勇気なんてもらわなくていい
五輪真っ盛りでございます。
スポーツイベントがあると必ず現れるのが
「○○選手の奮闘に勇気をもらいました」
「感動をありがとう」
って、何かもらっちゃう人たち。
どうも日本人は(ほかの国のことは知らないけど)
一次的な楽しさで満足できないんだよね。
楽しさの先に二次的な「得るもの」を求める。
欲張りさん。
いらないって。
そんなもん。
何も得なくていい。
日本人はどうも、生産性のない時間の使い方を軽んじる傾向があると前々から思っていた
(ほかの国のことは知らんけど)
本人にとっては有為だし、有意義だし、欠くことのできないことでも
社会的な影響のないものや何も生まないものは「無為」と断じる。
「それは、あなたの価値観でしょ!」と言いたい。
あなたの価値基準で他人の行動の有為無為を計るな! と。
だけど、日本人は(ほかの国のことは知らんけど)
他人から「暇人」って言われるのを極端に嫌うので
他人から見て「無為」な行為は恥ずかしくて「正式な行為」としては
認識したがらないよね
たとえば、近所の人とおしゃべりする。
たとえば、洗濯機が回るのをひたすらながめる。
たとえば、河原に座って草笛を練習する。
これらをスケジュール帳に予定してる人、いないでしょ。
実は、スポーツ観戦も「時間の無駄」だと思ってるんだろ。
だから、なんとかして有為なものに見せかけようとしてるんだろ。
だから、「感動をもらった」って。ためになったって。有為だったって。
そう思い込もうとしてるんだろ。
いらないって。
スポーツ観戦後「あー、面白かった」でいいんだって。
何も為にならなくて、何の役に立たなくたって。
その先に何もなくたって。