ月になるかというところ。ここで「一ヶ月をやりきる」と思うのか、それとも「もう二週間近くやったからいいか」という葛藤が起きる。

時間を有効に使いたい、効果的に使いたいということと、その「続けていること」の時間的価値を問い直しはじめてしまうのです。これも、やめることにつながる悪循環の始まり。

一日は24時間しかなく、その中で、仕事も生活も睡眠もとらなきゃ生きていけなくなる。だから、限られた時間で「何をやるか」とは、人生の優先順位を決めることと等しく、何を極めていくか、ということにも直結する問題なのです。

だからこそ、本質的な問いが始まると、途端に「続ける」ことの意味を自分自身で問うてしまうわけです。

3、不可抗力という壁もある

一生懸命にやっていても、突発的なことや急に起こる出来事で、続けられなくなることもあるでしょう。例えば筋トレをしていても、怪我をしてしまえば急遽、運動ができなくなるとか。あるいは長時間仕事が入り、気がついたら0時を過ぎているとか(私の場合はまさにこれですが・・・)

どんなに「意識」しても、人は忘れるもの。気が散ったり他のものに集中してしまうもの。だから、「いつのまにか」終わってしまっているということだってあるのです。

4、またやろう

じゃあ、途絶えたものはもうやらないほうがいいのか。あれやこれやと可能性を潰していたら、どんどん人生の選択という武器と、進路という道はなくなっていってしまいます。

またやればいいんです。ゼロになっても、また積み上げればいい。崩れた積み木はまた積み上げればいい。倒れたドミノは、また並べればいい。諦めずにまたやればいい。そうやって、何度でもやればいい。

人生の時間は有限ですが、再びやること、チャレンジする回数は制限のない無限なのですから…

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