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自己紹介その2「トロンボーンとの出遭い」

トロンボーンとの出遭い

すっかりクラシック音楽に魅了されてしまった小学6年生
周りは話題のローラースケートを履いたアイドルグループの話で盛り上がる中、深夜に「FMラジオ」でクラシック音楽を聴いていた
作曲者がだれで名前も知らない曲ばかりだったと思うけど子守歌代わりにタイマーをかけて…

そうそう、小学校といえば高学年になると〇〇係みたいなのありましたよね
私は「放送委員」でした
古い学校だったにも関わらず放送室にはレコードプレーヤーやカセットデッキ…あ「オープンリール」もありました(体育館にもオープンリールがあったなぁ)
マイクとミキサーがある「ミキサー室」と学校内のテレビに放送できる「スタジオ」に放送室は分かれていた(もちろん防音だったよ)
週に1回の頻度で「朝の会」(今でいうホームルーム?)に「クロッキー」(だったと思う)と呼ばれるスケッチブックにデッサンする時間があって、スタジオでデッサンする対象をカメラで写し図工の先生の解説を聞きながら時間内にデッサンをする
図工は大好きでこのデッサンの時間も嫌いではなかったけど、それよりも興味があったのはその放送設備
放送委員になってからはこの時間は大体放送室でカメラを切り替えたりミキサーを操作したりしていた
今、動画編集とかパソコンで曲のアレンジとかミキサーの操作とかしてるのはこの時の機材への憧れからだったと思う
給食の時間やお昼休みに好きな曲を放送することもできた
もちろん放送委員は私一人ではなかったので選曲は当番制
他の同級生が担当する日は大体その時に流行っていた曲を流していたけど…想像通り私が担当した日にクラシックの曲を流して大ブーイングだった
音楽の先生からは好印象だったようだけど…

ある日のお昼の放送時、1つ下の女の子(私はその子がなんとなく猫っぽかったので「ねこ」って呼んでいた)にミキサー室で機材の操作方法を教えていた
ふと、その子がピアノを習っていることを話してきたので、夢中になって話していたら…
マイクのフェーダーが上がったまま!
そう、二人の会話は校舎内はもちろん校庭にまで筒抜けだった…
幸いなことにマイクに向かって話していなかったから教室のスピーカーからなんとなく話声が聞こえるくらいだったわけだけどもね
学校中で色々と噂になってしまうわけですよ
そりゃ放送室に二人きりだったから余計にね
同級生にも「お前、「ねこ」のこと好きなんじゃね?」みたいにね
まぁ、自分はいいけど噂には尾ひれが付くから彼女のことの方が心配だった

「ねこ」は小学校を卒業後に兵庫に引っ越してしまった
私が中学2年生の頃に一度だけ共通の友達と一緒に「ねこ」と東京で一日遊んだことがある
その時も友達に「お似合いだね~お邪魔っだったかな?」とからかわれた
私は、小学生の時に2回転校をしている
土地の方言についていけず転校早々に話し方が気取ってると言われてあまり話せなくなっていた
特に女の子と話すのは色々なコンプレックス(低身長で太っていて運動も出来ないし勉強もできない)もありほとんど話すことが出来なかった
そんな中でもお互いにクラシックが好きという共通の話題で話ができたのが「ねこ」だった
そこに恋心があったのかどうかは…
あ、今「ねこ」と再会するためにトロンボーン奏者にって思ったでしょ
半分正解で半分不正解!

小学校卒業そして中学校へ入学

その年、昭和時代が終わり平成へ
昭和最後の小学校卒業生、そして平成最初の中学入学性
真新しい学生服を着てまだ寒い3月友達たちと一緒に小学校へ
卒業式は体育館、とても寒かった
式典の後は記念撮影
田舎だったからみんな同じ中学校に通うからほとんど形式的な感じだったけど、中には中学入学を機会に転校する子もいて…

卒業式の後は謝恩会
鼓笛隊で「宇宙戦艦ヤマト」を演奏した
勿論、私はトランペットでね
ファンファーレのようなところしか出番無かったけど…
そして男子数名で女装をしてコントをやった記憶がある
私は当時祖母と二人で暮らしていたので祖母の着物を借りて友達のお母さんに化粧してもらったんだった(写真は無いよ!)
祖母は忙しくて授業参観にも卒業式にも来られなかった
友達のお母さんが式典の写真を撮ってくれてて祖母に渡してくれた
祖母はとても厳しい人で「嘘はつくな!」っていつも怒られていた
逆に怒られすぎて正直者になって後で色々とトラブルになるわけだけど…

短い春休みも終わり中学校に入学
小学校が木造で古かったから鉄筋コンクリートの中学校がとても輝いて見えたのをよく覚えている
そして入学式に合わせたかのように校門周辺の桜が満開にできれいだったなぁ
まぁ、もう30年以上前のことだから思い出補正はかかっているだろうけど…

入学式の翌日だったかな、部活紹介
体育館で行われたんだけど、正直運動ができない私には「吹奏楽部」か「帰宅部」の二択
でも、小学校の頃から仲の良かった友達(前述に出てくる友達とかね)から吹奏楽部に一緒に入ろうって言われてたから8割位吹奏楽部に入ろうとは思っていたけどね(2割は女子と話せないから…)
「野球部入ろうぜ!」なんて言ってくる友達もいたんだけど…小学校の時の球技大会でキャプテン務めていたのに全く何もできなかったから野球部はねぇ…
サッカー部か剣道部、水泳部があったらどれかに行ってたかもしれない
そうしたら今の音楽生活はなかったかもね
吹奏楽部の演奏、正直上手とは思えなかったんだよね
人数は50人くらいはいたのかな
転校してくる前に今でも吹奏楽コンクールで全国常連の高校生の吹奏楽を聞いたことがあったからちょっと物足りなかったのかも
演奏は当時流行っていたバンドのアレンジ曲とかもあって隣にいた友達と「あ、この曲しってる!」とか話していたら…
放課後、担任にその友達と残るように言われ部活紹介中の私語について熱いお灸を据えられた…
おかげで帰る時間がおそくなり教室には自分ひとり
そんな時に「君!吹奏楽部入らない?」と三つ編みの似合う先輩女子に声をかけられた
咄嗟に「はい!」って答えてしまい、そのまま音楽室に…
(女子と話せないのに逆に話しかけられたら思春期の脳回路なんて機能しないわけですよ)
なんで先輩って分かるかって?
上履きの色が学年によって分かれてて自分たち1年生は青、2年生は緑、ひとつ上の先輩だったわけ(因みに3年生は赤、これも後々ややこしいことが…)
で、薄々部活紹介の時に気が付いてはいたんだけど小学校の「造形クラブ」で仲のよかった6年生が、私が中学入学時には中学3年生
そう、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたわけ
でさらに奇遇なのは声をかけてきた三つ編みの似合う先輩女子も後にトロンボーンパートだったことがこのあとすぐわかる
ハニートラップ?のように吹奏楽部に吸い寄せられ、パート巡りをしたときに先輩と再会し、そしてトロンボーンと出逢った
初めてトロンボーンを吹いたときに1オクターブ半(シのフラットから1オクターブ上のシのフラット上のファ!)まで音が出たのかな
既にその時に2年生の音域を越えていたわけで…
もう一人2年生のショートカットが似合う先輩女子と3人におだてられ「トロンボーンに入りなよ!」と…
挙句「パート決まる前に楽器買っちゃえばトロンボーンパートになれるよ!」と言われ、だめ元で祖母にお願いしたら買ってもらえることに…
嬉しかった半面、もう後には引けないなぁとも
買ってもらったのはYAMAHAのカレッジモデル(YSL-251かな)のテナートロンボーン
当時、新品で6万円(消費税なんてなかった時代だよ、もちろん中古を扱っている楽器屋さんも近くにはなかったけど)
今でもその楽器のマウスピースは大切に持っている
楽器本体は高校生の時に教えに行った地元の中学校に寄付してあげた
というわけで色々な奇遇が重なりトロンボーン吹き(ほら吹き)としての人生が始まったわけ

顧問の先生にしてみればトランペットにしたかったらしいけどね
小学校で2年間吹いてたらそりゃそうだ


最後までお読み頂きありがとうございました!
続く…かな?


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