食肉目の脳進化:環境適応が鍵? 広域分布種ほど脳が小さい傾向
動物の脳の大きさは種によって大きく異なり、その進化の過程は長年科学者たちの関心の的となってきました。特に、体の大きさに比べて脳が大きい「脳化」現象は知能や社会性との関連が示唆されつつも、その進化のメカニズムは完全には解明されていません。
ベルギー王立中央アフリカ博物館などの研究チームは食肉目を対象に、脳の大きさの進化に影響を与えた要因を大規模な比較分析によって解明しようと試みました。
174種もの現生食肉目の頭蓋骨を分析し、脳の大きさと体重、そして生態、環境、社会性、生理学的特徴といった様々な要因との関係を調べました。その結果、食肉目の脳の進化はこれまで考えられていた以上に複雑で、環境要因との間に強い関連性があることが明らかになりました。
脳の大きさ進化の謎:従来の仮説
動物の脳の大きさの進化については大きく分けて二つの主要な仮説が提唱されてきました。
一つ目は「高価な組織仮説 (Expensive Tissue Hypothesis: ETH)」と呼ばれるものです。脳は代謝的に非常にコストの高い器官であるため、大きな脳を維持するためには他の器官へのエネルギー供給を制限する必要があるという考えです。この仮説は食性が脳の大きさに影響を与えるという観察結果などから支持されています。
二つ目は「認知的緩衝仮説 (Cognitive Buffer Hypothesis: CBH)」です。複雑な環境で生きていくためには高度な認知能力が必要とされ、その結果として脳が大きくなるという考え方です。例えば、広範囲に行動する動物は餌の場所や捕食者の回避など、より多くの情報を処理する必要があるため、大きな脳を持つ方が有利になるというわけです。
しかし、これらの仮説だけでは動物の脳の大きさの進化を完全に説明することはできませんでした。
食肉目の脳化:系統による進化速度の違い
今回の研究では、食肉目の脳の大きさが体重と強い相関関係にあるものの、その進化速度は系統によって異なることがわかりました。
例えば、イヌ科の動物は他の食肉目に比べて脳化が急速に進んだことが分かりました。従来の研究では、イヌ科における脳化の促進は群れで生活するための社会性の複雑化と関連付けられてきました。しかし、今回の研究では社会環境よりもむしろ、行動圏の広さや地理的分布といった環境要因がイヌ科の脳の進化に大きな影響を与えた可能性が示されました。これは、イヌ科の動物が広範囲に行動し、変化する環境に適応するために大きな脳を進化させてきたことを示唆しています。
一方、マダガスカル島にのみ生息するマダガスカルマングース科の動物は他の食肉目に比べて相対的に脳のサイズが小さく、進化速度も遅いことがわかりました。マダガスカル島は他の大陸から孤立しているため、捕食者や競争相手が少ない環境で進化してきました。このような環境では高度な認知能力が生存に必須ではなかった可能性があり、その結果として脳の進化が遅れたと考えられます。
環境への適応と脳の大きさのトレードオフ:地理的分布との関係
今回の研究で特に興味深いのは、食肉目全体で見ると地理的分布の広さと脳の大きさの間に負の相関関係が見られたことです。つまり、広範囲に分布する種は脳のサイズが小さい傾向にあることが示されたのです。
これは、脳の大きさが環境への適応に影響を与える可能性を示唆しています。脳は多くのエネルギーを必要とする器官であるため、資源の少ない環境では小さな脳の方が生存に有利になる可能性があります。逆に、資源が豊富な環境では大きな脳を持つことで複雑な問題解決能力や社会行動が可能になり、生存と繁殖に有利に働く可能性があります。
この結果は、これまで考えられてきたよりも脳の大きさの進化における環境要因の重要性を示唆しています。つまり、食肉目の脳の進化は大きな脳を持つことの認知的な利点と代謝的なコストとの間で、環境要因に応じて最適なバランスを選択してきた結果である可能性が考えられます。
引用元
タイトル:The impact of environmental factors on the evolution of brain size in carnivorans
URL:https://www.nature.com/articles/s42003-022-03748-4
著者:M. Michaud, S. L. D. Toussaint & E. Gilissen