見出し画像

「恋愛小説部門」応募作、実はめちゃめちゃ読んでる

日記みたいなこと書きますよ〜。

実は創作大賞募集期間に入ってからずっと、恋愛小説部門に限ってしまうのですが、あらゆる応募作、読んでおります。
恋愛小説部門に限り、なのはもちろん、自分のライバルだからです
みんな!勝手にライバル視してるからよろしくな!!
私の応募作はこれだよ!!

体感的にですが、7月入ってからえらいことになってきてますわ。
黙々と力作を書き続けていた剛の者達が、とうとうアップ(準備運動じゃなくてアップロードの方)を始めている……。
応募数の増加以上に、そういうハイレベルな作品の増加に圧倒されてます。

いや、早めにアップした人の作品がどう、とかじゃなくてですよ?!
7月を境に、全体のレベルがガーンと上がって、私がドキドキしてるって話。

そしてそして……
LGBTQ2+を題材にした作品!
多い!!!
そりゃそうだろうとは思うのよ。

これは、「当然に存在する人間の在り方だから」ということもあるけれど、それよりやっぱね、今性愛に関する価値観の過渡期だから、日常生活でもメディアでも目にし耳にする話題だからね。

私も、ホラ……。
という訳でそういう作品はかなり意識して読んでしまいますね。
その人が、LGBTQ2+に対してどのような価値観を持ちそれをどう描いているのか。
翻って自分はどうか。これもまたドキドキします。心を覗く、ということは、自分のものであってもドキドキします。

LGBTQ2+、と表記していますが、私は少なくともこの場、「針を置いたら〜」を書いた者として存在するフィールドでは、「私は」この表現をするべきだ、そうしたい、と思っています。
(他の人に強要するものではありません!)

LGBTQ2+の1文字1文字が何を表しているか、こちらのページに詳しく説明されていました。2019年に書かれた文章ですので、今とは温度感が違いますが。

先日米国で会議に参加した際には,「LGBTQ2+」という表現が用いられていました。Qは,その会議の中では“queer”を指し,「女装をする人のこと」との説明がありましたが,差別用語なので本人以外は使用しないように,と注意を受けました。Qを“questioning(性自認や性的指向をまだ定めていない,定まっていない)”と定義する人もいます。
 “2+”の“2”は“two spirits”という先住民族の中で性的マイノリティであると自認する人たちが,LGBTコミュニティの中でもマイノリティでありLGBTとして自身を表現できなかったときに,先住民族のdecolonizationの意味合いも含め,“2”という別の表現を用いたようです。Decolonizationには,植民地の脱植民地化という意味に加え,「抑圧されて劣等感を抱かされ,自分を正直に表現できないことからの解放」という意味もあるようです。

 “+”は,他にもさまざまなセクシュアリティがあることを,包括的に愛と受容をもって示す表現だそうです。確かにどんどん細分化されてアルファベットが増えると表記が大変になるので,“+”の表現はなるほどと思いました。

https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2019/PA03335_07

「針を置いたら〜」を読了済みの方は、お分かりでしょう。

LGBTでは、十分じゃない。
LGBTQでも、最終的には十分ではない。
LGBTQ2+、ここまで表記してようやく、レオが出てきます。

LGBTという言葉すらまだ、「マイノリティ」という大きすぎる括りの中のひとつなのに、そこにさらに3つ文字を足してようやくその存在が見えてくるものなのか、と驚きます。

私には直接アクセス出来るというか、なんならすぐに話せる(脳内で)レオなんですけど、性的指向という区分けにすると、すっごい辿り着きづらい人になっちゃうんだな……と。

書き始めたとき、恥ずかしながら私は「デミロマンティック」という性的指向を知らなかったんです。

レオとたっちゃんの関係性を頭の中で描いていくうちに、うーん、これは好きになるかもしれない。
でもそんなことってあるんだろうか。
アロマンティックあるいはアセクシャルの人が、恋愛感情を持つことって……?
と思い調べた結果、「デミロマンティック」「デミセクシャル」という性的指向を知りました。

同時に、性自認って、揺らぐものなのだ、ということも。
知るって大事だな、と思いました。

本や、それこそnoteでデミロマンティックあるいはデミセクシャルの方の文章を読むと、アロマンティックだと思っていたその性自認が揺らいだ時、本当に色んな反応があるということも知りました。
嬉しい、納得、戸惑い。

じゃあ、レオだったらどう思うだろう?と考えた結果、あの話になりました。

ヤバい、自分語りが長くなった……。
とにかく、私は私として、そしてレオはレオとして考えた結果があの形なので、テーマが似通っていてもそれはあまり気にしなくていいのかなと。
そしてそれは、他の執筆者の方々も同様で、それぞれが向き合った結果が小説に反映されてるのだと思いました。

改めて、小説は面白いですね。
自分一人で、街も人も立ち上げ、過去も未来も描き、何なら世界まで作ることが出来る。
同じ現代の日本の、性に揺らぐ若者を書いても、全然違う価値観が顕になる。

書けるうちは、その意欲があるうちは、どんどん書いていきたいなと思いました。

そして、それと全く別次元で、賞欲しいと思いました笑。
私は欲が深いので。

もっといい小説を書きます!