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走らなくてもモテる! ヘラジカの省エネ交尾戦略


第1章:はじめに──気候変動と動物の「恋愛事情」

地球規模で進む気候変動は、私たち人間だけでなく野生動物の暮らしにも大きな影響を及ぼしています。気温の上昇は生息域や食糧状況にかかわるだけでなく、動物たちの「恋愛事情」にも少なからぬ変化をもたらすと考えられています。特に、体が大きく「暑さに弱い」種類の動物にとっては、気候の変化が生死を左右する深刻な問題となり得ます。

その代表例がシカ科最大種のヘラジカ(ムース)です。本来は寒冷地帯を好むヘラジカは、高温による熱ストレスを受けやすく、気候変動の影響をダイレクトに受ける可能性が高いとされています。本記事では、アメリカ・ワイオミング州の山岳地帯に生息するヘラジカを対象に行われた研究をもとに、気候変動とオスの繁殖行動の関係について詳しく解説していきます。


第2章:研究の舞台と主役──南限に生きるヘラジカ

今回の研究が行われたのは、ワイオミング州のアブサロカ山脈と呼ばれる標高1500~3500mにおよぶ山岳地帯です。年間の降水量は約37~41cmと比較的少なく、秋の平均気温は0~16℃ほど。しかしながら近年、秋の期間にも気温が上昇する傾向が見られ、ヘラジカが生息するには厳しい環境になりつつあるといいます。

シカ科の中で最大種として知られるヘラジカは、もともと北欧やロシア、北米の寒冷地域に広く分布しています。体の大きさはもちろん、その巨大な角も特徴的です。ところが、このアブサロカ山脈に暮らすヘラジカは、北方から見ると“南限”にあたるエリアで生活しているため、すでに自分たちの「暑さへの限界」に近い環境下で繁殖活動を行っていると考えられます。


第3章:ヘラジカの恋愛シーズン──オスの戦略とは

ヘラジカは「ポリジニー(多妻)システム」をとる動物で、繁殖期のオスは複数のメスと交尾する可能性があります。オスは繁殖期になると自分の遺伝子を残すために、広範囲を移動してメスを探し、見つけたらそばを離れずに守ろうとします。研究では、こうしたオスの行動を大きく「探索型(Mate-searching)」と「メスを守る型(Female-defence)」の2種類に分けて解析しています。

一般的に、大きな体や立派な角を持つオスほどライバルとの競争を制しやすく、“モテる”はずだと考えられてきました。しかし、一方で大きな体を動かすには多くのエネルギーを必要とします。ましてや温暖化によって気温が上がれば、その分熱ストレスが増して“体力勝負”が厳しくなる可能性もあります。繁殖に有利とされる traits(体格や角)と、環境の厳しさという二つの要素が、ヘラジカの行動にどう影響するのかが研究の注目点となりました。


第4章:意外な発見──強いオスほど“省エネ”に動く?

今回の研究結果で最も興味深かった点は、年齢を重ね、より大きな角を持つオスほど「移動に費やすエネルギーが少ない」傾向が見られたことです。オス同士の競争に勝つためにはメスを探して動き回るはず、と想像する人が多いかもしれません。ところが実際は、若いオスが必死に走り回る一方で、“ベテラン”のオスはそこまで動かなくても繁殖機会を得ていることがわかったのです。

考えられる理由としては、体の大きなオスほど移動にかかる負担が大きいだけでなく、角が大きいことで熱のこもりやすさが増し、暑さへの耐性が低下する恐れがあることが挙げられます。また、立派な体格はそれ自体が強さのシグナルになり、ライバルとの激しい戦いやメス探索を積極的に行わなくても、メスが近寄ってきたり、他のオスが敬遠したりするのかもしれません。こうした“省エネ”の戦略は、厳しい環境下で賢く生き抜く術の一つとも言えるでしょう。


第5章:温暖化の悪影響──暑さがもたらすジレンマ

研究では、気温が上がるほど体格の大きなオスほど移動量が落ちるという結果が得られました。若いオスは比較的よく走り回るのに対し、大柄なオスは体温を下げるために休む時間を増やすなど、省エネを徹底する傾向が強まります。こうして気温の高い日には、繁殖シーズンであっても活発にメスを探す代わりに、ベテランのオスほど動きを抑える方向にシフトしていくのです。

一見すると「それでは繁殖のチャンスを失うのでは?」と思われがちですが、実はそうとも限りません。ここが“ジレンマ”の面白いところで、移動を抑えるデメリットよりも、体格の大きさや角の立派さがもたらす優位性のほうが、結果的に上回っている可能性があるのです。つまり、暑さによる行動制限は確かにあるものの、大型オスが繁殖機会を著しく失うわけではないということが、今回の研究から示唆されています。


第6章:それでも変わらない“モテる”オスの条件

若いオスが一生懸命動き回っても、体格の差や角の大きさで劣る場合にはライバルに勝てません。こうした「体の大きさ」や「角の大きさ」は、繁殖期において圧倒的なアドバンテージとして働くことが分かっています。しかも、この研究によると、移動量そのものと“モテ度”のあいだには必ずしも正の相関は見られなかったのです。つまり、「動き回る=繁殖成功が高まる」ではなく、「大きな体や立派な角を持つ=結果的にメスとの接触が増える」という構図が成り立っているわけです。

そこには、メスの好みや経験豊富なオスの立ち回り方など、複合的な要因が関係していると考えられます。力強いオスには、そもそもライバルが戦いを挑みにくいという側面もあるかもしれません。また、ベテランのオスであればメスの行動パターンや生息域を熟知しているため、効率よく動くだけで十分に目的を達成できるのでしょう。こうして見ると、“動きの量”よりも“存在感や経験値”が大切だという新たな視点が浮かび上がってきます。


第7章:大型哺乳動物の未来──温暖化が運ぶ進化のシナリオ

大型哺乳動物にとって、体の大きさや角のサイズは長らく「繁殖上の優位性」を示す鍵とされてきました。しかし気候がさらに温暖化すれば、今後は熱ストレスがますます増し、大柄なオスほど不利になる可能性が高まるかもしれません。けれども今回の研究では、少なくとも現状の条件下では、体力を温存しつつ“モテる”ベテランのオスがまだまだ優勢を保っていることがうかがえます。

また、ヘラジカは夏に蓄えたエネルギーを「キャピタル(資本)」として貯め込むことで、繁殖期の“食事時間”を削り、メスとの接触や休息に時間を充てる能力を持ちます。こうしたキャピタルブリーディングの戦略は、暑さと向き合いながら効果的に繁殖を成功させるための大きな強みと言えるでしょう。今後、気候がさらに変化していく中で、大型オスが生き残るためにどんな変化を遂げるのか──その行方を追うことは、温暖化時代における動物の進化と生態系の変容を知る上で極めて重要なテーマとなりそうです。

引用元

Levine, R. L., Kroger, B., & Monteith, K. L. (2024). Thermal conditions alter the mating behaviour of males in a polygynous system. Functional Ecology, 38, 2553–2563. https://doi.org/10.1111/1365-2435.14664

タイトル: Thermal conditions alter the mating behaviour of males in a polygynous system

URL: https://besjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1365-2435.14664

出版元: John Wiley & Sons Ltd (on behalf of British Ecological Society)

掲載誌: Functional Ecology

著者: Rebecca L. Levine, Bart Kroger, Kevin L. Monteith

ライセンス: Creative Commons Attribution License

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