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経済を回せ回せっていうけどサ

この文章は、新型コロナ感染症に関するものです。
コロナに対する感じ方・考え方は人それぞれだと思います。ちょっとしんどいなという方はご遠慮いただくことも検討ください。


私は自粛ガチ勢である。理由は2つある。
ひとつは、自分が外出をした結果として自分が感染したり、さらには周りの人にうつしてしまったりするのが怖いこと。つまり単純に健康を失うのが怖いというビビり(体調面)と、のちのち過去の行動を後悔したくないというビビり(精神面)。
ふたつめは、自粛がそれほど苦でないこと。これは、社会不適合者(とまではいかなくても、人が苦手。一人でいるのが好き。)の特権。

さて、コロナ禍で特にメディアなどを見ていると、「命か?経済か?」という議論が生まれがちである。このような議論が起こること自体は、いったん受け入れることとする。問題はそのような議論において、私は「経済を回さない若者」として非難されうるのか、という点である。

ここで、考えてみてほしい。そもそも個人の行動原理が何であるかということを。

我々人間は、「経済を回す」という理由ただそれだけのために、出歩き、お金をばらまいてあげようと考えるような高尚な生き物だろうか?(その尊い理由のためであれば、自分もしくは周りの人の命に多少危険はあったとしても出かけて行って、自分の財布のひもを喜んでゆるめるというのか?)

いや違う。人は、純粋に自身の欲求(つまり、ある前提条件のもとで、それでも出歩きたいと思うのか、そうでないのか)に従って行動を決めているのみである。
その判断をするにあたっては、出歩くことをどの程度リスクと考えるか、あるいは、人と会わないことにどれだけストレスを感じるか等、人それぞれの感覚が元になっているが、少なくとも経済を回したいからという理由のみをもって出歩く人など皆無なのである。(ただし店の経営側など、ビジネスとしての外出は別。)

そうであるならば、出歩くことをリスクと考え(=ビビり)、人と会わないことにそれほどストレスを感じない(≒社会不適合)性質の私のような人間が必要最小限しか外出しないことは、決して「経済を回そうとしない若者」として非難されるべきものではないと思うのだ。(だって、私が他人よりも少し慎重な行動原理を持つ人間であったというだけの話だ。)

なお、個人的には、外出しなくとも経済やお金を回す方法は山ほどあると思っている。たとえばほぼ外出しない私でも、インターネットでほしいものがあれば買うし。それに、特別定額給付金は基本的に寄付に回そうと思ってもいる。

命を優先するあまりに経済のことを考えない人間だな、と思われたら困る(?)ので、コロナ禍のもやもやを自分の中で消化するべく、文章にしました。