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晴れた日の午後、性についての考察、フランス語資料訳【Xジェンダー、《ジェンダーフルイド》。揺さぶられる性の基準】

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皆さんこんにちは。S.C.P. Japanの活動を少し遠いところから応援しているMIAと申します。あるきっかけでS.C.P. Japanの活動を知り、それから二回にわたってS.C.P. Japanのページに、記事を書く機会をいただきました。
少し遠いところ(海外)にいるわたしはS.C.P. Japanの活動に直接参加する機会はなかなか持てませんがS.C.P. Japanの活動の内容や報告から、日々、様々なテーマを広く豊かに考え、学ぶ姿勢をおしえてもらっています。
社会的なテーマをより身近に感じられるという点でS.C.P. Japanの活動の幅広さは、皆さんもご存知だと思いますが、その活動報告からいつも感じることは、どんな社会的なテーマにおいても、既成の考え方に捕らわれずに自身で考えること、学ぶことを大事にしているのだなということです。

そして、今回のテーマです。
そもそも、専門家や当事者でないわたしがあえてこのテーマを題材にするのはなぜか、という点についてですが、このテーマに関してはテーマの方からやってきたというのが自然なこたえになるように思います。それは、今現在わたしが暮らしているフランスでは、性の多様性というテーマが、自分の身近な人や限られた人間関係の中だけで持ち上がる限定された領域の話題ではなくなりつつあり、むしろ、これからの社会を考える上で外すことのできないテーマのひとつである、という一般認識が少なからず浸透しているからです。
とはいってもわたしがこれから書く内容は決して何かの統計や、膨大な時間を費やして導き出された性の多様性の研究結果などではありません。
個人的な体験に伴ってふと考えたあれこれをそのまま綴っただけの内容なので、豊富な知識をお持ちの方にとっては、性の多様性へのアプローチとさえいえるかもわかりません。
しかし社会的なテーマというのはいつも、現在進行形で存在しているもので、生きていればそのテーマに触れるなんらかのきっかけというのがあり、ひとはそれに触れた時、少なからず各々の「思考スイッチ」を作動させ、自分なりに考えたり調べたりする生き物ではないか、というのがわたしの個人的な考え方です。
ということで、今回はその過程をそのままの形で綴ってみたいと思います。
話がそれてしまいましたが、最後に、目次にある資料についてです。今回の内容が少しでもみなさんの性の多様性へのアプローチに繋がれば、という思いから、個人的体験の後に閲覧した、このテーマに関連するいくつかのビデオクリップの中から、ひとつをピックアップして内容を翻訳してみました。あわせてお読みいただければ幸いです。

⒈【ある晴れた日の午後のはなし】

ある晴れた日の午後、娘の友達のAちゃんが家にやってきた。ふたりはドレスを引っ張り出して仲良く、お姫様ごっこを始める模様。
さて、ドレスが何枚か床に用意されたところで、ふたりは議論に入った。どちらがお姫様役をやるか。

Aちゃん:わたしが姫ね
娘:いや、わたしが姫

どちらも姫をやりたいんだったら、ふたりとも姫になればいいじゃないか、
とわたしは言った。

ふたり:そうか、そうだね

ふたりはそれぞれ姫の恰好をしてわたしの前に現われた。
「おお~」
一件落着。そう思っていたら、二人が姫姿のまま小競り合いをはじめた。どうも、ストーリー仕立てのお姫様ごっこが始まっていたらしく、舞踏会に招待されたふたりの姫が、王子と踊るシーンに突入している模様。そしてどちらが王子に選ばれるかということが問題になっているらしかった。

「その話、どこかの昔話にありそうなやつじゃない。」
わたしは言った。

しかし娘たちの小競り合いはヒートアップしていくばかり。違うデザインのドレスをまとったふたりの、どちらがより美しくみえるかという言い争いにまで発展している。

姫同士だと喧嘩になるんだったら、たとえばどちらかが王子役になればいいのでは?
わたしは言った。

そういうとふたりははたと小競り合いをやめて議論をはじめたどちらが王子役をやるか。

Aちゃん:わたし王子やる
娘:いやわたしが王子

じゃあふたりとも王子になればいいのでは?
わたしはいった。

結局それぞれが交代で王子役をやることになり、ふたりはこのロールプレイをあきることなく、楽しんでいるのだった。

⒉【考察】姫と王子とそのどちらでもない性について

お姫様ごっこという変哲のない遊びにはルールなどないように見えて実はルールがあった。それは誰が何役をやるかをはっきりさせること。そしてその役にあった振る舞いをすること。

ふたりを見ているとこのルールを忠実に守ろうとしている姿勢が伺える。そして、この役にあった振る舞いとは一体どうゆうものかを見ていると、それは明らかに、王子(男)、姫(女)という性の役割を演じることだった。
王子の振る舞いには男性的といわれる言葉遣いや、体の動きがあったし、姫の振る舞いには女性的といわれるそれが同じだけ目に見えてあった。
はっきりわかったことは、この「性」=男、女、がなければそもそもこのお姫様ごっこ自体、成り立たない、ということである。
そんなの当たり前だといわれたらそれまでなのだが、この見えない性の掟が、誰から押し付けられたわけでもなく、すでにふたりのロールプレイに埋め込まれている事実は恐ろしくもあった。性の呪縛というのは確かに存在していている。なぜなら「性」の概念はあたり前として持っていなければいけない定義かなにかでもあるがごとく五歳児たちの脳裏にも刷り込まれてしまっているのだから。

しかし同時に、このふたりのロールプレイの中に元来の「性」がいかにあいまいなものであるかということがわかるちょっとした場面があった。
それは、ふたりとも王子役になればいいという提言に対して、彼女たちが、自身の元来の性(女)を意識しないまま、すんなりと王子(男)役を引き受けたとき。「わたしは女なのに王子をやるのはへん」というあのお決まりの文句が返ってくるかもしれないと、かまえていたわたしにとって、このふたりのきりかえには意表をつかれた。
社会が定めた「性」というのは、あくまでそれに付随する役割や振る舞いのことで、自身の性とは切り離されるべきである事、またこの自身の性は元来の「性」の概念に左右されるものではないということ、をすんなりと見せられたような気がしたからだ。
そうすると、立ち戻って、性とは一体なんだという話になるのだろう。フランス社会ではこの議論がずいぶん前から活発になされてきたようだ。そして、その議論は、性という言葉がもっともっと曖昧で、だからこそ多様な意味合いを含めて発展させていくべき概念ではないかという、男女という二種の性の枠組みに囚われない形をみせている。この性に生まれたからこの役割であるという考え方はほとんど消滅したといってよいだろう。
ただ元来の「性」に付随したあらゆるイメージが今もしつこく元来の「性」を支えている構図があることは否めない。それでも、これからの「性」というのはもっと多様化していくであろうし、今までにない文化をつくっていくのであろうと思う。

⒊【資料】訳文:Xジェンダー、《ジェンダーフルイド》。揺さぶられる性の基準

今回紹介する資料はフランスのLumniが製作したビデオクリップのトランスクリプションです。

※Lumni:教育音声映像プログラムを配信するプラットフォーム。フランス共和国国民教育・青少年省、フランス国立視聴覚研究所、その他研究機関や国民教育団体と共同で番組プログラムの開発を行っている。(今回ピックアップしたクリップの対象年齢は11歳から)

タイトル:Xジェンダー、《ジェンダーフルイド》。揺さぶられる性の基準

Miley Cyrushは今までにリリースしたヒット曲やメディアでのおふざけでよく知られていますが、LGBTの活動家でもあります。2015年に自身は《ジェンダーフルイド》であると告白しました。その2年後、イギリス人歌手 Sam Smithは自身をXジェンダーであると説明しています。

《ジェンダーフルイド》とXジェンダー…
もしあなたがこれらのテーマでおいてけぼりになっているとしても、心配ご無用。一緒に、ジェンダーを取り巻く現状をみてみましょう。まずはジェンダーに関する歴史から。

男と女の間にあるあらゆる相違は生物学上の理論だけでは説明
できない」

1897年フランスの社会学者 Émile Durkheimがはじめてはっきりとこう述べました。男と女の間にあるあらゆる相違は生物学上の理論だけでは説明できない、と。では、男と女を区別する生物学上の性的特徴の他に、男と女を説明することのできる、なにかがあるとしたら、それはなんだろうか。こうして、人類学者、社会学者、精神分析学者が何十年もかけて辿り着いたのがジェンダーという概念でした。わかりやすくいうと、社会が定義する、女性的、男性的といわれる特徴のことです。このことをSimone de Beauvoir は「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と説明しています。

昨今、急激に広がりをみせるジェンダー領域
トランスジェンダーは生まれたとき与えられた性と自身のアイデンティティーとしての性が違っています。次にXジェンダーは男か女かそのどちらかの性という考え方をしません。Xジェンダーは同時に男だとも女だとも自身を認識することができます。または、男か女か、二者択一の性を自身の性として行き来することができます。この行き来できる人々をジェンダーフルイドと呼んでいます。とはいえ、多数のXジェンダーは自分自身はこのどちらの描写にも当てはまらず、性自体がないと認識しています。
ここで、明確にしておくべき重要なポイントがあります。Xジェンダーやトランスジェンダーであることと、その人たちの性的指向の間には何の関係もありません。またその人たちの外見や振る舞い方にも関係はありません。これは、そのひと自身が感じること、認識、の話です。その人が引き込まれる対象や表現するものの話ではありません。

これらのアイデンティティーの中に自身を見る若者
アンケート調査によると、質問を受けた18歳から30歳のうち、13パーセントが自身を男や女としてみなしていない、とのこと。この数字は一般世代の二倍以上です。このうち多数は「中間的ジェンダー」として公的書類に記されることを望んでいます。実際に2019年の初めにニューヨークがこれを適用した例があります。
もちろん、これらの新しいアイデンティティーは一定の人を当惑させ、時には暴力的なリアクションを導くことがあります。フランスでは l'inter-LGBTの管理者 Arnaud Gauthier-Fawasが Arrêt sur Imagesという番組の中で「わたしは男ではない」と表明した際に、多くの人がXジェンダーをとりまく社会問題について初めて知ることとなりました。その後に続いた、からかいや嫌悪の嵐は、社会が持つべきXジェンダーの人々に対する寛容性をもっと高めていく必要があることを十分にわからせてくれる証拠にもなりました。(終)

出典:Non-binaires, "gender fluid". Les normes de genre bousculées. - Vidéo Enseignement
moral et civique | Lumni
訳:MIA KINOUE

※まだ日本語として定着していない外来語についてどう翻訳するかについては様々な意見があると思いますが、今回は、わたし自身がこのテーマの学習者であること、個人的な翻訳作業に留まることを踏まえて、専門的な用語はウィキペディアの訳語をそのままの形であてはめました。ご理解下さい。

原文: Non-binaires, "gender fluid". Les normes de genre bousculées.
Miley Cyrus est connue pour ses tubes et ses frasques sur et en dehors de la scène. On le sait moins mais la chanteuse est aussi une activiste du mouvement LGBT. Elle a révélé en 2015 se considérer comme « gender fluid ». Deux ans plus tard, le chanteur britannique Sam Smith expliquait, lui, être non-binaire. « Gender fluid », non-binaire... si vous vous sentez un peu perdu avec ces termes, pas d’inquiétude !
Faisons le point. Et commençons par un peu d’histoire.
1897, les différences entre les hommes et les femmes ne sont pas réductibles à des explications biologiques
En 1897, le sociologue français Émile Durkheim énonce pour la première fois que les différences entre les hommes et les femmes ne sont pas réductibles à des explications biologiques. Il y a les caractéristiques sexuelles qui distinguent les hommes et les femmes, et puis il y a autre chose. Oui mais quoi ? Il va falloir plusieurs décennies aux anthropologues, sociologues et psychanalystes, pour arriver au concept de genre. C’est-à-dire en clair, les caractéristiques que la société définit comme féminin et masculin. « On ne nait pas femme, on le devient », explique ainsi Simone de Beauvoir.
Depuis quelques années, le périmètre du genre explose
Il y a les transgenres, dont l’identité de genre diffère du sexe avec lequel ils ou elles sont né.es. Et puis il y a les non-binaires qui rompent avec l’ordre des genres. Ces personnes peuvent se sentir garçon et fille en même temps. Ou alors l’un puis l’autre de façon alternative, ce qu’on appelle les « gender fluids ». Enfin, certains non-binaires ne se reconnaissent pas du tout dans ces descriptions et se considèrent sans genre. Précision essentielle : être non-binaire ou transgenre n’a rien à voir avec l’orientation sexuelle ! Ni avec l’apparence, d’ailleurs. C’est une question de ressenti, pas d’attirance ou d’expression.
Les jeunes se reconnaissent dans ces identités de genre
Selon un sondage, 13 % des 18-30 ans interrogés ne s’identifient pas comme hommes ou femmes. Plus de deux fois plus que la population générale. Certains espèrent même voir apparaître un « sexe neutre » dans les papiers administratifs, comme c’est le cas à New York depuis début 2019.
Forcément, ces nouvelles identités déroutent certains et entrainent des réactions parfois violentes. En France, nombreux sont ceux qui ont découvert la question de la non-binarité quand Arnaud Gauthier-Fawas, administrateur de l'inter-LGBT, a déclaré sur le plateau de l’émission Arrêt sur Images « ne pas être un homme ». Le déchaînement de moqueries et de haine qui a suivi cette déclaration est la preuve que la tolérance à l’égard des personnes non- binaires a encore du chemin à faire.

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