昔から暗くて悲しいものに魅せられていた
(これは去年、初投稿の後に書き溜めたものを今になって公開したもの。久しぶりにログインした後に保存されたこの文章があまりに自分好みで、少々驚いた)
記憶に鮮明であるものは、
いつも悲しみに直結するようなものばかりだった。
私が好きになった浜崎あゆみの曲は、Memorial Addressだった。A song for やDearestもその類である。
EvolutionやBoys & Girlsなど可愛くて明るい曲はたくさんあったのに、喪服ドレス姿の彼女と泣き叫ぶように歌う声を聞いて、小学生の私はビデオを一時停止して歌詞を書き留めた。
Mステは偉大だ。
あの時の私のほぼ全ての音楽はMステから輸入したもので、そしてそれが今の私の人格と音楽の好みを確立させたのではないかと錯覚することすらある。
Coccoのカウントダウン
鬼束ちひろの月光、私をワルツを、everyhome
大人になって、globeが好きになった。
華原朋美が好きになった。
なんだか聞いてると楽になる、私の心を代弁してるのではと錯覚する
なぜこんなに私は自ら痛みに向き合うんだろう。
私は昔からそうゆう意味で、常に自傷的だった。
ヒロインに感情移入して、同じように傷つくような恐ろしいタイプの人間であった。
そして今も。
ドラマは白夜行が好きだった。
当時は
初めて貧しいって「恥ずかしくてみっともない」目で見られるんだ、と思ったし、「女の子」ですらもう性の対象なんだと気がついた。
そしてそれは、商品のようだった。
もうその頃には友達がエレベーターで抱きつかれただとか、私も通りすがりに胸を触られたことがあって、「不審者に気をつける」ははるかに男の子より女の子に向いて呼びかけられるのだと知る。
子供ながらに思った。
「女に生まれなきゃよかった。」
もちろん、複合的要因の元だったが、この発想が自分の価値を下げ始めた第一歩ではなかっただろうか。
ドラマのサントラをこよなく愛したのも白夜行が初めてだったと思う。
続く