母が死んだ日
こないだ母の実家に行ってボケたばあちゃんが「愛子ちゃん、愛子ちゃん」と母の話をしてたしお盆だから思い出してみることにする。
あれはもう20年も前のこと。
小1のころ、母の具合があまりよくなく母は実家に帰省していた。
月に一度帰ってきては実家に戻るを繰り返していた。その頃には戻ってきても元気とは言えなかった。幼少ワイはただごとじゃないなと思っていた。だからいなくならないでほしいと駄々をこねたり母を抱きしめたりした。あまりにも帰ってしまうのが嫌で大泣きしたのも覚えてるし祖母が言った「親の死に目にあってから泣け」と不謹慎な言葉も忘れられないんだ。
忘れもしない学校から帰ってきた夜、電話がかかってきた。電話に出たのが祖母、あまりにも深刻な話し方に何かがあったんだな、とだけ思った。
それから祖母は今から母の実家に行くよって言った。なにがあったか知らされてないまま。
夜の道を片道2時間で走る。
なんのことだかわからなかった。
母の実家についた。
そしたら母は棺桶に入ってた。顔は冷たくなってもう起きることはないんだと小学生なりに思った。皮肉にも親の死に目にあうことはできなかった。
今まで知らなかった親しい人が死ぬとゆうことを8歳で知ることになった。下の妹は3歳でなんのことか理解していなかった。だから20過ぎた今でもよく分かっていないと思う。
ショックでそれから1週間ほど溶連菌かなんかの病気で寝込んだ。
自分の家に色んな人が来た。よくわからない音楽と長ったらしいお経、臭い線香の匂いが家中に漂っていた。
もちろん母も来た。相変わらず目を冷まして起き上がることはない。
これでもうお別れだと思ったら誰よりも誰よりも泣いた。
そして母は骨になった。
久しぶりに行った学校で一人で遊んでいたらどこからか情報が漏れたのかとなりのクラスの男の子がやってきてなぐさめてくれた。その子とは中学を卒業するまで仲良くしてくれた。
当時たった数年前に家族みんなで住むために建てた家には住むことはなくなり借家になり、住人が引っ越したあとは不動産屋に売ったらしい。
人生何が起きるかは本当にわからないものだなあと今でも思う。生きていたら一緒にお酒飲んでうまい飯を食べたかった。ようやくできた彼氏を紹介したかった。
けれど生前夜に保育園行きたくないって言ったら真っ暗なクローゼットに閉じ込めたことと食べてたアンパンマンチョコほとんど食われたことだけはけして許さねえからな。
お盆なので忘れないように書きました。
さくら🌸
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