途切れない縁
先程TVを見ながら何となくツイッターのTLを追っていたら、どこからかリツイートされてきたNoteの記事に釘付けになった。亜希子さんの“ホタルイカ瞬間移動”事件の件である。
私も父が大学卒業後すぐに亡くなって、その後何度か彼にまつわる一言では説明の難しい出来事を経験しているが、その一部は母親がある方を通していわゆる“口寄せ”をする場面に遭遇した時の事で、私にとっては「絶対思い出したくない出来事ベスト3」に入るので今更掘り返すつもりはない。ただホタルイカの一件を読んで、私は頭がおかしくなったんじゃなかった、やっぱりそういう(見えない存在から分かりやすいメッセージが飛んでくる)ことはあり得るのだと分かって気持ちがだいぶ楽になった。
私の父は残念ながらそこまでこの世に執着がなかったからか、死後これまでに直接彼からのメッセージを受け取る機会はほとんどなかった。ごくたまに夢に出てくることはあったがほぼ無言であったし、私は生前の遺書の件で父親と長く心の距離があったので、彼はどうせ私の事など心配していないはずという思いがあって、現在のように既に世を去られた方々から時々話しかけられるようになってからも、彼のことは仏壇への感謝の祈りと墓参りという日々の務め以外には特別なことは考えないようにしていた。自分にとって距離が近ければ近いほど、自分自身の感情や思考が入り込んでくるのでメッセージを受け取るのが難しい面はある。それに幸い遺書の件は解決し父親への恨めしい感情はなくなってはいるが、長い時間が経過してしまって今更な気持ちも否定はできないのである。
しかし、父親との直接の“遭遇”がなくても、亡くなられた方々がどのような思いを持ってこちらの世界を見ているのかを、全く別件の出来事を通して知ることで、父親の心情を慮ることができるようになれたかなとも思う。生きている家族はもはや空中分解しバラバラになってしまってもうこれ以上何もできないところまで来ているのだが、そういう自分たちの事を父はどのように感じているのかは知りたい気もする。
これまでに何度か、残した家族が心配でたまらないという霊さんのメッセージを受け取ったことがある。また、私が代わりに当人に伝言してもらえないかというリクエストを受け取ったこともあるが、私はミディアムではないので丁寧にお断りし、彼らの思いが何らかの形で伝わるようにとお祈りしてきた。実際に、身体がなくても生きている人たちに思い出してもらえるような手段はそれなりに取れるそうで、ホタルイカ瞬間移動もそういうやり方もあったか、と膝を打ちたくなる心境であった。
生前の記憶も感情もそのまま持ち越されるのもあってか、霊さんのメッセージは概ね残された家族への感謝や愛の言葉か、あるいはもっと◯◯しておけばよかったというような後悔や謝罪の言葉のどちらかで、彼らの思いがこちらに感覚的にずしっと伝わる度に、生きているうちに仲直りできるならしておいたほうがよいし、言うべきことはちゃんと言っておくに越したことはないと思うし、また彼らにとって最も嬉しいのは、生きている人たちが自分のことを覚えていてくれているという事なのだとわかった。
そのような非日常的やりとりのお陰で、私はご先祖さまと父親と虹の橋を渡った2匹のネコたちに、“いつもあなたがたを覚えていますよ、ありがとうございます”と毎日手を合わせて伝え、またできるだけ彼らの好物を切らさないようにとお供え物もいろいろと考えるようになった。未だ信じ難い部分は残しながらも、これまでの度々の不思議体験があったおかげで人生の課題は死ねばそれでリセットされるわけじゃないし、肉体のあるうちに切れる縁もあれば肉体があろうがなかろうが途切れない縁もあるのだと教わることができたのだろうと思う。