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パクってなにが悪い

皆さんは、「パクる」という言葉に対してどういった感情が思い浮かぶか。

邪道でずる賢い行為? 後だしじゃんけん?


一般的にパクる行動に対しては、どうしても悪印象を抱きやすいだろう。

だが、少なくとも自分は「パクる」という行為は、執拗なほど悪だと思わない。


ときおり海外にて、ポッキーに似た棒状のチョコレート菓子や、日本の日用品店と形状や機能が似た木目のボールペンの販売が目撃される。

それに対して「コピぺ商品だ!」と声を上げる日本人が話題となっている。



その一方で、目線を海外から国内に向けよう。

日常に溶け込む様々なアイテムの多くは、
例外なく他社の「パクリ」から誕生している事に気付くはずだ。

例えば製薬会社の場合、胃腸薬一つにしても互いの企業の製品が徹底分析され、僅かな差別化を図ろうとする。

インスタント麺やカロリーメイトのような食品も、ライバル社同士がしのぎを削って配合量や成分内容を調査しそっくりの製品を製作する事は世の常だ。


チェーン店こそ伝家の宝刀「事前作り置きシステム」を活用し、オーダー受けて3分内・瞬時に届ける

これは、アメリカのマクドナルドより派生した経営手法であり、一種のパクリである。


パクリに対してつい過剰反応しがちなのに、
日常が徹底的にパクられた産物で溢れかえっているのは、非常に皮肉なものだ。


マクドナルドより派生した手法もさながら、全ての事には大元があり、最終的にテコを入れる。

これは根っこが地盤を固め、枝や葉っぱのように差異な違いが分裂する木の誕生にそっくりだ。





ところで、日本独自の競技、武道・茶道に伝わる「守破離」の法則がある。

「守」上から教わった流儀を自分のものとする(守る)

「破」幅広い視野で流儀を学び、一つの流儀に融合させる

「離」一つの融合した型が、自分独自の流儀へと成長する


例えば川や海で泳いだ事のない人間が、
いきなり3km先の島まで泳ぐのは難しい。

そのため、実際に島まで泳ぎきった師範に泳ぎ方の手法を教わる。

師範からバタフライを教わり、言われた通りのまま実践して島まで泳ぎ切れた。

だが バタフライ体力をひどく消費して効率が悪い。

それ以上に効率よくて速い泳ぎ方を追求した結果、今度はクロールの師範に教わった。

次に、呼吸面に優しい背泳ぎを取得するも自分には合わなかった……  

といった形で師範が説く道を極める。


表現上誤解を生みかねないが、
パクリも日本の一種の文化である。

守破離のプロセスは、武道以外においてビジネスシステムやアーティストなど汎用性があり、
西洋から一目置かれたカルチャーであるのだ。





究極に言えば、すべてのものに100%オリジナル」なんて存在しない。


振り返れば、今に名を残す歴史上の偉人たちも、
有名なインフルエンサーの手法をコピーし、自分独自の手法・差別化をようやく形成した。


特定の分野で一定の成功を収めたカリスマ達、
ピカソも、ジョージルーカスも、初期段階は先人達の知恵をリスペクトし、清々しい程そっくり真似する事に背徳感はなかったそうだ。


サクラダファミリアで有名なスペインの建築士、
アントニオガウディに至っては、植物や虫、自然特有の造形からヒントを得た。


地球の9割のアイデアは、殆どが何かしらの影響やヒントを受けて昇華しているに過ぎない。


パクリの進化を繰返し人類は進化を続け、
今の自分も外部の影響や価値観をパクったと見れば
その辺のパクリに抱く特別な感情が解消されているだろう。



初めから画期的でオリジナリティある作品手法を生み出そうと、プライドを張らない。

素晴らしいと感じたアイデアに対しては、
堂々と自分のものに吸収する気概が、成長と視野の広さを養う必須ツールだと信じて疑わない。

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