【白4企画】万かつと「だまこ」
いぬ
折角羽田まで来たし空弁でも買って帰るか、と思って、手荷物検査場に背を向けた。グランドスタッフのお姉さんが、3月にしては分厚いコートを着込んだ中年夫婦を連れて、早足で通り過ぎる。あの人たちも、紗枝と同じ便に乗るのかもしれない。同じくらいの早足で、俺も土産物屋へと向かった。
今半のすき焼き重だとか、寿徳庵のひとくちおこわだとか、目移りはしたけれど、やっぱり肉の万世の「万かつサンド」にしてしまった。
出張でも旅行でも、空弁を買うとなると、結局これを選んでいる。気の進まない出張の始まりに、食べ慣れないもの買って「失敗したな」と思いたくないし、旅行の時はちょっと小腹満たすくらいにしといた方が、現地で色々食べられる。箸を使わず片手で食べられる気楽さもいい。
夕食にするには心許ないけど、どうせビール飲みながらつまむだけだ。そもそも、今日はそんなに食べたい気分でもない。
何より、今日冷たいお米を食べるのは、負けた気がするから。
京急の車内で、俺はひとつの誓いを立てた。
この後、マンションの部屋のドアを開けた時「紗枝が居ないと、こんなに部屋が広く感じるなんて……」などとは決して思わない、と。ベタすぎるからだ。恋人が出ていった部屋にひとり帰り、妙に広く感じて涙するなんて、ベタでダサで、何の捻りもない。だいたい、ただの転勤でやむなく同棲解消しただけであって、今生の別れじゃない。もちろん転勤先もニューヨークやロンドンではない。
「誓い」だけでは備えが不十分かもしれない。何か対策を講じようと思案し、俺はイヤホンを着けてYouTubeを立ち上げた。検索窓に「指原莉乃」と入力……する途中、さしは、まで打った時点で、サジェストに「さしはらちゃんねる」と表示された。絶対これだ、と思ってタップした。
以前、何かの関連動画でさっしーの動画のサムネイルが表示されたが、何となくその動画を再生して、俺は引いてしまった。さっしー、すげぇでかい部屋住んでる、と。
そりゃ、人気の芸能人だ。いい部屋に住んでいるだろう。だが、自分と同世代の女性が、営業部のワンフロア位の部屋に住んでたら、何と言うか、圧倒されてしまう。紗枝にこんな話をすると、古臭いとか男の見栄がどうのと言われそうなので、絶対に口にはしないが。違うよ紗枝、俺は、中学生の頃から知ってる近所のお姉さん的バラエティタレントさっしーが、普通に財力ありそうな成功者だっていう現実に圧倒されているだけなんだ。
動画一覧の中から、部屋で喋っていそうな動画を適当にタップする。さっしーは今もでかい部屋に住んでいた。そして、あの時圧倒された、部屋のサイズに比例してでかいオレンジのソファは、「部屋のサイズに比例してでかい白いソファ」に変わっていた。さっしーは相変わらず成功者だ。
この動画を見続ければ、俺の部屋ごときを、紗枝がいないというだけで何だか広く感じることはないだろう。
画面の中でさっしーが、口紅の紹介を始めた。
マズイ。
これは、前に紗枝に頼まれて、会社近くのロフトで買って帰ったやつだ。狙っていた色が速攻で売り切れそうだとか言われて、探しといてあげるよと軽い気持ちで請け負ったんだった。呪文みたいな色名を頭の中で唱えすぎて、すっかり覚えてしまった。センシュアルフィックスティントのカヌレブラウン。カヌレって唇に塗るものなのか。
俺は、別に思い出を紐解きたいんじゃないんだよ。さっしー、俺はただ君の部屋を見たいだけだ。化粧品ブランドまで立ち上げるって何でそんな手広くやってるんだよ。あぁでもさっしーが手広くやってなかったら、こんなでかい部屋には住めないよな。
俺は動画を止めて、「ピーター 別荘」と画像検索した。
さる
55番搭乗口に向かう途中、小腹が空いたから空弁でも買おうかな、と思って売店に立ち寄った。慎がよく買う万かつサンドに手を伸ばして、やっぱり着いてからしっかり食べたいと思い直した。慎はこの後買って帰るかな、一箱じゃ少ないから、晩ご飯にするなら二箱か。
ずっと太平洋側にしか住んだ事がなかったから、日本海に憧れはあった。転勤だって、入社した時点で覚悟してたことだ。だから、転勤先が秋田だと告げられた時は、内心少し嬉しかった。
帰宅して、ソファに寝転んでゲームをしている慎に
「内々示出たよ。秋田の、能代市」
と告げると、慎はスマホを顔の上に取り落としていた。マジか、そんなに驚くのか、と私も荷物を取り落としそうになった。
その場で泣かれたりはしなかったけど、2〜3日後のバラエティ番組で、「秋田県民はきりたんぽより“だまこ”が好き?!」という特集が流れると、慎は海を見つめる海亀みたいになっていた。
「俺はさ、心はそんなに強くないと思うんだよ」
いきなりのか弱いアピールに、申し訳ないけど引いてしまった。
「いや、違う、俺が豆腐メンタルだっていうアピールじゃない。聞いて」
「大丈夫、むしろ聞かせて」
「人間ってさ、心が身体を動かしてるんじゃなくて、身体の方が心を牽引してるんじゃないかと思うんだ」
ややこしく、かつ、やっぱりメンタルが強靭な人は言わなそうな発言だな、と思った。私の表情を見て、慎は
「うん、伝わってないよね。あのさ、これから同棲やめるじゃないですか。その事実にさ、心が引っ張られて、『俺たちは同棲解消したカップル』って自分に刷り込んで、それに見合う行動をしてしまうのではないかと」
「不安なんだね」
「そう」
分からないでもない。起きた出来事や行動に対して、その経緯と関係なく、心が適応していっちゃう、って事だろう。
私は、人事異動のスパンや若手の配属先のバランス、前任者の異動先等々考慮すると、たぶん3〜4年で帰ってくるよ、と伝えた。それは、慎に「そっかー!」と明るい顔をさせる効果など無かった。こういう時、去る側は引っ越しとか引き継ぎで寂しがってる暇がないけど、去られる側はそれを見ているだけだから、より辛くはなるだろう。
私も別に、辛くない訳じゃない。ただ、ちゃんと自分が、他の同期に取り残される事なくジョブローテーションの流れに乗っているという安心感があった。それに、新しく製品ラインを立ち上げる工場の生産管理。やりがいも、評価も感じていた。そういう自分を少し、後ろめたく思いながら、万かつに添えられた「旅のお供に!」というPOPを見つめた。
きじ
秋田空港でタクシーを拾い、能代駅まで、と告げた。走り出してすぐ、
「お客さん、お仕事?」
と聞かれた。
「あ、そうです。わかりますか」
「あそこにひとりで来る女の人はだいたい仕事だべ」
それもそうか、と言うと失礼かもしれないけど、確かに観光地ではないし、工業団地もある。しかも年度末の夕方着。材料は揃っていた。
ずっと座ってただけなのに、旅というものはどうしてこんなに疲れるのか。ゆったり座ればお腹がひろびろと伸び、ずいぶんお腹が空いている、と気づいた。
「あの、だまこ?って、食べたいんですけど、まだやってますかね」
「『べらぼう』ならやってんべ」
べらぼう、とは、能代の街中にある居酒屋らしい。じゃあそこまでお願いします、と告げた。どうせ急いでアパートに向かっても、空腹で何もする気が起きないだろう。
能代の街中……と言うには少し閑散とした通りを抜けた先に、べらぼうはあった。開店したばかりの時間帯だからか、土曜とはいえ客はいなかった。入り口すぐの所にトランクを置かせてもらい、カウンターに座った。
生ビールとだまこ鍋、つまみにいぶりがっこを頼んだ。ご主人も、奥さんらしい女性も、淡々としている。タクシーの運転手さんのように、お仕事ですかと聞かれることもない。カウンターのひとり客としては、その感じがかえってありがたい。
小さな店内に、卵の香りが漂う。ご主人が四角いフライパンの中で器用に卵を返している。期待でソワソワし、ねぇ、それ誰のための卵焼きですか?! と大声で聞きたくなる。聞くまでもなく、私のお通しだった。お通しが出来立ての、しかも比内地鶏の卵焼きだなんて、これはもう勝ちの予感しかしない。
だまこを待つ間に、甘くないふわふわの卵焼きといぶりがっこでビールを飲みながら、ネットニュースを開いた。スクロールしていくと、「肉の万世」の文字が目に入った。
秋葉原の万世が、明日閉店するらしい。前に2人で、神田にスノボウェアを買いに行った時、ついでに秋葉原まで歩いたことがあった。その時にたまたま万世の前を通って、慎が
「ここが俺の万世のふるさと……」
と感慨深げに見上げていた。万世はみんなのものだよ、と言いたくなったけど、スルーしてあげた。これは教えてあげた方がいいんじゃないだろうか。記事のURLに
「アキバの万世、明日閉店だって」
と書き添えてメッセージを送信した。
カウンターの中で、ゴリゴリとかゴツゴツと音がする。やがてその音は、ペタペタとかペチペチに変わった。奥さんが、炊き立てのご飯をすり鉢に入れて潰し、素手に取って丸めている。今回は本当に聞くまでもなく、私のだまこだ。あのだまこの行く先だと思われる、小鍋の出汁が湯気を立てて待っている。
釘付けになっていたら、スマホが振動した。返信かな、と思って画面を見ると、
“やめて下さい。俺は今、万かつつまみに飲んでいる”
と表示されていた。
マズイ。
これは、泣いているか半泣きだ。センチメンタルな時に、更にセンチメンタルになるニュースをぶん投げてしまった。せめて
「アキバの万世、明日閉店だって😢」
にするべきだった。
「お待たせしましたー!」
奥さんの意外とハキハキした声と、だまこ鍋の甘辛い香りが、後悔と反省を打ち消す。わー、と胸の前で小さく拍手して迎え入れる。ひとしきり匂いを嗅いだ後、慎のセンチメンタルが表示された画面を切り替えて、写真を撮った。アングルを変えて、だまこちゃんの可愛いさが引き立つ撮り方を探る。
渾身の一枚に
“ごめんね💦だまこ鍋食べに来た🍲
新米の季節に連れてってあげるね🥰 ”
と添えて送った。だまこで釣ったみたいになったけど、「新米の季節もきっと、変わらず付き合ってるよ」と言う意思表示に受け取ってくれるだろうか。まぁ、言葉足らずは後で電話で補足しよう。今はだまこに向き合う時、と、スマホを仕舞って箸を取った。
end.
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居ぬ、去る、帰じ、だと思った方挙手。
記事でした〜📰
そして、記事リンク使うなら、この際絵文字もいいだろ、と思って絵文字まで使いました。折角スマホで書いてるし、Web小説らしいことしてみたかったのです。
帰りの高速の車内で考え、帰宅してポチポチ書きました。
書いてる途中で「これは最早桃太郎ではない」って気づいたけど、1本目が比較的型通りの桃太郎だったので、こちらは自由演技ということにさせて下さい。え、あれ型通りだよね?
あと、2本書いていいのかな……も、ちょっと思ったけど、すみません考えちゃったし書いちゃったんで上げますということで……。
<1本目>
こういう、お題に沿って書いてハイどうぞ!と載せる掌編、楽しいですね。今後ももっと気軽に書いていきたいな。
長編書いてる途中だったから尚更楽しかったです。
白鉛筆様、改めてありがとうございました!
べらぼうはホントに美味しいお店だったので、能代に行かれる際はぜひ!