【vol.9】平成の大合併と学校統廃合の関係は?私たちは何を失って、これからどうすればいいのか
私たちはこれまで、広島県福山市の学校統廃合の事例を紹介してきました。なぜ福山市で学校統廃合が起こったのか、その理由を探る際に、どうしても外すことができないのが、平成の大合併による影響です。
今回は、平成の大合併に焦点を当て、公立学校統廃合との関係を見ていきます。
◆日本の市町村合併と学校 -明治・昭和の大合併-
日本では、明治・昭和の時代にも、大規模な市町村合併が行われてきました。
1868年の明治維新以降、新政府による廃藩置県をはじめとした地方制度改革が行われ、江戸時代のいわゆる「自然村」が「行政村」に組み替えられていきました。1888年の町村合計数71,314というのは、その過程の数字です。明治政府は、1888年から1890年にかけて市政・町村制を施行し、並行して大規模な市町村合併を進めましたが、これは基礎自治体に1つ小学校を設置することを目指したためだったといわれています。戸数300~500戸を目安に合併が進められた結果、1889年には市町村数が15,859になりました。
また、昭和の合併は、人口規模8,000人を目安に進められました。この合併の目的にも、日本国憲法下の中学校を全ての自治体に設置することだったと言われています。その結果、1953年に9,868あった市町村が、1961年には3,472になりました。
出典:総務省「『平成の合併』について(2010年3月) 」「広域行政・市町村合併 」
このように、これまでも、日本の市町村合併は小中学校の配置と結び付けて議論されてきました。
その後、1999年に3,229あった市町村が、2010年には1,730になりました。主にこの時期に行われた市町村合併が平成の大合併と呼ばれます。今回は、この平成の大合併と学校統廃合との関係を見ていきますが、まず、平成の大合併はどのような性質のものだったのでしょうか。
◆平成の大合併も国の主導で進められた
平成の大合併は、地方分権改革という文脈の中で進められました。市町村合併を進める理由として国が宣伝したのは、分権の受け皿となる地方自治体の行財政を安定させるためというものでした。
平成の大合併も、明治や昭和の市町村合併と同様に、政府の強力な主導により進められました。政府が合併を推進しようとする姿勢は、1999年9月に自治省が公表した「市町村の合併の推進についての指針」 にも明確に示されています。
国は、市町村に合併を促すために、いくつかの方法をとりました。まず、1999年7月に「市町村の合併の特例に関する法律」(=合併特例法)を改正し、新たに合併を行った自治体が事業を起こす際に、その95%を地方債として借り、うち70%までを国からの地方交付税で返済することを認める「合併特例債」を導入しました。また、合併すると人口が一本化されて削減されるはずの地方交付税を、合併後の10年間は旧町村の額で据え置く「交付税算定替」という措置もなされました。
一方、小規模自治体ほど地方交付税交付金を手厚くする「段階補正」の制度を見直すという議論もなされました。これはもはや、国による合併推進の圧力のようなものでした。
このような国の動きを見て、「合併するなら今しておいた方がいい」「合併しなければ、交付税を減らされる」「合併しか市町村が生き残る道はない」と判断する自治体が多く現れました。実際に、2005年に合併の件数が集中していますが、これは2005年に合併特例債が廃止されることが決まっていたためだったと考えられます。
国がこのようなやり方で合併を奨励したので、多くの町村は財政上の理由により合併を選択しました。合併をすれば地方交付税が増え、行財政が効率化し、財政が豊かになると考えたのです。しかしそれは本当だったのでしょうか。
◆合併により自治体財政は豊かになったのか
総務省は、合併による効果と問題点を次のように挙げています。
出典:総務省「『平成の合併』について(2010年3月) 」
総務省は、主な効果の4つ目に「行財政の効率化」を挙げていますが、平成の大合併により、自治体財政が豊かになったということは一概には言えません。市町村合併をすれば、確かに財政の規模や総額は大きくなります。しかしそれは、住民が豊かになるということを直接示しません。なぜなら、住民一人あたりの財政規模が大きくなるわけではないからです。
合併の波が落ち着いた2008年の時点では、非合併自治体の方が財政の効率化が進んでいるとした研究もあります(五石敬路,2012年,「平成の市町村合併における『規模の経済』の検証 」)。
また、国が合併奨励のために行った「手厚い」財政支援ですが、合併特例債の返済や建設した施設の維持費、交付税算定替期間の終了(2010年3月)による交付税の減少が、今になって自治体財政を圧迫しているのではないかという見方もあります。
◆平成の大合併で失ったもの
また、総務省は、合併による問題点として住民の声が届きにくくなることを挙げています。
平成の大合併により、人口1万人未満の自治体は大きく減少しました。しかし、人口規模が小さいことが、住民の合意形成と参加に意味を持つこともあります。例えば自治体の面積が広がれば、居住地から議会や役所や公民館までの距離が遠くなり、住民が政治に参加するハードルが上がることが容易に想像されます。また、行政組織が大きくなると、これまで蓄積されてきた自治体固有の問題点が抽象化され、薄まり、住民生活と行政とが離れていく傾向があります。
市町村合併は、単なる行政区域の変更にとどまらず、自治の単位の変更でもあります。自治範囲の拡大により、周辺に追いやられた地域の住民の声が中心に届きづらくなってしまったということは否定できません。
このように、行財政の効率化を名目とし、中央主導で行われた平成の大合併には、数多くの問題が指摘されています。では、市町村合併は公立学校の統廃合にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。
◆市町村合併さえしなければ、学校は残るはずだった?
日弁連は2018年に、合併した自治体の小学校設置状況を調査、発表しました(2019年11月6日、日弁連シンポジウム「平成の大合併を検証し、地方自治のあり方について考える」資料p.217~p.220 )。
この調査では、平成の大合併により消滅した113自治体(2000年の国勢調査時に人口が2,000人以下)のうち、少なくとも次の19自治体から学校が消滅し、1校が休校になっていることが分かりました。
上の事例の中には、市町村合併を行いまもなくして学校が閉校となったケースもあります。これらの事例は、学校を統廃合する可能性も織り込み済みで、市町村合併を行ったのかもしれません。
しかし、目立つのは、合併から10年以上経ってから、大規模校と統合する形で旧町村の学校が閉校しているという事例です。同調査によると、2000年国勢調査時に人口2,000人以下の自治体で、その後市町村合併を行わなかった自治体を調査したところ、それらの全ての自治体に小学校が存在していたといいます。
全ての学校統廃合が行政によって無理に進められるものではなく、これらの事例の中にも、住民が主体となり、慎重な過程を経て行われた前向きな学校統廃合もあったでしょう。しかし市町村合併をせず、旧町村のままでいれば学校を統合されることもなかったという意味では、これらの事例は、平成の大合併の影響をもろに受けて行われた学校統廃合ということになります。
◆福山市の事例
福山市の場合はどうでしょうか。先の日弁連の調査は、人口2,000人以下の旧町村を対象としていました。当時はまだ福山市に編入していなかった内海町の人口は、3,431人(2000年調査時)だったので、内海町ほど人口の多い町から学校をなくすことは、当時は想定外だったということになります。
福山市と内海町の合併建設計画(福山市・内海町合併建設計画(まちづくりプラン) )では、小中学校に関する具体的施策として、「学校教育施設の充実」という取り決めがなされました。
福山市・内海町合併建設計画(まちづくりプラン)より抜粋(p.19)
【施策展開の方向】
重要課題となっている児童数の減少に対応した地域とともにある学校教育のあり方を検討し、その検討を踏まえ、均衡ある教育環境の整備を目指し、内海小学校、内浦小学校及び内海中学校校舎等の耐震化及び改修、内海中学校のプールの改修を行うとともに、内海小学校、内浦小学校の自校式の給食調理施設を整備します。
(中略)また、住民が身近な場所でスポーツ・レクリエーションに親しみ、健康の維持・増進と体力の増強を図る拠点として、また青少年の健全育成の場、地域間交流の拠点として体育館を整備します。
内海町地域の特性を最大限に活用し、圏域の小・中学生を対象としたヨット教室、自然干潟観察等、自然と海と人との交流による社会教育の場として、また小・中学校の総合学習の支援施設として海洋スポーツ公園を整備します。
この取り決めは、直接的に内海町の公立学校の維持を約束したものではないかもしれません。
しかしこの文書からは、当時、内海町は福山市と合併することにより、学校教育環境の改善を図ることができると期待したのではないかということは想定されます。
合併建設計画の元手となる「合併特例債」は、合併によって解散された自治体が将来にわたって公布されるべき交付税を担保に差し出して、それと引き換えに当面借金で事業をさせてもらうというものです。その使われ方は、旧自治体住民の意見を反映することを前提としています。
果たして内海町のために使われた資金は、どれほどのものだったのでしょうか。
なお、当初2003年度~2012年度とされた合併建設計画期間は、5年間の延長により2017年度に終了しています。とはいえ、福山市への編入を決めた当時の内海町の住民は、この市町村合併によってまさか内海町の公立学校を全てなくされることになるとは思いもよらなかったでしょう。
◆おわりに
国が主導し、選択と集中という流れの中で進められてきた市町村合併のあおりを受け、学校統廃合の動きも加速しています。私たちは今後、どうすればいいのでしょうか。
1)中央主導の地方制度論からの脱却を
明治や昭和の合併と同様に、平成の大合併も、政府の主導により進められました。しかし本来、中央から押し付けられる地方分権というものがあり得るでしょうか。安倍政権時に発足した諮問機関の地方制度調査会は、複数自治体の連携を謳った「圏域」を法制化する案を公表していますが、これに対しては慎重な議論が必要になります(2018年8月19日・毎日新聞「『圏域』法制化 地方は反発 政府検討、自治体の配置危惧」)。これほど失敗だと言われた平成の大合併を、またしても国が主導する形で進めるということになりかねないからです。
2)市町村や学校の「適正規模」とは ―大きくすれば効率化するわけではない―
市町村合併をすれば、財政規模も人口規模も拡大するので、行財政が安定する上に、各部署の専門化も可能なので質の向上も図ることができるという言い方にも、説得力があるのかもしれません。しかし実際は、本記事でも紹介したように、合併自治体に比べ非合併自治体の方が財政の効率化が進んでいるという研究もありました。私たちはついスケールメリットの方に目が行きがちですが、規模を大きくすればするほど、効率化が進むということでは必ずしもありませんでした。
3)地方自治のあり方は「効率化」「選択と集中」に向かっていいのか
市町村合併は、端的に表現してしまえば「無駄をなくす」という目標のために進められました。この考え方は、一部の学校統廃合にも反映されています。過疎地の学校を維持し、少ない子どもにたくさんの教員を割くのは効率が悪いといったところでしょうか。しかし、そのような「効率化」のために「選択と集中」を厭わない論理に基づく政策によって、失うものがあることも考慮されるべきではないでしょうか。
1998年~2008年の10年間で市町村議会の議員数は20,803人減少し、旧町村に置かれた役場の支所では、付与された権限の少なさ等も問題となっています。市町村合併に付随して発生したこれらの変化により、旧町村の住民の政治参加の機会は減少し、暮らしと行政との距離が離れる傾向にあったと言われています。
地方行政の効率化をどこまでも進めることを目指すなら、いっそ住民の直接請求権を廃止したり、住民投票の制度をなくしたりしてしまえばいいかもしれません。そうしないのは、私たちが、それらが地方自治を機能させるために必要なものだという価値を共有しているからです。
逆に考えれば、学校も含めて今ある自治体の体制は、地方自治を成り立たせるために何らかの働きをしているものです。その中身は、住民とのやり取りの中で積み上げられてきたものであることが多く、市町村合併や学校統廃合をして規模を大きくすれば手に入るような、単純なものでもありません。
行政範囲の拡大と権限の集中の動きは、末端切り捨てを是とする思想と表裏一体です。やはり、福山市のように周辺との編入合併によってできた大規模な自治体こそ、旧町村地域への配慮が必要なのではないでしょうか。
人口減少が進む中で、地方自治の今後のあり方を、否が応でも思い描いていかねばならない時代になっています。私たちは今、その行き着く先が、「周辺地域の公共サービスは縮小するしかない、切り捨てて効率化するべきだ」というものでいいのかどうかを判断すべき、分岐点に立たされているのではないでしょうか。
K・H
参考文献:『市町村合併これだけの疑問』池上洋通、2001年、自治体研究社