東京育ち、住みたい街はない

会社の近く?好きな街?
よく遊ぶ場所?

実家以来3年以上同じ家に住んだことがない。

PJTが変わるとクライアントが変わる。
クライアント常駐だったり都内に4.5個ある自社オフィスになったり、週何日かクライアント、それ以外自社オフィスのパターンも。
なんなら地方PJTだと新幹線や飛行機駆使して平日飛ぶ。

そう考えると品川や羽田が近くてオフィス街にアクセスしやすい浜松町や大門が良い。

でも、街としてはそんなに好きではない

代々木〜代々木公園〜代々木上原がいい。
でも元彼がいる。

目黒かな??
中本食べる以外であまり降りない。
乗り換えによく使うくらい。

五反田は浅草線が割と便利。でも風俗のイメージが強くて住みたいとも思えず。

ダメだ。東京に居場所がない。


追記

今私は大田区に住んでいる。
最寄りを言っても大概の人は聞いたことがない街
そもそも池上線や多摩川線を知っている人は大田区や世田谷に縁のある人がほとんどだろう

私は大学が神奈川だったので横浜に三年間住んでいた。
四年生になる頃就活なんてしてたまるかと思ったので、休学して留学した。
同級生が社会人になる少し前に帰国し、私は広尾で一人暮らしを再開した。
広尾はとても良かった。ただしJRを使う時は必ず恵比寿駅になる。
これがもう死ぬほど苦痛だった。
家に帰りたいだけなのに、恵比寿横丁から出てきた酔っ払いに声をかけられる。
終いには家まで着いてこようとする。
死ねばいいのに、そう思っていた大学五年生そして社会人一年目の夏まで。

私は社会人になり、ようやく自立心が芽生えた。
スネなんて一生齧ってようと思っていた。
初めて携帯代、家賃を自分で払いたくなった。それでこそ自立だと思って。

新卒で入った会社は当時学芸大学と都立大学の間にあって、アクセス的にも悪くないので大田区に住み始めた。

給与は今の3分の1くらいだった笑
翌年第二新卒として今の外資系企業に入り、五年の時を経て3倍になった。
これは私の人生の転機だったと言えよう。

話を戻すと、一人暮らし五年目、ようやく自立して生活費を自分で捻出しようとして大田区へ。
その後転職するも、大学時代のコミュニティがまだあったため横浜方面に行くことも多く、当時は自由が丘と代官山が庭だったので大田区ライフを謳歌。

そして始まるコロナ禍。
私の最寄りには商店街とは呼べない商店街がある。
全部閉まった。
私は孤立した。
人と話すときは唯一、スーパーのおばちゃんだけだったのだ。

当時付き合っていた人は銀行員。私と違って変わらず毎日出社した。
コロナになったら犯罪者扱いだった。外資系に勤めるとそのような古風な考えに意見を唱えたくなる。
でもその世界に住んでるのは私ではなく彼本人で、部外者が騒いでもただただうるさいだけだった。コロナ破局への第一歩だった。

そう、私は私で苦しんでいた。結果3年間完全リモート勤務が始まったが、私は究極的に寂しがりやだった。埋まらない孤独は今までお城だった家を監獄へ変えた。

当時の彼氏が白金高輪に家を買った。相続の関係だった。
私は彼がその家に住んでも、住まなくても、そもそも大手町からアクセスの良い立地に越せば彼がまた私の家に帰ってくると思ったのだ。

そして転職から3年経ち、給与は2倍になっていたものだから、ステージを上げたくなっていたのだ。

麻布十番に築四十年のオンボロマンションを見つけた。
女性のみのマンションで、24平米で8.4万円だった。破格ですよね。

広尾に住んでた時は新築で18平米で8.6万だった。

即結。2021年の夏に引っ越した。大田区に越して3年目の夏だった。

そこから私の憂鬱ライフが幕開け。
今思うと、引っ越さなかったら彼とは別れてないのかな、などとたられば話を思う。
正直全然別れて良かったのだが、引っ越したことで自分の精神状態が悪化したことは防げるものなら防ぎたかった。
過去に戻れるなら、私はあの選択を止めるだろう。

さて、赤羽橋が最寄りのベランダから東京タワーが見える家に引っ越した私。
麻布十番なんて今まで行ったことがなかった。
六本木は中学の時から行っていたが、麻布十番は陸の孤島だったんだ。

そもそも大江戸線に乗るのも人生で初だった。

何もかも初めてだった。今まで一人暮らしをしていて気が付かなかったのだ。
知らなかったんだ、スピリチュアルに言うと、人をダメにする街があることなんて。


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