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小説「嘘つきなぼくとチョコレート」(連載第4回(終))

 四.プレゼント・フォー・ユー

 二月十四日。世はバレンタインだ。男子がそわそわし、女子はそんな男子を軽蔑している。基本、その辺の男子がいくら緊張してチョコレートを待っていたところで、何もことは起こらない。たまに女子がプレゼントしたという話で大波乱に陥ることもあるけれど、どこかの先輩だったりして、結局は余所で起こることで外野には無関係だ。それにぼくは学校のバレンタインに興味はなかった。
 いつものように具合を悪くしてクリニックへ、鈴木先生にため息と変な気遣いをされ、その後にお姉さんに処置を受けるために向かった。もちろん、チョコレートをもらえるなんて夢というか妄想だし、ぼくはただお姉さんにちょっと困った顔をしながら怪我や病気の看病をされたいだけだ。


 でも、今日はいつもと違った。お姉さんは近くに誰もいないのを見て「図書館のサロンで待っていてくれる? いいものあげる」と小声で言ったのだ。
 ――まさか、チョコレート?
 ぼくは鼻血が出て今すぐにも再診が必要なほどに興奮した。お姉さんの言葉に何度も頷いて、それから会計をして図書館にいった。
 ――もしかしたらキスなんてしてもらえたり……?
 知りもしない柔らかな唇が脳裏に浮かび、唾を飲んだ。
 サロンでコーヒーを飲みながら外を眺めた。催し物のパンフレットを読む気もないのに手に取ったり、あちこち歩き回ったりしながら、遅い遅い、まだかまだかと待っていた。お姉さんを待つのが耐えられないあまり、雲に覆われた空を何度も見ては、もう日が沈むのではないかと思うほどだった。
「お待たせ、お待たせ」
 私服になったお姉さんは、一月十八日に会ったときと同じ、編み目のしっかり見えるセーターだった。あの日の光のなかの姿が目の前に再現された。いや、もっともっと美しかった。射し込む雪の反射光なんてなくても、輝いていた。
「宿題もしていたから、待たされた感じはしません」
 嘘をついた。
 えらいね、とお姉さんは笑った。やっぱり今日のお姉さんはいつもよりきれいだ。
「きみにあげたいものがあるっていうのはね……これ」
 青いリボンでラッピングされた、小さな箱だった。ぼくは手が震えるのを抑えながら、お姉さんの手からしっかり受け取った。
「怪我と病気の特効薬。こころの痛みを治してくれるぞ。劇薬だけどね」
 お姉さんはぼくの気持ちに気付いていたんだ。舞い上がる気分になった。ドキドキが本当に聞こえるくらいだ。
「恋は万病の元だけどねえ、相手の注意を引くために仮病やわざと怪我をするのはよくないな。気になってるんでしょう?」
「はい……」
「じゃあさ、今から小夜子さんにあげてきなよ、バレンタインの終わりまでまだ時間はある。逆チョコになるけどね!」
 ――えっ。小夜子? 小夜子が……? ああ、なんてことだ。お姉さんは完全に勘違いをしている。小夜子なんてどうだっていいのに! お姉さんのことしか考えていないのに!
「ありがとうございます」
 青ざめていたけれど、ついお礼を言ってしまった。お姉さんは勇気づけているけれど、ぼくの方は何をどうしていいのかさっぱりだ。
 ――このまま家に帰って誰のためかわからないチョコレートを、ぼくは食べるのだろうか? いくらお姉さんからもらったからって、ぼくのためでないものを?
 ふと見ると、お姉さんはもう一つ、チョコレートの袋を持っていた。
「ああ、これは友達にね。プレゼントするものなの」
 友達とは誰なのだろうかと考えてしまった。急に嫌な予感がして胸が締め付けられた。ぼくがそれを聞こうとしたとき、お姉さんは急に手をかざした。視線の先を見てみると、あちらでも微笑んで手を振る男の人がいた。
 ぼくとお姉さんの会話は終わった。お姉さんは立ち上がって男性に近づきながら、振り返りつつ「がんばってね」と言って去っていった。降り始めた雪のなか、相合い傘に入る二人がぼくに追い打ちをかけた。

「見てたよ、情けない」
 小夜子がぼくらの死角になっていたスペースから出てきた。なんだかいつも以上に目つきが険しかった。
「振られてるじゃない。格好悪い」
「大声で言うなよ! 人に聞こえるだろ!」
「チョコレートをもらったなんて大チャンスなのに、なんで好きって言わないかな」
「仕方ないだろ……彼氏がいるんだし」
 そう言うと、小夜子は「イライラする!」と言ってまくし立てた。
「言えばいいのに! 簡単だよ? ……本当はたっくんが最初から用意していればよかったんだけどね! バレンタインだからって待ってるばっかりじゃダメなんだよ、本当に、意気地なし!」
 小夜子はそう言って怒った様子で去っていった。


 ――勘違いされたぼくは、いったいどんな顔をして明日からクリニックへいけばいいんだろう? いや、もういけないんだ。病気が嘘なのはバレている。その上、小夜子は好きな相手じゃないなんて言ったら、その嘘もバレてしまう。でも小夜子を恋人だってことにして話を進めたって意味がない! どっちにしても、もうお姉さんに合わせる顔はない。終わったんだ。
 でも、とぼくはさっと頭が冷えて落ち着きを取り戻した。
 ――今、お姉さんのところにいけば、間に合うかもしれない。少なくとも、嘘つきじゃない……お姉さんに本当のことを、ぼくの本当の気持ちを伝えないと。
 天気は崩れ始めて雪が降り出していた。ぼくは文化施設のドアを走り抜けてお姉さんを探した。お姉さんに本当のことを言わないといけない。本当に大好きなのは、お姉さんだと言わなければならない。
 劇薬のチョコレートを手にしたまま、ぼくは雪の降る街に走り出した。


 終わり

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