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等身大、25歳
当時25歳の私が書いたあまりにも可愛らしく切実な文章が、あるときポロッと出てきた。
今の私じゃ書けない25歳の等身大。
当時は結婚とか生活とか、あらゆる人生の物事を、世間の幸福の基準で考えていた気がする。世間の正解以外は幸せではないと、自分で自分を追い詰めてた。
そんなわけないのにね。
「大丈夫だよ、今の私も25歳のあなたも幸せだよ」
「今の私が幸せなのは、あなたが一生懸命自分自身に向き合ってくれたおかげだよ」
そう言って、彼女をぎゅっと抱きしめてあげたい。
以下、25歳のわたしより
私の母は25歳で私を産んだ。
私の父は25歳で母と私の人生を背負い立つことになった。
そして25年後、25歳の私は、私自身にすら責任を持てないでいる。
私は惚れ込んだ仕事に就いた。小さな会社なので、業務はすべからく属人性が高い。代えがきかないというのは一種の麻薬で、自分の価値が高くなったかのように思える。その快感は、私がインターバル無しに走り続けるには十分なエネルギー源だった。成功も失敗も体験した。私はあらゆる経験を養分に変化を続け、日記はかさばり続けた。
それで、倒れた。
引っ越してきた頃は布団と小さなTVしかなく、がろんどうとしていた私の部屋。今や本が、花が、インテリアが、食器が、雑多に溢れている。私は大きな窓にくっつけるように配置したベッドに転がり、まどろみの中でつらつらと考えた。
25歳。人生100年と考えると、残りはあと4分の3。身体の自由がきくのはあと4分の2。つまり、50年。困った。手に入れたいものが、形にしたい夢が、私はあまりに多すぎる。倒れてる時間なんてない。
けれど、身体はやっぱり動かなかった。不調の身体を引きずって、仕事に出て、結局倒れかける始末。私はまた、まどろみに沈む雑多な部屋に戻った。
25歳。父母は、しゃんと背筋を伸ばして、自分で自分を養い責任を持ち、出来立てほやほやの私を交互に抱えながら、ふたりで生きてきたのだろう。
彼らは、私がちょっとベトナム縦断してくるわと言った日も、休学したいと言った日も、大手を蹴って今の会社に勤めると決めた日も、私には恋愛結婚はできないと言った日も、反対したことはない。
「あなた自身の責任のもとで決めなさい」
一度だけ、そう言った。
責任、持てているだろうか?
ベッドから見える空を仰いだ。
来年、転職をする。私が私の人生に責任を持ち、幸せになるために決めた。だって25歳、何かを諦めるには早すぎるでしょう?
私はすべてを手に入れるための方法を、今も考え続けている。