全国からNoを突き付けられたあの人は今……
自分は数年前より、とあるユーチューバーの生き様に魅了されている。
そのユーチューバーとは、江頭2.50である。
江頭2.50は一般的に、放送禁止の瀬戸際を攻めた奇行や、数々の武勇伝を量産する人物として有名だろう。
その例を挙げるならば、
トルコで肛○にでんでん太鼓を挿して踊る…
水中で4分間息を止め、ギネス記録を所持する…
有名な国際大会に毎度現れ、テレビで全世界に姿が放映される…
下半身丸出しのまま300人の群衆にダイブする…
全財産を被災地支援のために寄付する…
借金取りから逃れるため、アパートに穴を掘って潜伏する…
北朝鮮で首席の遺体と対面し、なぜか自分まで感情に更ける…
カルト宗教団体と、空中座禅対決をして一人勝ちする…
などなど……
これらの過激でユニークな武勇伝は「ぶっ飛んでる」の一言で済まされず、映画が何十本か作れるレベルだろう。
本人こそ断じて語らないが、実はボランティアや慈善寄付に献身的であり、人間性は雲の上の存在だと称され評判高い。
そのような聖人かつレジェンドの江頭も、30年間ほど「嫌いな芸人ランキング」
「抱かれたくない芸人ランキング」首位を殿堂入りした。
だが、ネット社会が普及した昨今では、好感度の高いYouTuberランキング1位を、2年連続独走している。
なぜ30年以上も世間から最も嫌われ続け、
世間から最も好かれる人物と評価されるのか。
恐らく江頭は、その行動が「世間的に受け入れられる」や「煙たがれる」などの評判に囚われない思考を持っているだろう。
「意図や見返りは不要。純粋に誰かが笑ってくれればそれでよし」と初期の頃から語っている。
国民からNoを突き付けられた時代よりこの姿勢に動じる事なく、その姿勢が300万人に支持される要因だと考えた。
確かに江頭は、肛○にバズーカをセットし振りかけたり、一握りの食塩を口いっぱい詰め込んだり、
刺激的かつ下品な奇行が目立つため、万人受けする人物でないだろう。
江頭はあくまで、誰かの光となればの一心が動機ならば、命懸けの奇行や自身がヨゴレ役を被る事も厭わない。
この江頭の信念からは、書籍「嫌われる勇気」に似たモノを感じ取れる。
良かれと奉仕した行為行動が仇となり、身近な他人から妬まれたり、嫌われる結末を向かえる場面もあるだろう。
その際、確かに身近な人間は離れるが、別の誰かはその行動に感銘を受けたり、勇気や希望も与えるかもしれない。
江頭の癖が強い純粋な表現は、決して国民の大多数に受容されず、拒絶反応やバッシングを長年受けた事もまた事実。
悪評価を受けたと言い、自分自身をムリヤリ改造し振る舞わず、個性的なキャラを唯一無二の武器として貫き通す…
なおかつ江頭は、常に全身全霊の本気で笑わせにくるため、江頭を通して活力を頂いたと語る視聴者も多い。
偽りの自分を振舞って無理に人気取りに走らず、
「好かれる・嫌われる」の二極に縛られず、
純粋な想いを包み隠さず表現する。
多数派は拒むが、少数派はその表現に心を撃たれる、杞憂する必要はない、心の輪は数珠繋ぎのように連鎖する…
江頭は私達にこう伝えているようだ。
だから江頭の全力芸は響くのだ。
また江頭は、狂気的だと称される程に、芸人としてのプロ意識が高い人物としても有名だ。
江頭のプロ意識を象徴するエピソードに、
かつて身体障害者施設で芸を披露した体験がある。
聴覚や視覚が不自由な聴衆の前である条件もあり、
残念ながら笑いが起きなかった人間もいた。
その際江頭は、「全員を笑わせることができなかった」と自責的に悔やんだという。
環境や人間に決して責任転嫁せず、自分毎の責任として受け止める謙虚な人間性も、好感度の高い要因として頷ける。