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[ギフっ子上京物語] 書くことで、生きてきた


私の好きなライターさんたちの記事には、そろいもそろって、「”書くこと”によって生かされてきた」という話が登場する。
ある人は、忘れたくないから書くのだと言った。またある人は、自分の行き場のない感情を消化するために書くのだと言った。
きっとこの世には、文章を書くことによって救われるタイプの人間が存在するのだろう。

私は、人に見せるための文章を書くことはほとんどしてこなかった。それでもいつの間にか、自分のために「文字を書くこと」が、どうにも欠かせないものになっていた。

たとえば、こんなときー。

***

待ちに待った、あこがれの東京での生活。
とってもワクワクしていたのに、一人暮らしの下宿があらかた整い、両親は岐阜に帰る、ここでお別れね、という段階になって、突然、言いようもない不安が押し寄せてきた。

上京1日目に見上げた下宿の天井は、まるで孤独の権化で、私はこの世に一人ぼっちになってしまったのだと思った。

朝ベッドから起きあがったものの、朝・昼・晩のご飯はすべて、自分で考えて、買いに行って、作らなければ、出てこない。この事実は、慣れるまでには時間がかかるものだった。(泣いていたって一向にご飯が出てこない。)

友達だって、みんなほとんど岐阜や名古屋にいる。すぐにでも岐阜に帰りたいのに、現実的に考えれば、帰省はできて月1回がいいところだろう。(時間はあってもお金がない。)

また、その頃は東日本大震災からあまり日がたっておらず、東京では毎日のように余震が続いていた。慣れない東京の地での地震はとても心細いものだった。

大学が始まるまでの数日間は、ひたすらに泣いて過ごした。
東京の街に繰り出すことなんて、今となっては何の魅力もない。それよりも、岐阜に帰りたいの一心だった。

“このまま、4年間も東京にいなきゃいけないの?“

そんな私が、一人暮らしを始めてから新しく毎日の日課になったこと、それは、ご飯を自分でなんとか用意することと、あともうひとつは、日記をつけることだった。

一人暮らしとなったことで、家族と顔を合わせてする何気ない会話、というものがめっきりなくなった。私は、自分のその日一日の出来事を、それを話すときの表情なんかを含めて知ってくれる人がいないことに、不安を覚えた。
うまくは言えないけれど、私が今死んだら、私がどんな日々を送ったのかがわからなくなってしまう。いくらささいな思い出だって、自分一人で抱えるには重すぎる。

私は日記をつけ始めた。
自分が今日一日何をしたのかを、ただ羅列するだけの日記。

色々と思うことがあった日には、あーだこーだと感情の羅列が続き、いつもよりずっと長い日記になったりもした。
それらをただ書きとめておくだけで、心はずいぶん楽になった。

結局、日記を書く習慣は大学生活の丸々4年間、ずっと続いた。
だんだんと東京に知り合いや仲間も増え、気づいたら天井を見上げて泣くこともすっかりなくなった。

***

今でも、私は紙とペンを前にして文字を書くのが大好きだ。
それは、時には日記であり、時には仕事についての考え方のメモであり、また、時には忘れたくない嬉しいできごとの羅列であり、さらに時には、頭の中だけではどうにもまとまらない考え事だったりする。

いいこともわるいことも、紙に書きつけることで、頭の中から手放すことができる。
過去にひっぱられず、かといって忘れることもなく、身軽になって次に向かっていける。

きっと私も、書くことによって救われるタイプの人間なのだろう。