断る勇気
はじめに
私はこの最近、小学5・6年生頃にタイムワープした夢を見た。
小学校の高学年、少年漫画やアニメを見だす年頃、自分も例外でなかった。
中でも、5年生の自分にとって「ジョジョの奇妙な冒険」ほどショッキングな想いをした作品はない。
絶体絶命のハラハラした展開…
そんな絶望を見事なトリックを仕掛け切り抜ける。
だが、時にはツェペリを始めとした主要キャラにも容赦ない残酷な死を与える…
その目まぐるしい怒涛の展開に対し、
小学生の私にとってどれも目新しく見えた。
その本作の中で、私は4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場する岸辺露伴が特にお気に入りだ。
このキャラクターの魅力は、職人気質が前面に現れ、常時首尾一貫したブレのない性格だ。
孤高の漫画家。好き嫌いが激しい偏屈な性格で、
作中はほとんど協調的な人間関係を一才築こうとしない。
例外なく、たとえ自身が危機的な状況に置かれ、
一度袂を別った仗助が救い手を差し伸べようが、
ブレることなく「だが断る」と一蹴する。
共通の敵を前にこのシーンでは、敵味方もこの時は意識せず、善意で助け舟を与えた仗助も気の毒だ。
周囲に彼のような性格がいたら居心地悪いだろう。
だが、非常事態こそ冷沈着静さをブレず一貫し、
油断もスキ見せず与えない露伴の姿に、
そこにシビれるあこがれるゥ!!
と唸ってしまいそうだ。
私は断る事が下手であり、従来は無理難題も引き受けて心は悩みがちだった。
それゆえ、岸辺露伴の言うときはズバッと言い通す姿勢に一種の憧れを抱いているのだろう。
Giverの抱える表裏一体
ジョジョの作中のワンシーンに関連するが、
世の中には、
giver、taker、macherの人間法則が立証されている
〈 相手に益を与える者 = giver 〉
〈 相手から益を受け取る者 = taker 〉
〈 益を与え受け取る中間者 = macher 〉
この3種の人間法則の中で、どの人間が最も成功しやすく、反対に最も不幸になりやすいか、並び替えてみてほしい。
答えは、以下の通り
giver. >. taker. >. macher. >. taker
そう、不思議にも最も成功しやすいのも
最も不幸になりやすいのもgiverなのだ。
振り返ってみよう。
人生の幸福度の8割を占める要素は他者貢献であり、
無条件に相手に多くを奉仕するgiverが
精神的な満足度に恵まれてることに無理ない。
ではなぜ、giverは華やかな成功者の一面と、
最も不幸になりやすい一面を兼ね備えているのか?
二者の何が異なるのか??
答えは、「時にはNoを突きつけられる人」
が二者のgiverを分断する。
両者とも、他者に貢献奉仕する心の優しさを備えた人物に変わりはない。
だが最下位のgiverは、自分の置かれた状況を犠牲にしてでも仕事を完遂しようと奮闘する。
その後、全てを犠牲にし引き受けた無理難題を、
不十分な完成度で終わらせるなら怒涛の罵声を浴びせられる。
さらに今度は、別の人間が断れない特性をしめしめと思い、最終的に環境の誰もが仕事の押し付けにも躊躇しなくなる…
といった負のスパイラルが始まるのだ。
最下位のgiverは要するに、
「みんなに優しくしているのになぜか舐められる」 ちょっと可哀想な人達だ。
当然露伴のように、性格が極端過ぎて誰の助けも一切必要としない事はそもそも問題がある。
だが、どうしても手が塞がった際に、
ガツンと「No」を突きつける勇気は、メンタルヘルスを始めとした観点からみても必要だ。
これは、人間関係も同様である。
何でも話せる気概 といった安直な理由で、
仲間達が犯した明確に問題ある言動に対しても、
「友達だから」 「仲間だから」
と、無条件で全肯定するのは健全な関係ではない。
「わかるー」「そうだねー」
と発言全てに同調するのでなく、
「いや、そこは間違ってるんじゃないか」
と、5回に1回の頻度で
「なるほどね! 自分はこう考えるよ」
と発言を一旦受容した上でキッパリ意見を語る勇気も大切だ。
ぬるま湯のような関係を変え、しっかり本音で語り合える真の関係になればかえって相手から一目置かれる特別な存在になり得る。
仮にその場で断り嫌われたのならば、
その人とは所詮その程度の陳腐な関係なのだろう。
全肯定された相手は気持ち良い事に変わりない。
一方で、時には意見を本音で語り合ったりと、
静と動・飴と鞭の両刀を兼ね備えた、ちょっぴりドライな人間関係が長い目線で見た時に真の関係が構築される。