無知自覚を知る勇気
多くの人間は
常に完璧な自己像を理想としたがる
「自分という人間OOでなくてはならない」
「人前で無様な姿を見せる事は恥である」
理想像を思い描き
一才の油断も隙も許さない完全な態度を保つことが
よいことだと
無意識に決意する
俗に言う、完璧主義という人のことだ
なぜ私達は、完璧主義になりやすいのか
その根源は、過去に学校などの教育機関で
質問を問いかけ当てられた際に正解を答えられず
30人以上の前で大恥をかき
バカだと思われたトラウマが無意識的に刷り込まれた事が原因だったりする
だが、「無知の自分は恥ずかしい」と恥じる心は
時に逆境魂に変換され
学びに対する意欲を加速させるエッセンスとなり
かえって最高の成長を促してくれる肥料となる
また、興味深いことに
「特定の分野において完全網羅したのだ!」
「マスターの私に知識なき事は存在しない! 」
と鼻を高くして退屈する人も
実は根本的な部分まで探れば全く無知同然な事もあり得る
人間が恥だと感じる無知を語った
とある著名な哲学者のエピソードを解説しよう
古代ギリシャの哲人ソクラテスはこう放った
「私は自分が何も知らない ということを知っているのだ」
問答に全てを捧げた彼の生涯、、、
自身の弟子が、アポロンの神殿に出向き
巫女に「ソクラテス以上の賢者が存在するか」
と尋ね、「ソクラテス以上の賢者はいない」
と答えられ、
即座に神託の反証、アウトプットで尋ね歩いた
世間では賢者と崇められ
真理を探求し尽したと自称する学者や政治家に対し
自身は敢えて無知を装い疑問にひたすら問い詰めた
ソクラテスの無知っぷりに呆れ嘲笑う学者達も
次第に支離滅裂な適当論を答えたり
大勢の聴衆の前で恥をかくことに怒り狂う者もいた
その見苦しい姿を見たソクラテスは
「最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である」
と、一刀両断しにきたのだ
まぁ、彼の討論スタイルは常一貫して
自ら意見を発することなく、
質問に質問を重ねて無知を論破するいやらしい手法のため
権力者達の怒りを買って裁判にかけられ処刑された
このような不遇な最期を迎えた彼だが
「この知識に関して右に出るものはいない」
と、傲慢的になり始めた時に学びは停滞すること
気持ち悪く、目を背けたい無知の側面に注目して
学び咎めない事が世のため人のためであると
ソクラテスは半ば命懸けで伝えたかったのだろう
ソクラテスと討論した学者達のように
無知を論破された所で見栄を張ったり感情的に迷走
する必要はない
ここで大事なことは
「現段階では無知なのだ」
と、謙虚な姿勢で自覚することだ
無知な自己を受容し
再び探求の原点に帰ったような気持ちで
「私の無知さを自覚させてくれてありがとう」
と、感謝の念を抱き学びに没頭すればよい
承認欲求からの解放を目的とし
アドラーが人間的自由を説いた「嫌われる勇気」が
現代に生まれたバイブル書ならば
「SNSに投稿したいが、私の無知さを指摘されそうで怖くて投稿ができない」 と悩む現代人には、
ソクラテスの説いた古代の知恵「無知自覚の勇気」
として、彼の人生観を辿ってはいかがだろうか