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バッジオが蹴ったボールの行き先は"無情"だったのか?
こんにちはこんばんわ、すぎまるです。
初めてこういう類の文章を書いてみることにした。
なんとも利己的な動機ではあるけれど、理由は自身の語彙力、文章力に自信がなく経験値を積みたいから。
サッカー好きならば誰しもが知っているだろうイタリアの至宝ロベルトバッジョのあのワンシーン。
バッジョ自身、あの瞬間を繰り返し夢に見て苦しみ続けたことを後に明かしている。
そう、1994年のワールドカップアメリカ大会の決勝ブラジル戦、延長戦でも決着がつかずにもつれ込んだPK戦で優勝を逃したあの一蹴りからすでに四半世紀が経過した。
「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
そんな彼の言葉には計り知れないほどの重みを感じると同時に、(少々乱暴な表現かもしれないが)ポジティブで楽観的な心理状態もを持つ印象を受けたりもする。
「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」
幸福論などで知られる哲学者アランの言葉がある。
ビジネスでもプライベートでも言えることだがいつも「楽観的」でいられることはあなたにとって簡単なことだろうか。
人間という生き物は気分に左右されるのだから、ついつい悲観的になってしまうのは仕方ない。
ベンチャー企業の営業マンである私は数年前、キャリアに変化を求めた転職活動で「楽観的」であることをとにかくアピールしまくった。そして書類や面接に落ちまくった。
最終的に選択したのは資本金も社員数も少ない創業間もない無名のベンチャーかつ未経験の営業職。
右も左も分からず苦しんだ時期もあったが今、自身の下した決断には納得、満足をしている。
これまでも決断を迫られるときは常に険しい道を選んで生きてきた。
それは根拠なき自信の根底に「覚悟=意志=楽観さ」があると信じているからと自己分析している。
私が周囲の仲間や家族に思うことは悲観的でなく楽観的、他責的でなく自責的であってほしい、ということ。
気分で生きるのでなく意志を持って生きてほしい。
今を取り巻く環境は全て自分自身が重ねてきた1つひとつの決断の結果なのだから。
今まさに大きな決断を前に悩んでいる人がいるのなら肩をポンっと叩いて声をかけたい。
「大丈夫、なんとかなるさ」と。
#ロベルトバッジョ #楽観的 #ポジティブ #根拠なき自信