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ぼろぼろな駝鳥

なんとパワフルな詩だろう。詩というよりも叫びというべきか。
高村光太郎の『ぼろぼろな駝鳥』はあまりにも力強い。

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
足が大股すぎるぢゃないか、
首があんまり長すぎるぢゃないか、
雪が降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか、
腹が減るから硬パンも喰ふだろうが、
駝鳥の目は遠くばかり見てゐるぢゃないか。
身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ち構へてゐるぢゃないか、
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆巻いてゐるぢゃないか、
これはもう駝鳥じゃないぢゃないか、
人間よ、もうよせ、こんな事は。

もっと切ないのは、これが駝鳥だけに限ったことではないことだろう。
「雪が降る国に」とは何も北国のことだけをさしているのではなく、
日本というこの国をさしているのではないか。

その日本を出て、ニューヨーク、ロンドン、パリで彫刻を学び続けた。高村光太郎の「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と詠んだ『道程』は教科書でも取り上げられるほど有名だが、高村の彫刻家、画家としての仕事が高く評価されていることは一般的には知られていない。彼はこう言っている。

人間の心の中を、内部をみる。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている…片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです。(中略)みなさんの中には、また別なみなさんがいるし、それは時には二つも三つもあるわけなのです。だんだん深くなる自分があるのです。

人間の内部を見つめるという目が背骨についているようにどの作品にも根幹を形作っている。

最後まで自らの作品を作り続けて、自宅アトリエにて肺結核のために73才で死去した。その命日は、高村がアトリエの庭に咲く連翹(れんぎょう)の花を好み、告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことから連翹忌と呼ばれている。




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