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中東の歴史かんたんなまとめ イスラエル④イスラエルの誕生 1948年

建国

イギリスはイスラム教徒とユダヤ人のための安定した祖国建設は無理だと判断し、完全にパレスチナを去ってしまった
1948年5月、そのままほったらかしにして逃亡
1948年5月14日、May 14 1948 David Ben-Grion declared Israel's independence, leader of the Jewish provincial government formally declared ・ベン・グリオンという人がイスラエルの独立を宣言。

約86万人のユダヤ人がアラブ諸国に避難
内戦
イギリスがすべての手を引いた直後
エジプト、ヨルダン、レバノン、イラクは翌日侵攻してきた

なぜ侵攻したのか?

ひとつは、ユダヤ人が、英国領パレスチナ内で国連がもともと設定した領土のふりわけ、一定の割合をパレスチナ人に、一定の割合をユダヤ人に割り当てた枠を越えた土地を所有していたこと、アラブ人とイスラエル人の間で争いが激化したこと、そして、もうひとつ大きな問題は、自分たちの土地は、サイクス・ピコ協定によって分割されたので、この機会が彼らにとり国境を広げるチャンスだったからである

それぞれの思惑

例えば、ヨルダンのアブドゥラ国王はイスラエルと秘密裏にイスラエルから攻撃されないように交渉していた。アブドゥル国王は西岸を併合することを望み、エジプトのフルーク国王はガザ地区と南部パレスチナの主要部を併合することを望んだ。イラクの権力者ヌリ・アル・シードは、肥沃な三日月地帯をすべて自分の指導下におきたがった。そのため、さまざまな駆け引きが繰り広げられた。彼らは皆、この土地を自分たちの新しい国家の下に置こうとした。また、アラブ諸国の保護者として重要な立ち回りをする政治的宣伝目的もあった。


イスラエルの反撃


イスラエル国防軍IDFとイスラエル空軍IAF
1936年~1939年のアラブ反乱の際にイスラエルの民兵から結成された
アラブ人を相手に戦いに成功した
主な戦闘は1949年3月に終結
軍事組織の成功優れた軍隊
シリア・ヨルダン・レバノン・エジプトと武装協定を結ぶ

新しい祖国


ホロコーストの生存者や中東近隣諸国の住民が新しい国に押し寄せた。
人口は1948年から1958年までに80万人から200万人に増加した。

パレスチナ人は土地を追われる


イスラエルの敗戦後、故郷への帰還を希望
戦争中に80万人近くが強制連行された。
西岸はヨルダンが1949年から支配 ヨルダンは東イェルサレムも支配
ガザ地区はエジプトが支配
ヨルダン、エジプトはパレスチナ人を難民として受け入れることを拒否した
現在も400万人の被差別民が自分たちの国を持たない。

おわりに


勉強する中でそれぞれの登場人物の呼称が意図的だなと感じる。「アラブ」と呼ぶ時は彼らへの多少の差別や、地元民というより、テロリストを含むイメージがあり、ムスリムと呼ぶ時は市民を含めた柔らかいイメージを含む。入植者とする時とユダヤ人と呼ぶ時も分けており、読んでいて意図を感じる部分もある。

イギリス人がさっさと去っていった点はThe British gave up on the task and wash their hands clean of the entire affair. と「完全に全ての事柄から手を引いて(手を洗って)さっさと出ていった」と表現しているから、日本の「三枚舌外交」とまでは言わなくとも、イギリスへの非難は感じた。

こういうことって自分達の生活の中でも多々ある。問題が泥沼化した時、その問題を起こした張本人はさっさと逃げ足早く出ていっており、問題が沈静化した頃に何食わぬ顔をして戻ってきたりする。バカ正直に携わった人が一番の責任を負わされ、あたかもその正直な人が悪者のような図式になっていたり。また、2番3番手となにか残り物をもらおうと、無関係なのに色々意見を言って来る人もいる。かき乱し自分が正義のフリをし、何か美味しい所を持っていこうとする。

あと一回ありますがここまで読んで頂きありがとうございました。


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