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理不尽な経験の活かし方の違い
今日は独り言っぽく行こう。
例えば、部活の理不尽な上下関係や体罰が嫌だったとする。
その経験から後輩を指導する立場になった時、
「自分だって嫌だったけど、やってきたんだ。だからお前もやれ!」
となるのか、
「自分は嫌だったから、次の世代にはそういうことはしない」
となるのか。
その違いはなんだろう。
それは、いかに自分の「嫌だ」の気持ちに向き合ったかどうかじゃないかな。
「嫌だ」だけでなく、「ムカつく」とか「理不尽」とか「屈辱的」とか色々な感情。
自分の気持ちに寄り添って初めて、他の人の感情にも寄り添うことができる。
ここで自分の気持ちを無視すると、自分が同じ立場になった時同じことをする人になりがちなんだと思う。
いわゆるパワハラの人達は、きっと自分の気持ちを無視し続けてきた人達なんじゃないかな。
あとは、いかに自分を信じることができたかどうか。
なぜか、自分の気持ちに向き合うと自分を信頼できる気がする。でもこれはまた、ちゃんと考えて記事にしてみよう。
とりあえず、昨日子どもの感情を認めることについて書いたから、今日はその関連で思ったことを書いてみた。
でもまあ、本当にパワハラ野郎がいけないことなのか、人の感情に寄り添えるのが良いことなのか、そんなのはわからない。
私の基準は子ども本人の人生が満足度の高いものになってほしくて。その為には色々選択肢があるといいんだろうなと思った。何を選ぶのも本人の自由。でもその関わり方、捉え方、対応の仕方だけしか知らないというのは不自由かなと思った。それだけ。