小説「嘘つきなぼくとチョコレート」(連載第1回)
一.クリニック
今日も天気は曇り空、街には雪が降っている。マスクをしたぼくは小学校から帰った後、「財政の無駄」と称される文化施設に接するクリニックへ向かっていた。吐く息も白く、まるで汽車の蒸気のように口から出ては消えていく。雪は地面に落ちるとすぐに溶けてなくなるけれど、ときどき首筋や顔に当たって冷たい。外を歩いていて一番つらい時期だ。でも、ぼくには自分の身体が熱く感じる。
クリニックで事務のお姉さんに保険証と診察券を出して、「二月五日」と書かれた順番待ちノートに名前を書いた。
「辰巳くん、保険証はいいよ。今月は二回目だから。今日はどうしました?」
前回はひどい頭痛が三日間、治らなくてやってきた。今回は咳が止まらなくてイガイガしていた。
「……はい、わかりました。じゃあ、掛けて待っていてね」
マスクの下でときどき咳をしては口許を押さえ、本棚から今週の少年ジャンプを取って、ソファーに座って眺めた。ジャンプはぼくらの間でも大人気な漫画が連載されているけれど、この号はもう家にあった。特に見入るでもなく、パラパラめくっては早く呼ばれないかとそわそわしていた。事務のお姉さんは先に診察が終わった人の書類を捌いているらしい。他に眺めるものもないのでその様子が自然に目に入った。受付のカウンターに隠れて別に何も見えなかったけど。
診察室に呼ばれると、医者なのにこちらが心配になるほどガリガリの鈴木先生が、ぼくの顔を見てため息をした。
ぼくは自分の抱えた病気の症状を伝えた。間違っても「風邪っぽいです」などとは言わない。そう言うと、この先生は怒るのだ。
「きみは怪我や病気が多いな……」
そしてカルテをひっくり返して、最近何度来ているのか確認したようだ。ぼくは覚えている。今回は咳、その前は頭痛、火傷、そして……。
「ここ一ヶ月で四度目だ」
マスクをしている先生は、今はまさにインフルエンザの流行る季節だから気をつけるようにと言った。それから口を開けるようにいい、金属のヘラでべろを押し下げて喉を見た。鼻に綿棒を突っ込まれる苦痛な検査までされた。
「うんうん……。今年の型とは違うようだな」
先生は頷いてカルテに何かを書き留めた。それから急にマスクを取って振り返り、ぼくをまっすぐに見つめた。
「病気はともかく、辰巳くん。きみ、何か悩みがあるんじゃないか?」
ぼくは「別に」と言ったけれど、どこまで平静を保てたか自信がない。
「そうか。もし、家族や学校の先生に言いにくいことがあったら、話しなさい」
先生は「じゃあ、向こうの処置室で吸入して終わり」と言った。
処置室に移動して、ぼくは大きな機械の前に座った。シューシューと白い煙みたいなのが出てきて、それを喉や鼻に通すやつだ。薬を噴射しているのだろうけれど、正直に言うとこれがどれくらい効いているのかよくわからない。
看護師のお姉さんがガラス器具に薬を注入した。お姉さんは器具をぼくに渡すとき、いつも前屈みになる。大きなおっぱいが目の前に近づいてきて、わずかに重力で揺れる。
「本当に、たっくんは怪我も病気も多いねえ。活発で元気な証拠なのかもしれないね」
ぼくはおっぱいに目がいかないよう、お姉さんの目を見つめて「はい」とできる限り素直な少年らしく答えた。機械のスイッチが入って、ぼくは白い煙を喉に当てた。部屋では先にいた人がお礼を言って去っていったり、小さなこどもがぐずるのを親がなだめたりしている。お姉さんは怖くないよと笑顔で接しながら、手元では仕事をしっかりしていた。
吸入が終わるまでの数分間がもっと続いてくれたらいいのに、そう思った。五分? 十分? いいや、もう何時間でも! お姉さんが近くに立っているだけでこころが騒いで仕方なかった。
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