なぜ難しい本が必要なんだろう?
こんにちは、scherzです。
今日は、どうして難しい本が必要か、なくなってはいけないのかについて簡単にメモしておこうと思います。
理由は3つくらいあるかなーと。
1.難しい本を読まなくなる→需要がなくなって難しい本が消え失せる→書く人がいなくなる
2.難しい本を読まなくなる→簡単な本が消える(1と深く関連)
3.難しい本を読まなくなる→物事を理解したり、考えたりする能力が衰える
ざっとこんなところでしょうか。
ちなみに、私は簡単な本が悪いとか不要だとか言うつもり全く無いので悪しからず。
1から。一般に難しいと言われる本を書いているのは研究者の方が多いと思われます。その本に対する需要が減退すると、書いても売れない、と考え書くことを諦めてしまうかもしれません。また、出版社だって営利企業ですから、売れない本を出版したくはありません。
すると書く人が減る、あるいは、いたとしても出版できない、という状況に陥ってしまいます。
この事態は避けなければなりません。なぜなら、この事態は研究などの後退につながるからです。国際社会の競争力は激しさを増しています。潤沢な資金を投入して優秀な研究者を世界中から召集している国も多いです。
そのようなところから、さらに優秀な人たちが名だたる企業や国家プロジェクトに参加していきます。
つまり、研究者の減少は競争力の低下に寄与する一要因となりうるわけです。そして、難しいと言われる本が売れないと(特に技術系以外の分野の)研究者は苦しいです。
次に2。1と関連していますが、あらゆる分野の入門書や概説書というのは、その難しい研究や論文に基づいて書かれています。つまり、難しい本が無ければ簡単な本は存在できません。様々な分野についての入門書を手軽に買うことができるのも、難しい本があるからこそだと思います。
続いて3。簡単な本だけ読んでいると考える能力が衰えていきます。難しい本は理解するのに苦労しますし、そもそも読むことすら大変です(私も何冊も挫折しております)。でも、読めば色んなことを考えますし、分からないことを調べます。すると別の領域のある部分とのつながりや違いを発見する、といったこともあります。これは簡単な本を読んでいるだけではなかなか起こり得ないことかな、と思っています。
ざっくりと、難しい本が無くなってはいけない理由をメモっておきました。
私は、読書は筋トレのようなものだと考えております。
読めば考える力という名の筋肉が鍛えられますが、読まなければその筋肉は衰えていきます。
しかも、ずっと軽い負荷だけでやっていては効果は薄いです。
軽い負荷から始めて(だから簡単な本ももちろん必要なわけです)、そのうち重い負荷に移行すると強靭なものを手にできる、とまあ、こんな感じで考えています。
よろしければ、少し難しい本も読んでみてはどうでしょうか。