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【ネオサイタマ・イズ・スリープ・ディプライブド】
窓の外には、重金属酸性雨に霞むネオサイタマの風景が見える。『電話王子様』『今すぐ契約』『空飛びに行こう』『実際安い』無数のネオンの灯りが明滅し、深夜にも関わらず看板の下を人々が途切れることなく行き交う。
上空をゆくマグロ・ツェッペリンから降り注ぐ、漢字サーチライトの光と広告音声。あるいは、どこかからの悲鳴や喧騒。窓一つから、あらゆるものが室内に忍び入ってくる。
しかし、そんな外部情報などネトゴのニューロンには全く入ってこない。その意識は向かい合っているUNIXの画面に集中している。映し出されているのは、ネオサイタマで人気第一位のソーシャルゲームに纏わる情報だ。このゲームのトップランカー、その地位を維持するためには学びが欠かせない。
「そう、全ては勉強だ。学んでいない奴とは、そもそもの発想が違う。上位チームに居れば、それだけで大きなサポートが受けられる。効率を考えれば、何をすればいいのかちゃんと見えてくる。社会と同じだ。勉強してる俺の勝ちだ」
独り言ちる彼の目は血走り、濃い隈が刻まれ、瞬きすら忘れてしまったかのようだ。キーボードを叩く傍ら、手元の端末でソーシャルゲームを同時プレイしている。
ネトゴはその様子を動画配信することで利益を得て、そのカネをまたソーシャルゲームに注ぎ込む。頭が回る人間が上に立ち、ますます力をつけていく。まさに暗黒経済が支配する社会の構図と同じなのだ。
「さあ、次だ。まだ効率を追求出来る。お前らなんかとは違うんだ。まだまだ。まだまだまだまだ――――」
彼自身すらも、その異様さには気が付かない。情報収集、端末操作、動画配信、同時にいくつものタスクをこなす彼の目の充血はさらに深まり、やがて血涙が流れ出した。数日も眠っていない……いや、眠ることを許されないそのニューロンは限界を迎えつつあった。
彼の背後、ネオンの光すらも届かない部屋の隅の暗がりに立つニンジャが、彼をじっと睨んでいる。見えないローカルコトダマ空間同士の繋がりが、ネトゴに眠りを許さない。眠れないでいることすらも、気付かせない。
数分後、ネトゴのニューロンはついに限界を迎えた。生体LAN端子から煙が噴き出し、眼球が裏返り、数度の痙攣の後、彼は椅子から滑り落ちた。端末が手から滑り落ちる。画面には、突然ゲームプレイが止まったことに困惑する動画視聴者のコメントが流れていた。
ニンジャは、その端末を踏み潰した。寝間着めいて着崩された装束にナイトキャップ、大きな一つ目模様があしらわれたメンポをつけたそのニンジャの目には、たった今死んだネトゴ以上に濃い隈が浮かび上がっていた。
「……やはり、眠れん」
ニンジャは覚束ない足取りで、ネトゴの部屋を立ち去っていった。
その数分後、部屋のドアが蹴破られた。エントリーしてきたのは、複数人のヤクザスーツの男たち。同じ顔立ち、同じ髪型、同じサイバーサングラス。クローンヤクザだ。その胸には、クロスカタナのエンブレム。
続いて室内に入って来たのは、傍らに鋼鉄の筋肉を持つサイバネ犬を伴ったニンジャだった。
「「「「誰もいません」」」」
「見ればわかる。一足遅かったらしいな」
ニンジャは、無残に煙を噴き上げるネトゴの死体を一瞥し、続いてサイバネ犬を見下ろした。サイバネ犬は、すでに部屋の中を嗅ぎ回り始めている。少しの間。後ろで手を組んで待つクローンヤクザ。やがて、サイバネ犬が振り返って主人を見上げる。
「……だが、匂いは捕らえた」
◆◆◆
鉄扉が開く、軋んだ音。ネオサイタマの片隅に佇む雑居ビルの一室に、寝間着装束のニンジャが入り込んだ。荒い息づかい。
「イ、インソムニア=サン! お帰りなさい!」
サイバーサングラスの男が、振り向いて震えた声をあげる。荒れた室内に、一つだけ備え付けられたデスクにLAN直結している。その出で立ちはハッカーのそれだ。
「ダメだ、キビイ=サン。今回も眠れなかった。次だ」
「ヨ、ヨロコンデー!」
キビイは次のターゲットを探す。ニンジャソウルの憑依以来、訪れることのない安眠を求めるニンジャのために。恐怖による震え。その奥に、隠された高揚感。
(ザマミロだ……何がトップランカーだよ……僕があれほど必死にプレイしても追いつけなかったのは、何かチートしてたに違いないんだ……。さあ、次は誰をこのイカれニンジャに殺させてやろうか……)
ハッキングを続けるキビイの目に、卑屈さと残忍さを兼ね備えた光が宿る。タイピング速度は、かなり甘く見積もってもスゴイ級に届くかどうか。キビイはいつも中途半端だ。
何をやっても長続きしなかった。頑張ったつもりになっていても、大した成果は上がらない。キビイは原因を外に求め、やがて孤立した。寄って来たのは、突然彼の下へ現れて、ハッキングによる獲物探しを強要するようになった、この狂人ニンジャだけだ。
だが、キビイにとってそれは、気に入らない相手をこの世から蹴り落とす絶好の機会となった。そうだ、勝てないなら自分より上にいる人間を消してしまえばいい。これこそ、発想の違いだ。あいつらとは違うのだ。
キビイの心中の呟きなど知らず、背後で静かに床に座り込むインソムニアは、虚空に視線を彷徨わせる。暗黒メガコーポの兵として、寝る間も惜しんでカネを稼いでいた時代を、夢に見ることも彼は出来なくなった。眠れないからだ。
安眠と引き換えに得た力は、あまりにも代償と見合わなかった。相手と自身のニューロンを接続し、不眠症にするジツ。その気になれば、数日分の不眠に相当する負荷を相手のニューロンに与えることも出来る。ネトゴにしたように、じわじわとニューロンを破壊することも出来る。
だが、それが何だというのだろう。憑依直後に、恐慌に陥って同僚を殺してしまった以上、暗黒メガコーポには戻れない。何よりも、眠れない。ニンジャと言えども、睡眠は必要のはずだ。それなのに、眠ることの出来ないまま、疲労と狂気だけがインソムニアに蓄積していく。
眼前のモータルを見やる。こいつは、眠れる。渦巻く嫉妬と怒り。しかし、今の自分には狙いやすい犠牲者を見つけ出すことすらままならない。ニンジャとして得た身体能力を使って疲れ果てた無理矢理身体を動かし、ジツを行使し、相手を殺す。出来るのはそれだけだ。
それを繰り返して、自分のニューロンからこの疲労を相手のニューロンに押し付け、取り除いていけば、いつかは眠れる。そのはずなのだ。
何の根拠もない妄想に縋っていることにすら、インソムニアは気が付けない。ニンジャの聴力が近づいてくる足音を捕らえても、すぐにそれに反応出来ない。
部屋の鉄扉が蹴り開けられてようやく、インソムニアは立ち上がった。キビイの驚愕と悲鳴を背後に感じつつ、インソムニアはアイサツした。
「ドーモ、インソムニアです」「ドーモ、ホローポイントです」
エントリー者はアイサツを返した。一目で高級とわかるヤクザスーツにヤクザ腕時計。全ての指にはまったクロームの指輪。クロスカタナの金バッジが、裸電球の光を反射する。
「舐めた真似してくれたよな。何のつもりで、うちがケツ持ってるハッカーを殺した? あ?」
キビイは青ざめた。ただ気に入らないという理由だけで無作為に獲物を選定していたばかりに、地雷を踏んでいたことを理解したからだ。インソムニアはそれに構わず、答えた。
「眠りたいからだ」「……聞くだけ無駄だった」
「ホント、この街は頭のおかしい奴が多くて嫌になっちゃうよね」
ホローポイントの傍らで、赤い肌にねじくれた角を生やした女が笑う。BLAM! ホローポイントが彼女に発砲する。ディアボリカ。彼にしか見えない幻影の女。
当然、そんなことを知らない二人は自分たちへの殺意だと受け取る。キビイの絶叫。インソムニアは身構え、ジツを発動させた。
途端に、ホローポイントのニューロンに大きな負荷がかかった。何日も眠っていないかのような疲労感。細胞に有害物質が溜まり、弾けるような感覚。
いつもの感覚だ。敵を殺すたびに覗き込むことになる、あの灰色の路地裏に悪夢の中でも苛まれ、赤い女と眠りの中で望まないランデブーを強いられる彼にとっては。
「サップーケイ」
「何……?」
ジツを行使したにも関わらず、相手が何の反応も示さないことにインソムニアが訝しんだ時には、彼はすでにそこにいた。雑居ビルの汚い部屋は消えうせ、頭上にサメとマグロの魚群が渦巻き、足は白骨を踏みしめる。血走った目で見まわす。色彩のない路地裏。
「また考えなしにジツを使って。こんな奴、あのまま撃てば死んだんじゃないの?」
「黙れ」
BLAM! BLAM! 誰もいない空間に放たれる銃撃。それを行うホローポイントの血走った目に、インソムニアは親近感を覚えた。そして、安堵感も。彼は理解したのだ。自分に、待ち望んだ眠りの時が来たのだと。向けられる銃口。インソムニアは迎え入れるかのように両手を広げた。
BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!
「サヨナラ!」
機械的に銃弾が撃ち込まれ、インソムニアは爆発四散した。モノトーンの悪夢が途切れる。引きずり込まれた者は永遠の眠りにつき、引きずり込んだ者は眠ることすら許されないまま己の中の悪夢を見ていた。
汚らしい部屋が戻って来た。眼前には断末魔に顔を歪め、血塗れになって倒れ伏すキビイ。死体の横に、口から血を滴らせるサイバネ犬と、その主人たるブルハウンドが立っていた。
「エート……片付きましたぜ」
「相変わらずの忠犬ぶりね」
いつものように、恐る恐るブルハウンドが声をかける。彼の横に立つディアボリカが、彼には届かない称賛を口にする。
ホローポイントは舌打ちし、ブルハウンドに素子を投げ渡した。
「仕事は終わりだ。俺は帰る。お前はそのカネで飯食うなりなんなり、適当にしとけ」
「ア、アリガトゴザイマス!」
最オジギするブルハウンドから視線を切り、ホローポイントは歩き出した。キビイの死体処理のためにやってきたクローンヤクザたちも、同じように頭を下げる。ホローポイントは一瞥もしない。血走った視界にわざとらしくディアボリカが入り込んできたが、無視した。
雑居ビルを出ると、厚い雲の隙間から日光が差し込んできた。結局、夜明けだ。また眠りを逃した。ホローポイントは不機嫌な足音を響かせて歩いていく。
誰かが殺し、誰かが死ぬ。これもチャメシ・インシデント。眠らない街、ネオサイタマの夜が明け、いつもの一日が始まる。
【ネオサイタマ・イズ・スリープ・ディプライブド】 終