はじめてのシステミックデザインリサーチ - Walkable Cityを知る
Manamiと私は、2023年の2月から6月にかけて、”Walkable Cityはどのような要因で成立しているのか”というデスクトップリサーチを行った。Manamiが執筆した記事とこの記事では、リサーチの中でそれぞれが受け取った・感じた・学んだ事柄についてシェアしていく。
Manamiはリサーチの後、この記事を書くまでの間にバンコクへ訪れたり、自ら”みちくさカフェ”というWalkable Cityにつながる取り組みを行っている。個人的には、ふたりでああでもないこうでもないと議論し続けることももちろん楽しかったし学びも多かったが、Manamiから聞く、あるいは彼女の記事から受け取る勢いや感情の新鮮さが、身体性と主体性を伴うとても大きな意味をもったシェアだと思う。ぜひManamiの記事を読んでほしい。
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はじめてのシステミックデザインリサーチ
Manamiと私は現在こそ(それこそ、このプロジェクトを通じて)多少の経験を積んだリサーチャーだと言えるかもしれないが、Walkable Cityのリサーチをはじめた当初は全くの素人だった。それぞれが過去にまちづくりや都市計画の授業を取っていたり、そのような領域を専門とする友人との議論を行ったりしていたものの、リサーチプロジェクトを始める際に、何をどこから始めればよいのかさっぱり分からなかった。完全に、0からのスタートだった。
どのような流れでリサーチを進めていったかは、それこそManamiの記事に詳しく書かれているのでぜひ読んでほしい。が、最初の最初は本を手当たり次第読み漁って内容について話し合ったり、国交省やパリ市役所の出している”Walkable City”や”15-minute City”のPDFから大切そうな要点を抜き出したり、とにかく”リサーチの入り口”を探すのにとても苦労した。
システミックデザインリサーチは、私の中では”理解したい対象が、どのような影響をどのような要因から受けているのか”を”システミックに”理解するために行うものだと考えている。世の中には知りたい対象がどのような外部・内部から影響を受けているかを理解するあっさりとしたフレームワークは多く存在する。一方で、現場でフィールドワークを行えば、そのようにあっさりとしたフレームワークには落とし込めないような複雑性や流動性に直面することも多い。
システミックデザインリサーチによって、この間(言ってしまえば、主観性と俯瞰性?)の2つに橋をかけることができる。対象を取り囲む影響および要因を俯瞰的に理解しつつ、一つ一つを調べていく中で出てきた予想外の結果にも柔軟に繋がりをみつけていく。特に俯瞰的な理解を確保しておくことによって、実践の際に目的を見失わずに済んだり、実は手が届かないと思っていた別のアクターや要因と利害の一致で接続することができたりと、実践の際に注意深さを提供してくれるようなリサーチだ。
もし私が0からもう一度Walkable Cityのリサーチをするとしたら、既存のフレームワークを一旦机において、知りたい対象の本をいくつか手にとって見ること、そして何より現場に足を運ぶということから始めると思う。もちろん、対象について書かれた記事を読んだり事例を整理したりするのは大切なことだし、リサーチの大部分を占めてくるのだろうと思う。しかし、発見するインサイトの大きさは、かける時間に比例しない。長い時間をかけることよりも、見方を変え、取り入れる情報を変え、異なる立場の人と議論を行うことのほうがより良いインサイトにつながるのではないだろうか。
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まちづくりは玄米のように
ようやく本題にはいろう。
リサーチを通じて私が持ち帰ったもののひとつめに、”歩きやすい街をつくる”ということがここまで複雑で、また多様であることに驚いた”というものが在る。
ある種、玄米に似ている。一つの取組みが複雑な栄養素を持ちながら、しっかりと噛んで食べることで負担なく消化できるように、街の中に溶け込んでいる取り組みこそ、様々な影響を街に及ぼしている。
それこそ、街の中に木のベンチやジム、子供の遊び場を設置するシンプルな取り組み”Street Moves”は、憩いの空間を提供するだけでなく、人々に居場所を提供し、ひいては街(コミュニティといったほうが近いかもしれない)に対するオーナーシップや自分の居場所が在るという実感を与えることにつながる。街の中に溶け込んでいながら、物理的にも、精神的にも様々な影響を与えることに成功しているのだ。
しかし、現代のまちづくりにおいてはそれが実現しているようにはあまり思えない。特に日本のまちづくりにおいては、大規模になればなるほど経済的な理論が先行してしまい、影響といえば消費額の向上に集中してしまう。
複雑な影響を、様々な世代に対して及ぼすような取り組みは、ある種”設計・管理された”都市の性格とは適合せず、”不確実で、予測不可能な”出会いや取り組みの発生を受け止めるだけのうつわが必要になる。特に東京などの都市部においてそのような創発を受け止められる余裕のある空間は果たしてどれだけ存在するのだろうか。
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街にひそむ見えない暴力
海外の事例を探索する中で持った印象は、あらゆる解決策の背後には誰かが抑圧されているという事実があり、またその解決策の先にも、別の誰かを抑圧している可能性がある、ということだった。
例えば、横断歩道のサインの殆どが男性だと気が付き、女性のシルエットなどのデザインを組み込むようなプロジェクト。例えば、無料のCity Wi-Fiを設置することが貧困層の住民に半ば強制的にデータを提供させるようなしくみになってしまっていること。
ひとつの善意の解決策が、別の誰かを実際に抑圧している。街が複層的で必然的に多様な属性が働き、生活を営んでいるからこそ、あらゆるところに見えない暴力が存在しているということを実感した。
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リサーチャーは常に迷う
今回はじめて、自分たちがハンドルを握る形でシステミックデザインリサーチを行った。取組の内容としては、事例を収集する中で、一つ一つの取り組みがどのような”Walkable”さを志向しているのか、あるいは”Walkable”さを阻害している現状には何があるか、といったことを理解する。そのようなインサイト集めの軸として、ジェイコブスなどの先人の論考を参考にすることで、視点を得たり価値軸を決める際の参考にしたりした。
常に私達の頭の中にあったのは、第一にどの取り組みにおいても大小様々なメリット・デメリットが存在するということ。特定の取り組みや介入を全面的に指示することができないため、少数の”Walkable”を構成する変数・要因に絞ることがとても難しかった。第二にはレイヤーの違いが存在した。これは多くのシステミックデザインのフレームワークでも同心円状のフレームワークで設定されているように、あらゆる取り組みは、あらゆるレイヤー(人の心理状態から人間や非人間との関係性、人流と人の集まる/集まらない場、経済的なつながり、政策的なつながり、自然環境などなど)に影響する。
各取り組みの影響を理解していく中でこの異なるレイヤーをどのように整理していくかがリサーチ序盤から最終盤までずっと悩ましいものであった。
この他にも、(システミックデザインでは当たり前のことかもしれないが)自分たちの行いたいリサーチに対して既存のフレームワークがまるで役に立たず新しく構築する必要があったり(それこそがリサーチの醍醐味とも言えるのだが)、リサーチを進めていかなければわからないものも在る中で、限られた時間の中で目的・目標に向かってどのように進行するか、などプロジェクトマネジメントの面でも不確実性の高いプロジェクトで、常に迷いながら進んでいた。
このような迷いの中でも、リサーチや先人の論考を大量にインストールしリサーチャー同士で会話をしていく中で、ふと次のリサーチの切り口が見つかったり、良いまとめ方を思いついたりする。デザインというのは発散と収束とはよく言われるが、意識的・集中力の面でも緊張と緩和を繰り返すことで自ずと新しい入口が見えることがある。リサーチの中で起こる、リサーチャー自身の変化を楽しめるかというのもリサーチの可能性を大きく左右するものだ。
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私はリサーチという営みをはじめた頃は、これが大の苦手だった。限られた期間の中で必要な情報を、世界中のインターネットの中から拾い上げなければいけない。見つかるかもわからない不確実性の中でワードを検索し続けたり、書籍を読み込んだりすることがある種の焦りになり、苦痛だと感じていた。
しかしこうして、小さいながらも自らリサーチプロジェクトを立ち上げて取り組むようになった(これを書いている今も、3ヶ月のシステミックデザインリサーチのプロセスを進めている)のは、リサーチを行う中で”リサーチャー自身の態度や価値観を問われている”という感覚があるからだ。
リサーチャーは、受け取った情報をプロジェクトに寄与する形に編集することができる。プロジェクトが実現したい価値、解決したい課題によってリサーチの中で受け取った情報の解釈は変わっていくし、リサーチプロジェクトの設定に依っても、参加するリサーチャーによっても、大きく結論は変わってくる。ある意味で、真理にたどり着くのではなく、プロジェクトという枠組みの中で答えを生み出していくというものに近いのかもしれない。
そういう不確実性、あるいは自分が問うているのにいつのまにか問われているということが、自分の襟を正すことにつながる。何を良しとするのか、その上でどのような現実を組み上げていくのか、その場で自分はどのように振る舞うのか。そういうことは常に問われなければいけないし、問われ続けることが一種の修行のようにも感じる。
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今回のリサーチプロジェクトは、Manamiと私が参加する探求コミュニティqueryの枠組みで行った。リサーチに対して関心を寄せてくれたqueryのメンバーとのコミュニケーションによって視座や見方、枠組みが作られていくことも多かったし、何よりもqueryという場があったうえでリサーチプロジェクトが進行していくことが、何かしらの安心感・安定感にも繋がっていたように思う。
また、探求コミュニティquery自体も、SCIRというより大きな枠組みの中に存在する。研究室や企業組織のなかに閉じこもらず、在野の人間として自ら問いをたて、場をつくり、対話を行いながら自分たちで答えを作っていくという枠組みだ。
今後はSCIRとしての活動を増やしていこうと思うし(このリサーチプロジェクトも、queryというコミュニティから飛び出そうという一環だ)、もし関心がある人がいれば一度話してみたい。queryにも、そしてそれを包むSCIRにもいろいろな背景や専門分野の人がいて、価値観が異なっていても同じ場に留まり対話を続け、世の中を作っていくということを目指している。