現代詩歌についての暴論
日本人は、自我(エゴ)が強くなった。
日本語と改めて向き合う時、そのファジー(出鱈目)に面食らうひとは多いのではないか。
文法学者が古語を屠殺した様に、
言語に論理的秩序を求めるに由って、おかしな事に成って仕舞う。
これは西洋の価値観‐概念の輸入に由来する問題であり、
理性‐感情の対立の構図でもある。
日本語が意味を尊ぶならば、その言語の音楽性は、亡失されて行くだけなのではないか。
現代短歌のノイジーな韻律は、もはやシニフィエ至上主義の、聞くに堪えない論理馬鹿達の遊戯場と成り果てて仕舞った。
言葉は意味であると共に、調べ、音韻の両側面に由って成立している。
片手落ちの皆様、何か大事なことを忘れてはいませんか。
自戒を込めて。