【vol.11】錦江町行政の住民に対する向き合い方から学ぶこと
◆はじめに
これまでの記事では、広島県福山市で進む学校統廃合について見てきました。
私たちは、他の自治体の学校統廃合についても分析を行ってきました。今回と次回にわたり、2つの町の事例を見ていき、福山市の事例の相対化を図るとともに、地域行政のあり方についての知見を深めていきたいと思います。
今回は、大隅半島南部に位置する、人口6,997人(2021年9月1日現在)の自治体、鹿児島県肝属郡錦江町です。
2020年9月16日、町役場の方が、ゼミの聞き取り調査に応じて下さいました。当時伺ったお話をふまえつつ、錦江町は人口減少に対してどのように向き合ってきたのか、また学校統廃合について住民との間でどのようなやりとりがなされてきたのかということを紹介します。
◆学校区のなりたちと「公民館」
錦江町の小中学校は、地域とどのような結びつきがあるのでしょうか。まず小学校区のなりたちを探るために、「公民館」という組織について見ていきます。
錦江町には、10の「公民館」があります。「公民館」は任意の組織であり、必ずしも建物があるわけではありません。
町内には、地域の最小単位として、89の自治会があります。それらの自治会がそれぞれ「公民館」に属することで意見の集約がなされ、町役場に住民の声が吸い上げられています。
現在の錦江町の町域は、2005年3月22日、大根占町と田代町の市町村合併により誕生しました。10の「公民館」は、次の地図のように、旧大根占町と旧田代町にそれぞれ5つずつあります。
なお、各地区の人口は、2005年から次のように推移してきました。
出典:錦江町人口ビジョン(改訂版)
どの地区も、人口減少と向き合わなければならない状況に置かれていますが、錦江町の場合は出生率が1.91(2008年~2012年)、1.67(2013~2017年)となっており、同時期の全国平均の出生率1.39(2008年~2012年)、1.43(2013~2017年)に比べると、高い水準を保っています。そのため錦江町では、死亡数が出生数を上回る自然減はもとより、転出数が転入数を上回る社会減の抑制が喫緊の課題となっています。
◆錦江町の公立小中学校配置
錦江町の学校区の範囲は、先に示した「公民館」の範囲とほぼ重なっています。錦江町の公立小中学校は、次のように配置されています。
旧大根占町では、馬場、城元の公民館区の子どもたちが大根占小学校に通い、神川、宿利原、池田の公民館区の子どもたちはそれぞれ神川、宿利原、池田小学校に通います。
旧田代町では、花瀬、上部、川原、麓の公民館区の子どもたちが田代小学校に通い、大原の公民館区の子どもたちは大原小学校に通います。
このように、錦江町では10つの「公民館」区がほぼ学区の原型をなしています。
「公民館」は、住民の意見の集約機能を担う重要な組織です。特に、平成の大合併が推進されるなど、全国的にも行政範囲をより拡大していこうという流れが広がる中、錦江町では、89ある自治会の意見を吸い上げる場として、「公民館」の果たす役割はますます重要なものになってきました。
錦江町の小学校はその「公民館」をベースに配置されているので、学校を中心にいろいろな活動が行われてきました。また、今後もそうあらねばならないと多くの住民は考えています。地図に示されている児童数を見ても分かる通り、小学校も小規模化してきているので、学校の配置について話し合いがなされてきました。錦江町の学校配置の議論が、これまでどのような経緯をたどってきたのか見ていきます。
◆中学校の統合と跡地活用の取り組み
錦江町では、旧町ごとに中学校を統合しました。
旧田代町には以前、2つの中学校(田代中学校、大原中学校)がありましたが、2005年に統合し、田代中学校となりました。また、旧大根占町には4つの中学校(大根占中学校、神川中学校、宿利原中学校、池田中学校)がありましたが、2008年に統合し、錦江中学校となりました。
住民との話し合いの中では、中学校は統合しても、小学校は残してほしいという意見が多く見られました。地域のためにはできれば残したいが、子どもの学習環境を考えると統合した方が良いという話でまとまりました。
現在も、閉校後の中学校校舎を利用して、様々な取り組みがなされています。旧神川中学校は現在、地域活性化センター神川となっています。校舎を改修してオフィス環境を整備し、2017年度からサテライトオフィスへの企業の誘致を進め、開始から1年間で16社、45名の社員を受け入れました。また、旧宿利原中学校は現在、宿利原地区コミュニティーセンターとなっており、2019年には、宿利原地区公民館や錦江町青年団による出店の催し等が行われています。
◆大原小学校を残すと決めた時のこと
一方、中学校統合後の時期に、大原小学校のあり方についても話が上がりました。2008年度の児童数は9人で変則複式学級となり、保護者から、これでは子どもに十分な教育を受けさせられないという声が見られるようになったためです。2008年には「大原小学校あり方検討会」が発足し、1年間をかけて話し合いを行うことになりました。
検討会では、大原小学校の存続・統合をめぐり、様々な意見が交わされました。そこでは主に2つの議論がありました。1つは、地域のために子どもたちの学習環境を犠牲にして良いのか、学校生活にはやはりある程度の人数がいた方がいいのではないか、というものです。もう1つは、子どもたちも地域の一員なので、児童数の少ない中でどのように高度な教育を実現していくかを模索するのがいいのではないかという考え方です。
主に保護者からは、学習環境の面から統合を要望する声がありました。それに対して、主に地域住民は、地域に学校を残すことを望んでいました。話し合いを重ね、最終的に大原小学校を残すことになりましたが、残すからには児童数を増やす取り組みを行わなければならないということで、現在にいたるまで、空き屋の提供事業などを積極的に行ってきました。
錦江町教育委員会は、学校統合を求める声と存続を願う声との狭間で、難しい判断を迫られていました。また住民も、「子どものことを考えると統合だが、地域としては存続してほしい」「子どものためにも少人数での教育を維持してほしいが、旧田代町での統合で済むうちに(旧大根占町の学校も合わせた統合の話が出る前に)統合しておいた方がましではないか」など、賛成か反対かに割りきることのできない複雑な思いを抱えていました。
その中で、当時教育委員会に所属されていた方に「公立学校の役割は何だととらえているか」と伺うと、「学校は地域の一つの大きな拠点である」とはっきり答えられました。
検討会から10年が経ちましたが、少子化は今も進行中の課題です。今後も学校のあり方について話し合っていくとのことでしたが、小学校の統廃合については「主権者は誰なのか」という視点から、あくまで「住民の議論を待つ」との姿勢を明確にされていました。
◆おわりに
錦江町の事例から、3つの重要なことが考えられます。まず、学校統廃合といってもやり方の問題で、住民が主体となって行われた統廃合は、必ずしも否定的なものはないということです。錦江町では中学校の統廃合後に地域が主体となり、高齢者の見守りやワークショップといった跡地活用の取り組みを行っています。住民が納得して行う統廃合であれば、地域のその後に繋げていくこともできます。
次に、大原の地域では、小学校を残すことで地域の継続性が維持されてきたということです。大原小学校では、一時は9名となった児童数が下げ止まり、現在も完全複式学級ではありますが、変則複式学級を解消し、毎年10名以上の児童数を維持することができています。大原小学校の学校存続は、「児童数が減っているので統廃合はやむを得ない」という考え方を反転した、「児童数を増やすために学校を残す」という考え方に基づく施策の、成功例だと考えられるのではないでしょうか。
そして、福山市行政に欠けていた当たり前の前提が、錦江町にはあるということです。1つは、「地方自治の主体は住民である」という前提です。行政は人口減少や学校統廃合に対して住民とともに向き合うもので、行政が一部の住民を排除することなどありえません。住民抜きの地域というものが成り立ちうるでしょうか。「小学校統廃合に関しては、住民の議論を待つ」という錦江町行政の姿勢は、根っこの部分で住民への信頼に基づいており、「教育のことは我々に任せ、住民の皆さんは従ってください」という、福山市教育委員会の論理の対極にあるものだと考えられます。
錦江町行政と住民が共有しているもう1つの前提は、「公立学校はその地域と密接に結びついている」ということです。錦江町では、子どもは地域の中で育つものなので、学校の場所を移すのであれば、当然地域住民との相談が必要だということで、話し合いが重ねられてきました。地域行政の担い手は、元をたどれば住民であり、その住民を育てるのが「教育」であるならば、それに住民は当然関わるはずです。学校区というもののなりたちから考えても、地域と学校に関係がないわけがありませんが、福山市はそれを頑なに否定してきました。「地域活性化と教育環境の整備は別問題、分けて考えるべき」「学校がなくても地域活性化することはできる」という言い方が、いかに福山市に独特の論理であるかということが鮮明になりました。
次回は、錦江町と同じ時期に聞き取り調査に応じてくださった、静岡県榛原郡川根本町の学校統廃合に関する事例を紹介していきます。
K・H
*サムネイル画像は、錦江町未来づくり専門員(地域おこし協力隊)の方にご提供いただきました。
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