他人の感情を、他人のものとして見ることがだいぶ得意になった。
以前は、目の前の人が怒っていると動揺し、焦り、慌てふためき、原因を探ろうとおずおずと近づいて声をかけてはとばっちりを食らい、泣きながら退散し、その後しばらく一人でスンスンと鼻をすすった後、「私はあいつを心配して声をかけてやったのに、私を怒鳴るなんてなんてクソ野郎だ」と相手を罵り、その後しばらくしてその人に再会したとき、「この前はごめんね」なんて言われて飴をもらうと「ヤダ、この人いい人じゃん、スキ…」と手のひらをくるんくるん返すような、そんな私だった。
世界は私に優しくはない
私が勝手に世界を【私に優しいもの】と捉えているだけ
その捉えかたが幸せで好きだから、私がそれを選択しているだけだ。
世界は優しくも厳しくもない
世界は常にフラットだ
他人の感情を、他人のものとして見ることがだいぶ得意になった。
怒っていても
悲しんでいても
張り切っていても
喜んでいても
それを【あなたのもの】として見ることが、だいぶ得意になった。
その上で、
楽しいことには同じくらいの楽しさで
張り切ることには勢いをつけるくらいに
踏ん張ることには背中を預けられたつもりで
ここにいることができるようになってきた。
"ここに在る"ことで、他人と世界を共有することを、なんとなく感覚で知ることができるようになってきた。
この距離感から見るあなたは、本当に生き生きしている。
怒りも悲しみも喜びも、何もかも抱えて、しっかりとそこに立っている。
私はそれを見ていて、とても清々しい気持ちになっている。
あなたの生きる力が、とても心地いいと感じている。
あなたはあなたであり、あなたの世界はあなたのものである。
あなたはあなたの人生を選択し、それに誇りと責任を持って生きている。
そのことが、前よりきらめいて見えている。
いつも応援ありがとうございます。 あなたの毎日がよくなるように、少しでも力になれるよう これからも精いっぱいがんばります٩( 'ω' )و