「もうない店」の話 ――雑貨店「スージー」
あてもなく店を見て回るのが好きだ。
こういうのを「冷やかし」と言うんだろう。
冷やかすつもりは毛頭ないけれど、きっと「冷やかし」ているのだ、私は。
いや、いた、のだ。
もうすっかり、あてもなく店を見て回るということをしなくなった。単純に、疲れてしまうから。商売っ気の強い店は、経営上正しいけれど、刺激的すぎる。
落ち着いた服屋などは、大体が高くて、ローン背負った身には場違いだ。
20代の頃は、稼ぎの少ない者のささやかな娯楽として、ウィンドウショッピングを楽しむ体力的・精神的余裕があった。
少しだけお洒落して、渋谷から代官山に歩いて行くのが好きだった。
A.P.Cは、買えないけどギリ入れる。sunao kuwaharaは、死角が多いから入れる。ぎゅっと服が詰まった、小さくてナチュラルな感じの店は、気取りなく、受け入れて貰える感じがあった。オニツカタイガーで「ギリ買えますよ」という顔をした後、蔦屋書店でゴール。
そういう、「冷やかすつもりはない、事実上の冷やかし」の原点に、「スージー」がある。
「スージー」は地元の雑貨店で、でも、雑貨と呼ぶには雑じゃなさすぎる、可愛らしい店だった。
小学校3年生になり、自転車で少し遠くに行くことが許されたころから、スージーを「冷やかし」に行っていた。
スージーは、私にとっては万博のようだった。
スージーは、スーパーマーケットの駐車場の先に、ポツンと立つ、三角屋根の薄い黄色の一軒家で、白い枠の観音開きの窓がある。その佇まいが、非日常的だった。
入店して左側は、大分マダム的な、たっぷりとレースのフリルを寄せたクッションや人形が、壁にぎっしりと並ぶ。そこはスルーして、中央の食器を見る。少し和風の箸や茶わんと、白鳥の向かいあう模様の、大ぶりの白いマグが同居している。大好きなピンク色じゃないけど可愛いものがたくさんある、ということを知った。
少し右側に、便箋のセットが並んでいる。端がなみなみにカットされた便箋と封筒。水色地に大きなアヒル柄の便箋は、アヒルの上に文章を書くつくりになっている。
チャック付きの袋に、テディベア柄のレターセットが詰まったものを買った。お年玉を貰った後だったと思う。
父の日母の日、家族の誕生日プレゼントも、毎回スージーで選んでいた。
ある年の父の誕生日に、私は湯呑を買おうとスージーに向かった。予算は850円。スージーの店主のお姉さんが声を掛けてくれ、一緒に探してくれた。どうにか選び取った湯呑は、900円。
「850円でいいよ、サービス」
言われたものの、ありがたいと思ったものの、後ろめたさは消えない。逡巡していると、お姉さんが、棚の奥の方からひとつ湯呑を見つけ出した。
それは、青い湯呑で、コップのフチ子さんのように、三毛猫がぶら下がったデザインのもの。900円の湯呑よりずっと可愛く、そして850円内に収まるものだった。猫の湯呑は未だに実家の食器棚にある。
スージーは、私が引っ越した1年後、突然(と思ったのは、私だけかもしれない)閉店した。
あの可愛らしい黄色の一軒家は、居酒屋になった。
建物というものは、何にでもなれるんだな、とぼんやり思った。
大人になり、何度も、地名+スージー で検索したが、全く情報は得られなかった。黄色い家は建物ごと取り壊された。
もう一度あの佇まいを見たいし、なにより、スージーのお姉さんが、その後またどこかで雑貨店を開いていないかを知りたい。
今頃、50代になられていると思う。
いつも真っ直ぐなコシのありそうな茶色い髪を、後ろでひとつに括っていた、色白の、たれ目のお姉さん。
田舎町のはずれのスージーにしか売っていないものがたくさんあって、そのうちのいくつかが、今も実家で働いてくれている。
ひとりで、素敵なものに会いに、素敵な店に行くということを教えてくれたスージーが、ある日突然目の前に現れたらと、夢みたいなことを、時々考えている。