小説「大地に落ちる汐の思い出」(連載第3回)
兄は家の手伝いをしていたが、それより幼い私にも仕事が割り当てられるようになった。
まず兄と私の交代で、朝食の支度を任されるようになった。前の夜に炊飯器をセットし、朝に味噌汁を作る。ほとんどそれだけだった。目玉焼きを焼くという役目を任されたのはしばらく後になってからで、すべて大人ならばなんということのない仕事だった。当然、子供の私にはすべてが未知のもので、失敗も多かった。けれど、先生はどんなにしょっぱい味噌汁や消し炭の目玉焼きを見ても黙って食べるだけで、正しいやり方は教えないのだ。これまで兄と先生、二人で一日に何合の米を食べていたの私はわからないし、汁に入れる味噌の量もわからない。それらはすべて手探りで、先生はただ簡単な感想、濃いとか薄いとかを言うだけだった。解決するためにどうするのかは教えてくれなかった。兄が後で教えてくれるのだけど、言われただけでは易々とはいかないものだった。
家の仕事は次第に広がっていき、洗濯や掃除など、交代ではあったが日常のことはほとんど経験するようになった。やがて私なりのコツや感というものを掴むことが出来て、先にあった二人の生活に溶け込んでいった。
ある日、先生が御友人を連れてきたときだった。一晩泊まっていくということで、先生方は夜遅くまで酒を交わしながら話をしていた。翌朝の支度は私が当番で、「明朝は友人の分も支度をするように」と言われたのでそのように理解した。兄は来客の相手にするという面倒な仕事から逃れられたということで笑っていて、私の苦労を労った。
翌朝はいつものように目覚ましが鳴り、米の炊き上がりを調べ、豆腐とネギを切り、味噌を溶いた。キャベツの塩漬けもいい具合だった。客間に膳を用意して先生方に声をかけ、私と兄はそれとは別に台所で食べた。
その日の夜、私は先生の部屋に呼ばれ、いつものように正座をするように言われた。私は何かまずいことでもしただろうかと緊張して大人しく座った。そして一泊していった先生の友人のことがふと頭を過ったが、具体的には思い当たる節はなかった。
テーブル越しに先生は私を見つめていた。それは何か大事なことを話す前兆だった。
「『衣食足りて礼節を知る』という言葉を知っているな」
「はい」
「今朝はとても見事だった。友人も、とても子供の仕事とは思えないと言っていたぞ。正しい日常を送っていれば礼儀は自ずとわかり、自然に行動に移すことができる。その点で言うと『衣食足りて礼節を知る』にはいくらか言葉が足りない。礼節を知るためには衣食が必要だと言うが、では衣食が足りないうちはどうしたらいいのか。衣食を得るためにも、礼節を知らなければならない。その意味では、この言葉は正しくない。『飯を食ったから礼儀正しくなる余裕が出た』ではなく『礼儀正しいものは、食事に見合う価値がある』だと考えなさい。礼儀を身につけて他人と接しなければ、衣食さえやってこない。貧しくとも礼節は知らなくてはならない」
お話はそのような具合だった。けれど極めて珍しいことには、先生は千円札を私の前に出した。
「こういうことはしないでくれと言ったのだが、おまえのことをえらく気に入ったらしい。おまえに小遣いをくれた。取り上げるつもりはない。これもいい機会だ。これはたまたまだが、礼節を知っている人間はこういういいこともあると……まあ、悪くはないだろう。千円をくれたからら礼儀正しくする、ではなく、礼儀正しくしているものには千円の価値がある……そんなところだ。大事に使いなさい」
私も兄も小遣いというものをもらってなかった。いつも必要だと認められたものだけ買ってもらっていたので、初めて手に入れた自分のお金に大変興奮した。兄は羨ましい、俺の当番の日だとよかったのに、また来てくれないかな、と言っていた。昨夜のずるい笑いから一転した兄の姿は、今思うと微笑ましいものだった。
結局、大事になりすぎて使う機会を逃してしまい、その紙幣は今も手元に残している。
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